第27話 浅草十二階

「とりあえず、その青い目の人形というのがとどういうものが教えてくれるかい?」


 沖さんの提案で私たちがやってきたのは、浅草にある輸入雑貨や人形を扱うお店。


 壁にはドレスを着た西洋人形がびっしりと並んでいる。


「そうねえ、こんな感じだったかしら」


 志麻子さんが人形のうちの一つを手に取った。


 手にしたのは、長い金髪に青いドレス、青い目をしたビスクドールだった。


「でもこんなに可愛くない。もっと不気味だったわよ」


「ほほう、なるほど」


 この人形でも十分不気味だけどね。


「でも大丈夫です、志摩子さんは僕が守――」


 拳を振り上げて熱く語ろうとした國仲さんだったけど、志摩子さんはその横をするりとすり抜けて店の奥へと走っていった。


「あらあ、久しぶり、佐久間さくまさん!」


 志摩子さんが話しかけたのは、上等の着物を着た五十台くらいの女の人。


 皺はあるけど、若い頃美人だったであろうと思わせる上品な顔つきをしている。


「こんにちは、志摩子さん。こちらは、ご友人?」


「ええ、そうなの。紹介するわ、こちら佐久間さん。うちのデパートによく来てくれるお得意様なの。昨日も娘さんのために化粧品を選ぶって来てくれて」


 志麻子さんが紹介してくれる。私は慌てて頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「佐久間です。こちら、全員志摩子さんのお友達なの?」


 佐久間さんは丁寧にお辞儀をすると、私たちの顔を変わる代わる見つめた。


 志麻子さんが私の肩を抱く。


「ええ。今日はこちらにいる千代さんが西洋人形を見たいというので。こちら、婚約者の沖さんとそのご友人の國仲さん」


「そ、そうなんです。おほほ……」


 私は慌てて話を合わせた。

 四人で順番に頭を下げて挨拶を済ませる。


「あら、結婚祝いにするのかしら? 素敵ね。それじゃ、また」


 佐久間さんは頬をほころばせると、頭を下げて去っていった。


 何だか上品で素敵な方だな。でも――。


 私は佐久間さんの背中にべったりと張り付いている黒いようなものをじっと見つめた。


 あの人、大丈夫かしら。何かに取り憑かれてない?


 ***



 西洋雑貨店を出た私たちは、その足で、志麻子さんが青い目の人形を見たという浅草十二階へと向かった。


「へえ、ここかあ、例の青い目の人形を見たというのは!」


 沖さんが建物を見上げ目を輝かせる。


 浅草十二階は、正式名称を凌雲閣りょううんかくといって、浅草公園に建てられた十二階建ての展望塔。


 塔の十階まではレンガ造りで、上二階は木造という変わった造りの建物で、日本初のエレベーターが設置されたことでも有名なんだ。


 中には様々な商店が入っていて、十二階の足元の街にはお酒の飲めるお店や、活動写真、見世物小屋なんかがあって、ちょっと怪しい雰囲気だけど、賑わっているの。


「さっそく入ってみよう」


「はい!」


 入場料を払い、建物の中に入る。


 中は休日ということもあって混雑している。


 わあっ、凄い人!


 私が人ごみに圧倒されていると、不意に沖さんがギュッと手を握ってきた。


「千代さん、はぐれないでね」


 わわわわわっ!


 体温が一気に上がる。


 別に沖さんとは婚約者同士だし、はぐれないためだし、手を繋いでも問題は無いはずなんだけど……なんだか照れるなあ。


 國仲さんはゴホンと咳払いをした。


「志摩子さん、エレベーターの中でも、僕が貴女をお守りして――」


「あらっ、故障中みたい」


 だけど志摩子さんはエレベーターの横の張り紙を指さすと、國仲さんの横をすり抜けて階段をずんずんと登って行ってしまった。


「僕らも行こうか」


「……はい」


 私と沖さんも、手を繋いだまま、階段を上がった。


 なんだか不思議だな。


 ふわふわとした気持ちのまま考える。


 十年前もこうして二人、手を繋いで歩いて、あの時は子供と大人だったけど、今は婚約者同士で――。


 まるで夢の中にいるみたい。


「このあたりよ、青い目の人形人形を見たのは」


 志摩子さんの声に、ハッと我に返る。


 志摩子さんが指さしたのは、塔の九階部分。


 浅草十二階は、一階から八階まではお店が入っていて、十階より上が展望台。そしてここ九階は休憩スペースになっているの。


 志摩子さんがへなへなと床にへたり込む。


「はあ、疲れた」


「九階まで階段ですもんね」


 私も息が切れそうだし、なんだか足も痛い。


「それじゃあ、僕たちはこの辺を見て回りますから、志摩子さんと千代さんはここで少し休んでいてください」


 國仲さんが提案し、沖さんと二人で歩いていく。


「足がパンパンですね」


 私は志摩子さんの横に腰掛けた。


「ええ、本当に。汗もかいちゃったし」


「何か飲みたいですね」


 と、そこで会話が途切れた。

 私が何か話題を振ろうかと考えていると、急に志摩子さんがずいっと私に近寄った。


「それにしても、千代ちゃん、一体どうやって沖さんの婚約者になったの?」


「えっ、どうやってって……いつの間にか、成り行きで」


 私が沖さんとの出会いを話すと、志摩子さんの表情から見る見るうちに笑顔が消えていった。


「そう。あなたとはそんな簡単に」


 すっかりしょげてしまう志摩子さん。


「あの……志摩子さんはもしかして」


「ええ、好きよ、常春さんのこと。ずっと」


 志摩子さんは遠い目をして話し始めた。


「私ね、家出少女だったの。家が貧しくて、遊郭に売られそうになって――そんな時に助けてくれたのが常春さんだった」


 元々、少し霊感があったという彼女は、そこで沖さんの仕事を手伝うようになり、沖さんに恋心を抱くようになったのだという。


「だけど、常春さんは答えてくれなかった。昔の奥さんが忘れられないからって。大人になってから出直してこいって」


「えっ」


「だから私、十八になったらお店を出て独り立ちして、大人の女性になろうって思ったんだけど――」


 志摩子さんはえへへと笑う。


「でもあなたとはすぐに恋仲になったってことは、私は初めから好みじゃなかったのね」


「……そうでしょうか」


 私がうつむいていると、志摩子さんは赤い唇をニイッと引き上げて笑った。


「そうよ。だって沖さんあなたにゾッコンだもの。階段でも、あなたとずっと手を繋いでたじゃない。いくら婚約者とは言えさー」


「そ、それはその、人混みではぐれないように……」


「そう? 凄く相思相愛って感じに見えたけど。モダンな夫婦で素敵だわあ」


「ち、違いますっ、そんなんじゃありません!」


「別に照れなくてもいいのよ」


 志摩子さんはケラケラと笑う。


「誰かを愛するってことは恥ずかしいことじゃない。素晴らしいことよ。日本人はもっと大胆にならなきゃダメだわ!」


「いや……だから、違いますってば」


 全く、志摩子さんってば、見た目だけじゃなく、考え方もモダンなんだなあ。


 私が人混みをぼんやりと見つめていると、不意に背中に冷たいものが走った。


 ――ゾクリ。


 えっ?


 私は目をゴシゴシと擦った。


 今、目の端に何か黒いものが見えたような。


「ねえ、志摩子さん、今――」


 振り返り、志摩子さんに話しかけようとして、私は声を失った。


 嘘、志摩子さんが居ない!


 ちょっと横を向いていただけだったのに、一体どこへ行ったの!?

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