第29話 囚われの千代

 沖さんは狐の姿に戻り、窓から外に出ると、外から閂を開けた。


 私は周囲を確認すると、恐る恐る閉じ込められていた蔵の外へ出た。


「意外とすんなり開きましたね」


「誰かが助けに来るとは思ってなかったんだろうね」


 私は辺りを見回した。


「そういえば、ここはどこでなんしょう」


 私が監禁されていた蔵の外は、立派な日本庭園になっていて、一見すると立派なお屋敷のようだけど……。


「誰かの邸宅のようだけど、僕もよく分からない」


 沖さんが答える。


「千代さんが中々戻ってこないなと思っていたら、福助が僕のところにやって来てね。それでここまで案内してくれたんだ」


「そうだったんですか」


 そっか。福助が……。

 頭の中に、まん丸お目目の黒猫の姿を思い浮かべる。


 お店に戻ったら、ご飯を一杯あげないと。


 ふと横を見ると、壁に怪しげな目のマークのようなポスターが貼ってある。


 この模様、どこかで――。


 どこで見たかは思い出せない。


 だけど、何だかすごく嫌な予感がした。


 胸の中を、どす黒い泥が蠢くような――。


「でも、出入口は確認してある。こっちだよ」


「あ、はい」


 私は沖さんにうながされ、とりあえず屋敷から出ることにした。


 ちりん。


 その時、小さく鈴の音が鳴ったような気がした。


 背筋がゾッと冷える。この感覚は――。


「千代ちゃん」


 沖さんがグッと私の腕を掴み、側へ引き寄せる。


「沖さ――」


「僕から離れないで」


 沖さんの真剣な声。


「はい」


 私はゴクリとつばを飲み込んでうなずいた。


 ギィ。


 廊下の踏み板が鳴る音がして、やってきたのは、青い目の人形を抱いた、着物姿の中年女性だった。


 きっちりと結い上げた髪。昔は美人だったのだろうと思わせる整った顔――。


 あっ、この人、西洋雑貨店で会った志麻子さんのお客さん――佐久間さんだ!


「あらあら、逃げちゃダメじゃない」


 戸惑っている私に、佐久間さんは穏やかな口調で言った。


 どうして佐久間さんがここに?


 まさか、私を誘拐したのは佐久間さんなの?


 一体どうして!? 私、佐久間さんとは一度しか会っていないし、恨まれる覚えもないのに……。


「そういう訳にはいかないね」


 沖さんがギュッと私の手を握りしめる。


「この人は僕の婚約者なんだ。連れ帰らせてもらうね」


 佐久間さんはそれを聞くと、キッと沖さんを睨んだ。


「何が婚約者よ。そんなの、私は認めません。今度こそ……今度こそ敏子としこを返してもらうわ!」


 敏子? 一体誰のこと?


「あ、あの、私は敏子っていう名前じゃ」


 私がおずおずと手を挙げると、女性はふうと息を吐いた。


「そうね、今はね。でも、これからここにいる敏子の体になってもらうの」


 女性は愛おしそうに青い目の人形の頭を撫でる。


「あの子は昔からハイカラなものが好きで、この人形を可愛がっていたわ。だからこの人形を敏子にしたの」


 女性の瞳は、闇のように真っ暗で、吸い込まれそうで、私はじりりと後ずさりをした。


「どういうことですか」


 困惑している私に、沖さんが低い口調で呟いた。


「あのさ、あの後、少し気になって調べたんだけど、この人の娘さんは、一年前に亡くなってるんだよ」


「えっ」


 娘さんが亡くなってるって……確かこの人、娘さんのために化粧品を買いに来てるって言ってたよね?


「ちょっと待って、じゃあ、その人形って――」


「ええ、今、姫巫女様が降ろしてくださった敏子の魂を入れているの。でも、いつまでもこんな小さな体じゃ可哀想でしょ?」


 そう言うと、佐久間さんはニタリと歯を見せて笑った。


「――だから、もっと大きな体が必要だわ」


 大きな体――。


 体の芯からゾッと寒気が走る。


「そ、それで私のことを誘拐したんですか?」


「そうよ。今までの子は、敏子の器になってくれなかったけど、きっと貴方なら大丈夫。今までの子と違って、上辺じゃなく、中身が敏子と似ているもの」


 クスクス笑う佐久間さん。


 そっか、それでこの人は、モダンな女性を狙っていたんだ。


 女性の腕の中で、青い目の人形がカタカタと揺れる。


「オカアサン、ハヤク、カラダにハイリタイ……」


 ひゃあっ、お人形が喋った!


 私がしがみつくと、沖さんは少し嬉しそうな顔をした。


「うんうん、千代さん。もっと僕を頼りにしていいからね!」


 ええい、嬉しがってる場合か!


 私が沖さんから離れると、佐久間さんはくすくす笑って青い目の人形の頭を撫でた。


「ええ敏子、心配いらないわ。すぐにあなたにピッタリの体を用意してあげる」


 ゆらりと何かに操られているかのように歩いていく佐久間さん。


 一体どこへと思っていると、佐久間さんは蔵の脇に立てかけてあったナタをゆっくりと手に取った。


「大人しく、その体をよこしなさいっ!」


 ひゃあああっ!!


 このままだと殺される!


 でも、足がすくんで動かない。


 私がその場から動けず、目をつぶってしゃがみこんだ。


「きゃあああっ!」


「大丈夫だよ、千代さん」


 沖さんの声に目を開けると、沖さんが佐久間さんに体当たりをしたところだった。


 佐久間さんの手からナタがすっぽ抜け、クルクルと弧を描き飛んでいく。


 鈍い音を立て、屋敷の柱に突き刺さるナタ。


「今だ! 千代さん、この隙に逃げて」


「う、うん」


 私は言われた通り、その場から逃げようとしたんだけど、足が誰かにがっしりと掴まれていて動けない。


「痛っ……」


「ニガサナイ」


 足元を見ると、青い目の人形が、小さな手で私の足を掴んでいた。



 ひいっ!

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