春夏秋冬代行者 秋の舞 外伝 ~望郷~②


 凍蝶が昼食にありつけたのはそれから十数分後だった。


 冷めたハンバーガーを食べた後、主達の警護にまた戻る。

 昼食後、狼星と雛菊が探検したいと言い出したのでさくらと凍蝶も付き合うことになった。

 とは言っても、探検が許可されたのはホテルの中だけだ。

 佳州でも随一の高級ホテルはとにかく広い。クラブラウンジやスパ、フィットネスジム、屋上テラス、ギフトショップと館内施設も充実しているのでホテル内を探検するのは良い腹ごなしだった。


「そんな話をしていたのか」

「うん、饅頭の話が面白かった」


 凍蝶はさくらと並んで歩きながら饅頭話の回想を聞いた。

 主達は手を繋いで仲良さそうに前を歩いている。


「……寒椿の御家の方々は狼星が選ばれたことを誉だと喜んでいらっしゃるからな。私もその饅頭を食べた記憶がある。知り合いに会う度にからかわれたよ。『お前の饅頭を食べたぞ』と」


 狼星と違い、特に恥ずかしくもなさそうに凍蝶は言う。

 さくらはくすくすと笑う。


「それと、私についての話はみな買いかぶり過ぎだな。私はそんなに出来る男ではない」


 これに関しては、彼は困っている様子を見せた。

 さくらはすかさず言う。


「謙遜か」

「違う。本当に買いかぶりだよ。お前も今回実感しただろう。私が弱い人間だということを」

「……?」


 さくらは前を歩く雛菊達に注視しながら言う。


「何のことだ?」

「感じなかったか……?」


 そうだから問うているというのに。さくらが頷くと、凍蝶は苦笑を浮かべた。


「お前達が来た時のことだよ。取り乱していただろう……」

「そうだっけ」

「覚えていないのか」

「……うーん、ああ、もしかしてあれか」


 言われてさくらは思い出す。

 凍蝶がさくらの到来に驚きすぎて、幻覚の可能性があると言っていたことを。

 しかし、起きた事態を鑑みればそう言いたくもなるだろうというものだった。


「確かに『どうした凍蝶』とは思ったが」

「やはりか」

「あれだけでお前が大したことがないという評価に繋がることはないぞ。それは暴論すぎるだろう」


 凍蝶は語るさくらのほうを見る。


「撫子様が攫われた上にその囚われの場所が崩壊して阿左美様も秋陣営もみんな瓦礫の下敷き。リアム様の生死もわからない……となれば誰でも取り乱すだろ。逆に全く心が揺れ動かないほうが怖いぞ」

