春夏秋冬代行者 秋の舞 外伝 ~望郷~③


 散歩は続く。

 四人はやがてホテルの中にある大きなギフトショップまで足を運んだ。

 洗練された商品ばかりあるかと思いきや、意外と俗っぽい物もある。配送も国外宛を受け付けているということなので、ビジネスマンなどにはとても助かる仕様だ。

 狼星は甲斐甲斐しく雛菊に話しかけている。


「ひな、あれはどうだ」

「素敵、思います」

「じゃあ買うか」

「ま、待って、狼星さま」


 狼星がすぐ雛菊に何か買おうとする。

 好きな人の前では財布の紐が緩い狼星を、雛菊が必死に止める。それの繰り返しが起きていた。雛菊が『欲しい』と言ってくれないので狼星はたまらず言う。


「何か欲しい物ないか?」


 雛菊もたまらず言う。


「狼星さま、ほしいの、あったら、自分で、買う、よ」

「……」


 当然の反応ではあった。雛菊も春の代行者に復帰して一年。代行者が貰える手当が溜まっているはずだ。そうでなくとも貢がれることを喜ぶ娘ではない。


「雛菊、自分で、できる、よ」


 未熟者扱いのようにすら思えてしまう。

 狼星は自分が失礼なことをしていたとやっと気づいた。


「ごめん……どうにか挽回したくて、空回りした……」

「から、まわり?」

「うん。ひな、俺達のせいで橋国まで来ることになっただろ。だから……どうしても何かお詫びをしたくてだな……」


 雛菊は首を傾げる。


「どして、橋国、いくの、狼星さまの、せい、なの?」


 雛菊からすると、狼星の行動は奇怪だった。

 彼は撫子と同じく今回の騒動の被害者だ。

 冬というだけで色々な責任を背負わされて可哀想、という同情すらある。


「……渡航組だけで解決出来なかった。おまけに、最後の瓦礫撤去はほとんど春の功績だ。君と、佳州の春の代行者様が居たからどうにかなった」

「事件、狼星さま、のせい、じゃない、よ」

「確かに橋国騒動自体は俺のせいじゃないか、ひな達が来たのは俺のせいだ」

「ぜったい、違う、よ」


 何一つ狼星のせいではないのだが、彼はきっとこれからも自分のせいにする。


「いいや、俺のせいだ。俺はひなとさくらの盾になれてない……」


 もうそれは、寒椿狼星にとって染み付いてしまったものなのだ。


「だから……お詫び……したい……」


 人生で一番傷つけた女の子二人を守っていくことが、いまの狼星の生き甲斐というか、生きていて良いと自分で思える赦しだった。


「……狼星、さま」


 助けに来てくれたことは嬉しかったが、怒涛のような事後処理の後に、ハッとしてしまったのだろう。


『ひなとさくらに悪いことをしてしまった』と。


 しかし、狼星はわかっていない。


「狼星、さま……雛菊も、さくらも、狼星さま、困ったら、助け、たいよ」


 春主従は黙って助けを待っている娘達ではない。


「雛菊、役に立った、なら、すごく、すごく、嬉しい……です」


 どちらかと言えば、助けに行くほうなのだ。

 行動力だけなら、恐らく冬主従より春主従のほうが上手だと言える。

 その分、無鉄砲ではあるのだが。


「……」


 狼星はまだ雛菊の言い分を呑み込めない気持ちがあったが、あまり頑固になりすぎると彼女に嫌われてしまうと思い、頷いた。


「……わかった。じゃあ、いま無理に楽しんでないか?」

「狼星さま、と、おさんぽ、楽しい、です」

「でもほら、さっき賊に連れ去られた時の話をしてただろ」

「むかしの、こと、だよ」

「いまは大丈夫……?」

「う、ん」


 狼星は『そうか』と、つぶやいてからも苦い顔で言う。


「俺は何年経っても昔の事が辛いから……」


 雛菊もつられて悲しい顔になった。


「本当に、少しはマシな記憶だったのか? いまも帰りたい気持ちを押し殺してないか? ひなだけならすぐ帰国させられると思うぞ。事情聴取も終わったんだし……」

