第30話 呪われた母と娘

 ギリギリ。


 足を締め付ける小さな手。あんな小さな人形の、どこにそんな力が!?


「は、離して」


 私は人形を無理矢理引き剥がそうとした。


 その瞬間、頭の中にどす黒い感情が流れ込んできた。


「カラダがほシイ」

「かラダ」

「にンげんのカラだ……」


 え、な、何これ。


 流れ込んできた黒い呪いのような言葉に、頭がクラクラとした。


 これ、中に入っているのは女の子じゃない。一人の魂ですらない。これは――。


 私は慌てて佐久間さんに呼びかけた。


「――違う、これは敏子さんじゃない! 敏子さんの魂は入ってません。佐久間さん、騙されてますっ!」


「え?」


 佐久間さんは一瞬戸惑ったような顔をした後、きゅっと唇を噛み締めた。


「そ、そんなはずないわ。だって、姫巫女様が――」


 姫巫女様? それって、以前にも――。


 戸惑った様子の佐久間さんを嘲笑うかのように、青い目の人形はカタカタと首を振る。


「カラダ……ヲ……カラダヲ……チョウダイ」


 私は再度叫んだ。


「違う。敏子さんはこんなこと望んでません! 目を覚まして!」


「そんな……はずは……」


 佐久間さんの顔に戸惑いが浮かぶ。


 その隙に、沖さんはお札を人形に張りつけた。


「……狐火!」


 赤く燃え上がる炎。

 もくもくと黒煙が上がる。


 どす黒い煙に浮かび上がってきたのは、黒い顔がいくつもくっついた歪な魂だった。


「な……何よ、これ」


 大きく目を見開き、驚愕の表情を浮かべる佐久間さん。


 人形から出てきた魂の醜悪な姿に、佐久間さんも敏子さんではないとさすがに悟ったのだろう。


「これが、この人形に取り憑いていた悪霊の正体だよ。どうやらあなたは、その姫巫女様とやらに騙されていたようだね」


「そ、そんな」


 佐久間さんは放心状態になり、ぺたりとその場に座り込む。


 沖さんは、さらにお札を投げつけた。


「狐火!」


 魂をやきつくすかのようなあ、真っ赤な炎が燃え上がる。


「グアアアアア……」


 炎が揺らめき、黒い魂が不気味な声を上げる。


 業火にひとしきり焼かれた黒い魂は、やがて黒い煤となり、空の彼方へと飛んで行ったのでした。


 ***


「私、このお人形さんが欲しい」


 娘がねだったのは、可愛らしい青い目の人形。


 貿易商だった父の影響もあり、敏子は今風のモダンでハイカラなものが大好きだった。


「ありがとう、お母さん、大好き!」


 青い目の人形を抱きしめた敏子はそれはそれは可愛くて、私の宝物だった。


 やがて敏子は、美しくモダンな女性に成長した。


 流行りの服を身につけ、夜遊びもするようになったけど、それもきっと今のうちだけ。


 今にきっと、良い人と結婚して、私を楽にしてくれるはず。だけど――。


「お嬢さんの遺体が、多摩川で見つかりました。心中のようです」


 それは、ザアザアと通り雨が降りしきる夕暮れのことだった。


 憲兵によると、敏子の心中の相手は、妻子ある売れない小説家なのだという。


「ああ……敏子、敏子、どうして……」


 ふさぎこんでいる私に、ある日、一人の男の人が声をかけてきた。


「姫巫女様には、すごい力があるんです。娘さんの霊も呼び寄せることができますよ」


 半信半疑だったけど、私は、藁にもすがる思いで交霊会へやってきた。そして――。


 カタカタ、カタカタ。


 娘が大事にしていた、青い目の人形が動きだす。


「オカア……サン……オカアサン」


「敏子!」


 私は、青い目の人形を抱きしめた。

 間違いない。この中に、敏子がいるんだわ。


「オカアサン……ココハドコ? セマイヨ」


「大丈夫よ、敏子。今にきっと、あなたにピッタリの体を用意してあげるわ」


 それからのことは、あまりよく覚えていない。


 ああ、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。


 ***


 ……と、これが今回の事件の真相らしい。


「あの後、あの屋敷からは多数の女性の遺体が見つかったようです」


 数日後、國仲さんがライスカレーを食べながら教えてくれる。


「そうでしたか……」


 どうやら佐久間さん、居なくなったデパートガールたちの他にも何人もの娘を誘拐して殺していたらしい。


「しかし、母親というのは、娘のためにそこまでするものなんですかね」


 國仲さんが腕を組んでうんうんうなずく。


「歪んではいますが、やはり親っていうのは、子供に無償の愛を注いでしまうものなのだと思いますよ」


 愛情? あれが?


 私にはあれは、母親の一方的で身勝手な行為にしか思えなかった。


 國仲さんに悪気が無いのは分かってる。だけど――何だか胸にチクリと棘が刺さったような気がした。


「……そうでしょうか」


 私はポツリとつぶやいた。


 そんな風に思えるなんて、國仲さんはよっぽど両親に恵まれているに違いない。


 私にはとても、そうとは思えなかったから。


 私にとって、親とはただひたすらに身勝手な存在だったから。


 そう簡単に、親は無償の愛を子供に注ぐだなんて言って欲しくなかった。


 國仲さんが悪くないのは分かっているけど――。


「それよりも――だ」


 私がうつむいていると、沖さんがコーヒーを持ってやって来た。


「沖さん」


「それより僕が気になるのは、その『姫巫女様』とかいうやつのことさ」


「ああ、それについても調べはついています」


 國仲さんがポケットから何やら紙を取り出して読み上げる。


「『姫巫女様』の名前は御法川みのりかわ。浅草で、何やら怪しげな宗教団体を開いているようです」


「御法川……」


 その名前を聞いた途端、全身の血が沸騰したようになった。


 忘れたくても忘れられない、御法川は――。


「……千代さん?」


 沖さんが、私の顔をのぞき込む。

 私は小さな声で吐き出した。


「……私、その人のこと知っています」


 その人は――母を死に追いやった人物だ。

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