第伍章 秘密の恋まじなひ
第21話 女学生の依頼
「ありがとうございました!」
常連のおじさんが出ていくのを見送り、ドアを閉める。
ドアの外では紅葉が落ち、吸い込んだ空気はしんと冷えて冬の匂い。
最近は、放課後の女給業にもすっかり慣れてきた。
良かった。これでもし万が一沖さんに見捨てられても、女給として食べていけるんじゃないかしら。
うっすらとそんなことを思う。
何せ婚約したとはいえ、結婚は卒業後。その間に何があるか分からない。
私は今まで何度も婚約を破棄されてきた経験があるんだから今回だってそうならないとは限らない。
特に、相手は普通の人間じゃなくて狐だし、沖さんって見た目は優しいけど、イマイチ何を考えているのか分からないし。
と、そんなことを考えていると、沖さんから声がかかる。
「千代さん、このお皿、しまっておいて」
「はい、分かりました」
私は振り返り、沖さんの方を見た。
あれっ。
一瞬だけど、沖さんが手を伸ばした瞬間、腕に大きな引っ掻き傷のようなものがあるように見えたような。
何だろう、あれ。猫か犬に引っ掻かかれたみたいな……。
「沖さん、その傷どうかしたんですか?」
私が指摘すると、沖さんはハッと捲ったシャツの袖を伸ばした。
「……いや、何でもないよ」
何かを隠すように横を向く沖さん。
「もしかして、怪異絡みですか?」
何となくだけど、そんな気がして聞いてみる。
「うん、まあね」
だけれど、沖さんはそれ以上は詳しく語らなかった。
何だろう。もしかして沖さん、私の知らないところでも怪異関連の依頼を受けているのかしら。それとも――。
「それより千代さん、お客さんだよ」
沖さんに指摘され、ドアの方を見る。
いけない。とりあえず仕事をしないと。
カランコロン。
そんな事を考えていると、次のお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
入ってきたのは、見慣れた紫袴を着た女学生だった。
あっ、この制服、うちの学校の生徒だわ。
そう思って顔を見ると、見覚えがある。この子は確か、隣のクラスの子。
凛とした佇まいが百合の花のように美しいと話題で下級生にも人気で、「百合の君」って呼ばれている、
「あらっ、あなたは――」
私が思わず声を上げると、静江さんは怪訝そうな顔をした。
「どうかしまして?」
あ、そっか。私の方はカフェーの制服だから、向こうは私が同じ学校だって分からないんだわ。
「い、いえ、同じ学校の生徒なので、驚いてしまいまして」
私が答えると、静江さんは怪訝そうな顔をする。
「あら、そうなんですの? あなた、女学生なのにカフェーで働いているの?」
そうだよね。女学生といったら裕福な家庭の子女がほとんど。普通はカフェーで働いたりなんてしないものね。
「は、はいっ。えへへ、実はこのお店のオーナーと婚約してて、花嫁修業で働いているんです」
「まあ」
静江さんは目を大きく見開く。
「そうだったんですの。あの、失礼ですけど、今流行りの恋愛結婚ってやつですの?」
「いえ。えーっと、その、ここの店長は意外と資産家で……お父様も結婚しろって、うるさくて」
「そうですわよね。いくら文明開化の時代と言っても、好きな人と結ばれるのは難しいですわよね」
「はい。まあ、そうですよね。あっ、お好きなお席をどうぞ」
私がメニューとお水を持っていくと、静江さんは少し落ち着いたような表情を見せた。
「あなた、お名前は?」
静江さんに尋ねられ、答える。
「秋月千代です。静江さんとは隣のクラス同士なんですよ」
「まあ、そうなんですの。あの……それでなんですけど、ここのマスターとお話ってできまして?」
思い詰めたような静江さんの表情に、ピンとくる。
「もしかして怪異がらみの話ですか?」
うなずく静江さん。
私は慌てて沖さんを呼んだ。
「それで、僕に何の用かな?」
沖さんが営業スマイルを浮かべて静江さんの向かいに腰掛ける。
静江さんは袴をギュッと握りしめると、ポツポツと話し始めた。
「実は、相談と言うのは私の友人の事なんですの」
静江さんの話によると、先週、静江さんは三人の友達と一緒に女学生の間で流行っているある遊びをやったのだという。
「コックリさんって知ってまして?」
「コックリさん?」
私が首を傾げていると、沖さんが顔を曇らせる。
「僕も話は聞いたことあるよ」
沖さんの話によると、コックリさんっていうのは、アメリカのテーブル・ターニングという降霊術が元になった遊びらしい。
明治二十年頃に一度大ブームになり、その後廃れたように見えたけれど、最近になってまた若者たちの間で流行っているんですって。
なんでも、最初のブームの時のコックリさんは、三本の細竹の上にお盆や米びつの蓋を乗せ、傾き具合で占いをするというものだったらしいだけど……。
「最近では「はい」「いいえ」や五十音を書いた紙の上で硬貨に指を乗せて、動かす形式のものになっているらしいよ」
沖さんが教えてくれる。
「へえ、そうなんですか」
静江さんの話によると、静江さんと友達三人は放課後に教室でコックリさんをやっていたのだそうだ。
「そうしたら、急に硬貨が滅茶苦茶に動き出して……その内、友達のうちの一人が倒れて意識が無くなってしまったの」
話しながら手を震わせ、唇を噛み締める静江さん。
どうやら、相当ショックな出来事だったみたい。顔が真っ青。
「失礼ですが、病院には?」
「お医者様にはもちろん見てもらいました。だけど、特に異常は見つからなくて――」
沖さんはふんふん、とうなずくと頬杖をついた。
「なるほど、それで僕の所へ来たというわけなんですね。でもうちのお祓いは結構しますよ。学生の身分で――」
「お金なら払いますので、ご心配なく。うち、こう見えても結構、資産はあるんですのよ」
静江さんの言葉を聞き、ガタリと立ち上がる沖さん。
「本当ですか!」
沖さんはガタリと立ち上がると、勢いよくコートを羽織った。
「よし、引き受けよう! 女学生が倒れたなんて大変だ! 早速その子の家に行ってみようじゃないか」
お金があると聞くや否や、いきなりやる気満々になる沖さん。
もう、相変わらずお金に汚いんだから!
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