「雛菊、帰るなら、狼星さまと、大和、帰りたい、です」


 雛菊はずっと繋いでいた狼星の手を、少し強く握った。

 強張っていた狼星の身体が緩む。


「それにね。そんな、こと、言ったら……」

「言ったら……?」

「雛菊、大和のほうが、悲しい、思い出、いっぱい、だよ……」

「……」


 数秒の沈黙。


 雛菊が困った顔をしながら言った言葉は正論だった。

 狼星も真顔で一時停止してしまった。


「……確かに」


 よくよく考えてみればそうだと、狼星は自分の浅慮が恥ずかしくなった。

 どう考えても誘拐されていた時間は大和で過ごした期間のほうが長い。

 攫われた場所は冬の里、母を亡くしたのは春の里、昨年は四季庁にてテロリストと対峙。良い記憶が少ない。


「でも、大和、好き、だよ」


 それでも雛菊が帰るべき場所であり故郷なのだ。


「狼星さまと、出会ったの、も、大和、だよ」


 好きな理由に自分を入れてくれることが嬉しくて、しかし同時に妙に切なくて、狼星は何とも言えない顔になる。


「……うん」


 それは前の雛菊のことなのか、今の雛菊のことなのか。


「さくらも、凍蝶お兄さま、も、大和、にいるよ」

「そうだな」

「大和の、民の、みなさま、も、好き」

「……そうか」


 彼女が母国を好きだと言ってくれる事に、狼星はどこか救われる気持ちになった。


「狼星さま、の、冬も、好き」


 そして突然魔弾が放たれた。

 狼星の心があるとされる場所に、恋の矢というか、銃弾が直撃した。

 もういくつか被弾しているのだが、雛菊と居ると何度でも恋をしてしまう。


「俺も……ひなの……春が好きだ……」


 雛菊は自分では好きと言ったくせに、言われると大層照れた。

 そして嬉しそうににこにこと笑う。その愛らしさに狼星は胸を押さえる。


「雛菊は、狼星さまと、好きな、大和に、帰る」

「わかった」

「じゃあ、この話、おし、まい」

「うん……悪かった」


 雛菊は繋いだ手を揺らした。

 春の女神の前では冬の王の心の雪はすぐ解かされてしまう。


 わだかまりというものではないのだが、狼星の懸念が消えたところで二人は買い物をまた楽しむことにした。

 雛菊が何か買おうかと見回してているとある物が目に入った。


「くまさん」


 子どもの背丈を優に超えるくまのぬいぐるみだ。

 ギフトショップの一角が有名ぬいぐるみブランドの商品展開場所となっていた。雛菊は吸い寄せられるようにそちらへ行く。


「おお、きい」


 そしてずらりと並ぶ物の中から、大きなくまを選び持ってみた。重さはそこまでないのだが、床に足をつけないよう持ち上げるのが中々難しい。だが、これを持ち上げることで得られる幸福感というものがあった。雛菊が海老反りになったところで狼星が慌てて助ける。


「ひな、危ないぞ」


 さくらと凍蝶も駆けつけた。


「ごめんね、狼星、さま。雛菊、もてるの。でも、お会計、してない、から……だいじに、もたなきゃって……」

「良いんだ。これが欲しいのか? こんなでかいの税関通るかな……」

「ぜいかん、とおらない?」

「いや、俺が通す。買おう」


 狼星が凍蝶を見る。凍蝶はすっと財布を出した。


「狼星さま、凍蝶お兄さま、だめ!」

「金遣いが荒い冬主従! 待て待て待て」


 雛菊が制止した後に、さくらも冬主従の流れを止めた。


 さくらは雛菊から狼星へ、そして今は凍蝶に受け渡された巨大なくまのぬいぐるみを見てから言う。


「雛菊様、本当にこんなに大きなぬいぐるみが欲しいんですか? 去年のお誕生日、凍蝶と狼星から似たようなものを贈ってもらっていたでしょう」

「う、ん。それとは、べつ、なの」

「可愛いは別腹。わからなくもありません。まあ帝都迎賓館に置けないことはありませんし……。リビングに置いても可愛いでしょうね。うさぎさんじゃなくて良いんですか? うさぎさんもありますよ」

