春夏秋冬代行者 暁の射手 外伝 ~甘酒~③


 一方、狼星と雛菊はこたつを共有しながらくつろいでいた。

 リビングも人の出入りはあるが、春と冬が仲睦まじくしている時に割って入る者もいない。


「藤堂さん、と、霜月さん、春の顕現、にも、ついて、きて、くれる、の……狼星さま、本当に、いい、ですか……?」

「ああ、二人には着任前から神儀にも同行しろと言っている。というか、護衛の為についてもらっているんだぞ」

「でも、危険、だから」

「危険だからひなを任せるんだろ? 何言ってるんだ」

「……」


 狼星の言葉はもっともなのだが、雛菊は冬の護衛二人を借りたまま、しかも春顕現にまで同行させることに遠慮していた。


「前回もこっそり付いてっただろ」

「でも、でも」

「本当は俺が付き添いたいくらいなんだ……まあ、許してもらえなかったが。そもそも……俺がいるほうが危険を呼ぶかもしれないからな……。せめて、うちの中でも強いやつをひなとさくらの傍につけたい。不自由に感じるかもしれないが、後生だから呑み込んでくれ」

「ちがう、よ、ふたり、に、もうしわけ、なくて……あ……」


 そこまで言ったところで、狼星は自分が食べる為に手にとっていた皮剥きたてのみかんを雛菊の唇にすっと持っていった。


「む……」


 条件反射で雛菊はそれを食べてしまう。


「む……む……」


 む、む、と言いながら食べる春の姿は狼星の目に大層愛らしく映る。


「もうこの話はおしまい。ひなとさくら、随分とあいつらを気にかけてくれてるんだな。やっぱ近くに居ると仲良くなるのか……」


 雛菊は甘くて美味しい冬みかんをごくんと飲み込んでから言う。


「二人とも、すごく、よくして、くれるから……」

「そりゃあ人格も問題ないやつにしたからな」

「藤堂さん、いつも、飴、くれます」

「餌付けされてるな……」

「霜月、さん、ゲーム、うまい、です」

「仲良くし過ぎだろ」


 どうやら狼星は自分が派遣させた護衛に嫉妬しているようだ。

 雛菊は狼星の尖った唇を見て、何となく察する。


「雛菊、狼星さま、と、も、仲良し、です、よ」

「でも俺は近くに居ないから……」


 狼星は寂しそうに言う。


「きっとその内、藤堂と霜月のほうが俺よりひなと仲良くなってしまうのかもな」


 冗談で拗ねてみせたのだが、雛菊はそれを真面目に受け止めてしまったようだ。

 あわあわと慌てふためいた後、一度こたつを抜け出して、それから狼星の傍に近寄り、すとんと腰を下ろしてまたこたつに足を入れた。

 互いに肩をぴったりとくっつけなくてはならない場所に敢えて移動したのだ。


「ひな」

「ほら、ね、狼星さま、と、雛菊、仲良し、です」


 きっと、こういうことは護衛の二人とはしないよ、と言いたいのだろう。


「ね」

「うん……」


 狼星は思わぬ接近にどぎまぎした。

 棚からぼたもち、という言葉が頭の中に浮かぶ。


――でもこれ、さくらが戻ってきたみたらめちゃくちゃ怒る案件だな。


 と同時にこれから起こる未来も予見して、顔色が悪くもなった。


「ひな」

「はい」


 だが、今は考えないが吉だ。


「俺が一番仲の良い友達だよな?」


 確認するように尋ねると、雛菊はすぐに頷かず、困った様子を見せた。


「……俺、友達じゃないか」

「ち、ちがうの、ちがいます、でも……さ、さくらが」

「ああ」


 狼星は雛菊の動揺の理由を納得する。

 さくらが一番だというのは変えようのない事実だ。

 きっとそれは、どれだけ年月が経っても変動しない順位だろう。


「さくらは仕方ないな。じゃあ二番。男なら俺が一番だ」

「はい」

「男なら俺が一番……」

「はい」

「俺が一番……」


 その甘美な響きに狼星は気が大きくなる。


「一番なら、どれくらい仲良くしてもいい?」


 そう言うと、狼星はこたつの布団の中で雛菊の手を握った。

 二人が手を繋ぐのはそこまで特別なことではない。


 再会してから狼星は事あるごとに雛菊のエスコートを申し出ている。一緒に居る時はままあることだ。

 さくらは舌打ちしつつも雛菊の迷子防止で許容してくれているのでもはや公認の常態ではある。しかし、それはあくまで外でのこと。

 こんな風に、部屋の中で何の理由もなく手を繋ぐなどしてきてはいなかった。

 雛菊はまたあわあわと慌てる。


「狼星、さま、雛菊」

「あー……嫌か」

「ち、ちが、ちがむ、ます」

「違います?」

「雛菊、みかん、むいた、あとです」