「……」

「いつも元気な雷鳥さんでさえ意気消沈していた。そんなこと言うなら全員その評価になってしまうのでは?」

「……そう、か」

「もしかしてあの程度のことで何だか格好悪かったなあとか思っているのか?」


 凍蝶はサングラスをそっと直した。

 どうやら図星らしい。

 さくらは笑った。珍しく声を出して笑うので狼星と雛菊が怪訝そうに振り返るほどに笑った。

 さくらが笑顔を見せてくれたことは嬉しいが、その理由が自分の無様な姿であることを考えると、やはり嬉しくはない凍蝶は困り顔のままだ。


「さくら……」

「ごめん、でも凍蝶、いつも余裕ぶってるくせに、くく……」

「余裕ぶってなどいないのだが……」

「お前はそうかもな。しかしお前には大人の余裕というものがある。他者から見れば涼しい顔で一手も二手も先を行っているように見える男なんだよ」

「……やはり買いかぶり過ぎだ。というか……さくらもそんな風に思ってくれていたのか?」


 さくらは凍蝶の素直な返しに言葉に窮した。

 言葉を解体してみれば、さくらは凍蝶を褒めることしか言っていない。

 凍蝶が恥ずかしがるのを楽しく見ていたのに、今度は自分が恥じらう番になる。


「いや、その……」


 今更否定するのも変ではあるし、まごつくことしか出来ない。

 凍蝶はそんなさくらを見て優しく微笑む。


「経験則で動けるものに関してはそう見えるかもしれないな。だが、言ってしまえばそれだけだよ」


 驕りがない人の返答だ。こういうところが、凍蝶の美徳とも言えるだろう。


「それにしても、失敗したな」


 凍蝶が顎に手をついて言う。


「……な、何がだ?」

「さくらに悪く思われていなかったのなら、今回は黙っているべきだった」


 清廉潔白な彼らしからぬ言葉に、さくらは目を瞬く。

 凍蝶は少し悪戯な眼差しを彼女に向けた。


「お前には……良い所だけ見せたいという師匠心だ」


 妙に顔も近くて、さくらはドギマギしてしまう。


「お、乙女心みたいに言うなよ」


 さくらがそう言うと、凍蝶は笑った。

 困り眉も消えて、彼の胸の内も晴れやかな気持ちになる。凍蝶の中ではこの話はもう終わりのつもりだったが。


「あと、さ……別に弱い所見せても良くないか?」


 さくらが続けて話した。


「というと……?」


 凍蝶は会話の方向が見えず、そのまま彼女の次の言葉を待つ。


「だから、お前が気にしていた部分だよ。今回は凍蝶が気にし過ぎただけだが、実際そうであっても別に良いだろ」

「……不出来なところがか」

「ああ」

「しかしな……護衛官たるもの」


 さくらは矢継ぎ早に言う。


「そこは私もわかる。他者に弱く見られる振る舞いはしたくはない。護衛官の振る舞いは主の評価に直結するし……」

「……そうだな」

「でもお前の言っているやつって、男だから軟弱は駄目とか、そういうのに近くないか?」


 凍蝶は言われて考えた。

 全部が全部そうではないが、当たっている部分もあるかもしれないと素直に思う。


「そうかもしれん。私は時代錯誤な男だ」


 そういう教育を受けてきたと、自身も大人になって思うようになった。

 さくら達と接するようになってから、気をつけてはいる。

 やはり若い世代と話すと肌感覚で自分とは違うと感じることがある。


「不快に思わせたのなら……」


 謝罪すると言おうとしたところでさくらが首を横に振った。


「そうじゃないって。……だから、お前のそういう矜持もわかっている……私には……弱い所も、見せて良いと思うんだが……」


 凍蝶は蝶が羽根を揺らすように目を瞬いた。


「良いところだけ見せたいって……気持ち、わかるけど……私とお前の仲なのだし。そんなにこだわらなくても……」


 小さな声でつぶやき続けるさくらの横顔を、凍蝶はちらりとしか見られない。

 主達から目を離すわけにはいかない。


「私は……お前に泣き顔も見られているし。というか……お前に守られていた分、情けないところをたくさん知られている。だから……」


 だから精一杯、耳を傾けて聞いた。


「私達、おあいこになってしまえばいいじゃないか」


 愛おしい人が紡ぐ、真心の言葉を。


――私なんかが言っても意味がないかもしれないが。

 

 さくらはかつて凍蝶が自分の前で堪えきれずに泣いてしまった日のことをずっと忘れられずにいた。


――あの日を知るのは私だけだ。


 きっとあの頃の凍蝶は『辛い』と言える人が居なかった。


――こいつはすぐ無理をする。寿命が縮むぞ。


 だから、自分の前では弱くて良いと言ってあげたい。

 何度でも。


「……」


 喋り終えてから、妙な間が流れた。

 さくらの胸が嫌な心音を刻む。


――これ、もしかして呆れられてるか?


 小娘が何を、生意気なことを。

 きっと凍蝶はそう言わないと思うが、沈黙が怖い。


――ええい、ままよ。


 さくらは恐る恐る彼のほうを見る。

 見た、と同時に凍蝶の声が降ってきた。


「さくら」


 酷く甘い声音だった。


「ありがとう。そうだな……」


 これほど愛でるべき人は居ない、という眼差しがさくらを突き刺す。


「お前は私の弱さを笑う人ではなかった。昔も今も」


 そして極上の笑顔を彼女だけに注いだ。

 長い付き合いがあるさくらには、彼が自分の言葉をとても喜んでいることが痛いくらいわかった。少し高揚しすぎではないのか、小娘の言葉に、と言いたいほどに。


「わ、わかればいいんだよ……凍蝶、弟子を頼れ……」


 さくらは急にむずがゆい心地になり、顔をそむけてしまった。

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