「さくらは、うさぎさんのが、良い?」

「うーん……見た目だけならくまさんのほうが」


 雛菊は我が意を得たりという顔をした。


「うん、だから、くまさん」

「え」

「さくら、いっつも、大きいぬいぐるみ、見ると、雛菊、さっきしたのと、同じように、抱っこ、する、でしょ」

「……」

「大きい、ぬいぐるみ、欲しい。違い、ますか?」

「…………」

「雛菊、さくらに、大きなくまさん、あげたいです」


――何故、ばれている。


 さくらは焦って狼星と凍蝶を見た。

 二人は無言だが、和やかに笑っていた。目が『微笑ましい』と言っている。


「笑うな!」


 恥ずかしさのあまり、さくらは理不尽に男達を一喝した。狼星は肩をすくめる。


「別に良いだろ。でかいぬいぐるみ欲しがるくらい。可愛らしいでかいぬいぐるみを欲しがるくらい」


 ちゃっかりからかってきたが、さくらがすぐに反撃した。


「狼星。それ以上私の趣味をからかうなら次のお前の誕生日、名前の焼印を入れたどら焼きにしてやっても良いんだぞ」

「お前! 卑怯だぞ」

「卑怯で結構。作って他の季節の方々に配ってやる……。お前の誕生日は正月でめでたいからちょうどいいだろう……」

「ちょうど良くない。我が家の恥を外に持ち出すな!」

「私は本気だ。外注してやる……! 丁寧に作って量産することも辞さない!」

「わかった、わかった……悪かったって」


 勝てない戦をしてから、狼星は腕を組んで尋ねる。


「で、買うのかそれ」

「うーん、どうしたものか……魅力的ではあるが……」

「でかいぬいぐるみが欲しいならうちにもあるだろうが。あれは良いのか?」

「……は?」


 さくらは狼星の言っていることが最初わからなかった。


「あれって何だ」

「あれだよあれ」

「だから何だよ」

「うちのだようちの」

「うちのって何だよ!」


 埒が明かなくなってきて大きな声が出てしまう。

 狼星は変わらずのらりくらりとした態度で言う。


「お前、薄情なやつだな。うちにあるだろうが」

「だからうちって何だと……あっ!」


 さくらは記憶を遡り、ようやく気づいた。

 凍蝶と狼星を交互に見てから言う。


「……もしかして冬の里の、私の部屋のやつか?」


 狼星も凍蝶も、さくらが思い出したことが嬉しかったのか笑う。


「そうそう、あれだよ。俺と凍蝶がお前の部屋に配置したやつ」

「女の子の部屋を作ることになって、何を置いたらいいかわからなかったからな。最初はとても簡素な部屋を渡してしまった」

「ぬいぐるみくらいあったほうが良いだろうと、凍蝶に手配を頼んだらやたらでかいのを買ってきて、お前これデカすぎだろって言って……懐かしいな」


 二人が思い出話に花を咲かせる。

 雛菊は愛する女の子の見知らぬ話題に瞳を輝かせた。


 しかしさくらだけは感情がぐちゃぐちゃになりかけていた。


――どうして。


 五年前、いやもう六年前、さくらは突然冬の里を出ていった。

 さくらにはそれをする理由があった。

 後悔をしたこともあったが、もう戻れない日々を悔やんでも仕方がない。

 そのおかげで良かったと思えることもあった。


――捨ててなかったのか。


 では、残された者達はどうしていたのか。


「さくら、部屋を残してることは言っていたと思うが……私物もそのままにしてある。送ってもいいが、触れられたくないものもあるだろう。良ければ、一度見に来ないか?」


 凍蝶は自殺未遂を起こす狼星から離れられず、失意のまま過ごした。

 何年も何年も、最も大切な女の子のことを頭から消し去ることが出来ず苦しんだ。


「こっちのくまに浮気するなら別に良いけど、あのくまも悪くはないだろ。偶には思い出してやってくれ」


 狼星はさくらが消えてから薬の量が増えた。精神的に荒んだ。

 再会後、立場を利用して理不尽にさくらを責める手段もあっただろうが、一度とてそれをしたことはない。

 前とは違うさくらを【友人】だと言って憚らない。


 残された者達は、ずっとさくらを待ってくれていた。


――私が、冬の里に帰ってくると思って。


 もしかしたらいまも、待っている。


――そのままにしてたのか。


 さくらは頭を殴られたような心地になった。


――処分されていると思ったのに。


 狼星と凍蝶はさくらの部屋を片付けていなかった。

 何故、という問いかけにはきっとこう返ってくる。


 あそこはお前の家だから、と。


 さくらがそう思っていなくとも、彼らは違う。


 家族のように暮らしていた時間があったのだ。

 残された者達のほうが、それをはっきりと覚えている。


「……っ」


 さくらの瞳に急速に涙が浮かんできた。

 それは嫌な涙ではなかったが、温かすぎて受け入れられなかった。

 いまは任務中なのだ。


――馬鹿、泣くな。


 春の刀として、ぐっと堪えた。

 さくらはくるっと後ろを向いて、親指で涙をすぐ拭き取る。

 それから凍蝶が持っていたくまを奪って売り場に戻し、雛菊に向き合った。


「雛菊様」


 さくらはまっすぐ雛菊を見る。

 雛菊も同じようにさくらを見つめた。


「は、い」


 主の瞳は慈愛に満ちている。


「……さくらは他に傍に置くべきくまがおりました」


 雛菊はそれを聞いて、きょとんとしてからすぐ笑った。


「こちらのくまは……お心遣いを汚すようで申し訳ないのですが……辞退させていただいてもいいでしょうか……」


 肩を小さくするさくらを、雛菊は純粋に愛おしく思った。


「もちろん、です」


 何年経っても、雛菊にとってさくらが一番愛する人の子だ。

 抱きしめたくなってしまい、すぐ実行した。

 春の女神が愛する娘は、背も高く、強い人で、誰かに守ってもらわなくても生きていけるような存在なのだが。


「大和、帰ったら、そのくまさん、雛菊も、会いたい、な」


 だからこそ寄り添いたいと思わせてくれる花でもある。


 さくらは鼻をずずっと鳴らして言う。


「はい。是非。可愛い奴です」

「おリボンとかも、おくり、たいな」

「雛菊様から贈られたとなれば、くまも喜びましょう」


 会話を見守っていた冬主従は、互いに顔を見合わせた。


「凍蝶、郵送しないで直接運ぶぞ」

「了解した。スケジュールを確認しよう」


 真面目な顔でぬいぐるみの輸送について話し合う。

 喋りながら、改めて自分達の元に彼女達が戻ってきている事実を噛み締めてもいた。


 黎明二十一年、春。


 再会した四人が迎えた二年目の春は、穏やかに時を刻んでいた。

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