「何だ。俺もだよ」


 どうやら拒否されているわけではない。それを知れて狼星は安心した。

 と同時に想い人が慌てる様子を見て幸福感に包まれる。

 彼女はとても照れている。『お友だち』ではあるが意識はしてもらえているのだとわかった。


「おてて、洗ってくる、よ。狼星さま、の、おててが」

「みかんの匂いしててもいいだろ」

「でも……」

「小さい頃はそんなの気にしなかっただろ」

「……だって、もう、雛菊、ちいさくない、です」


 雛菊が大層照れた様子でそう言う。


「雛菊、十七歳、だもの」


 妙に艶っぽく聞こえた。


「……うん。それもそうか」


 狼星は不意打ちの攻撃に、それ以上言葉が出なくなった。

 再会した時に十六歳だった彼女は昨年の四月の終わりに十七歳になっていた。

 今年はもう十八だ。十八に見えるか見えないかで言えば見えないのだが、彼女は確かにもう小さくはない。心は幼子のままでも春の妖精と言っても差し支えないほど美しく成長している。

 

「ごめん。俺達には早かった」


 狼星は手を放すと、こたつから抜け出して近くのサイドテーブルから箱入りのウェットティッシュを持ってきた。またこたつに入ってから、雛菊の手を取りウェットティッシュで綺麗に拭いてやる。


「よし、ぴかぴかだ」


 照れさせてしまった詫びと、自分は怖い相手ではないと思ってもらう為に笑顔を見せながら言う。あとは自分の手を拭こうと思ったら、雛菊が同じように狼星の手をとった。


「雛菊、ふきふき、します」

「あ、ありがとう」


 しばらく、互いに無言になる。するのは良いが、してもらうのは気恥ずかしい。

 顔を眺めていたいが、あまり見つめすぎるのもよくない。

 狼星は何となく視線を外していたら、雛菊が声をかけた。


「狼星さま……」

「うん?」


 雛菊は綺麗になった狼星の手をぴかぴかの手で掴む。


「もういっかい、いい、ですか……?」


 ぎゅっと手が握られた。


「い、いいのか」


 狼星の心臓もぎゅっと締め付けられる。


「はい」

「俺の手が汚れてたから駄目だった?」


 予想外のことを言われたのか、雛菊は途端に青ざめて顔をぶんぶんと横に振った。


「ち、ちがうの」

「そうか」

「本当に、ちがう、よ……」

「わかった、わかった。顔を見ればわかる」


 雛菊は尚も悲しげに『違う』と言う。


「あのね、雛菊が、ただ……あの……えっと……」


 どうやら言いたいことがあるが言葉がうまくまとまらないようだ。

 狼星は繋いだ手を揺らしながら優しく言う。


「ゆっくりでいい」

「……うん」


 少し黙ってから、雛菊はまた言葉を紡ぎ始めた。


「あのね……おてて、つなぐなら……」


 今度は、狼星が思ってもいなかったことを言われる番だった。


「狼星さまと、おてて、つなぐなら、きれいでいたかった、の」



 狼星の呼吸が止まる。


「雛菊が、きれいで、いたかった、の」


 それは、乙女心だ。


「ただ……なるべく、綺麗で、いたかった、の……」


 貴方の前では、綺麗でいたいという恥じらいに他ならない。


 雛菊は声も出せないでいる狼星に、囁く。



「雛菊、わがまま、でした。おてて、つなげる、なら……みかん、でも、いいです」



 そう言ってより一層強く狼星の手を握る。



「……狼星、さま?」

「うん……」


 雛菊はそっぽを向いてしまった狼星に恐る恐る声をかける。


「おかお、どして、そっちむくの」

「いや、その、な」

「雛菊、いま、しつれいな、こと、言ったから……ですか」

「違う。むしろ逆で……めちゃくちゃ嬉しくなってしまったから顔がもとに戻るのを待ってる」


 雛菊から見える部分だと耳は赤くなっているのがわかる。

 他は何が違うかわからない。


「おかお、変わるの」

「いますごく変形してる」

「へんけい」

「俺も君の前ではなるべく格好良くいたいんだ。だからちょっと待ってくれ」

「……狼星、さまも?」

「そう。俺もだよ……」

「じゃあ、雛菊のきもち、変じゃない?」

「変じゃない。ずっとそのままでいてくれ」


 それからさくらと凍蝶が自慢げな顔で甘酒を運んでくるまで、狼星と雛菊は手を繋ぎ続けた。無言の時間が長かったが、喋らなくてもいい時間もある。



 それすらも尊くなるものだ。



 二人は恋をしているのだから。

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