春夏秋冬代行者 暁の射手 外伝 ~冬夏青青~②


 輝矢様に偽名を考えるよう言われてから、おれはノートに候補の名前を記入して考えてみた。名前を新しく考えるなんて不思議だ。でもわくわくする。

 映画に出てくるスパイみたいじゃないか。

 おれは世界中を飛び回らないけど、でも民から目を欺かなければならない存在なのは同じだ。


――めちゃくちゃ格好良い名前にしたい。


 手は勝手に創造性溢れる名前を作っていた。

 ただ、困ったのは名字だった。

 うちの一族、『巫覡』は神職名だ。いわゆる『家』を示すものではない。

 互いに挨拶する時も『どこそこに住んでる誰と誰の子供の◯◯です』という具合で、名前で呼び合うのが普通。

 名字という新しい概念を自分に取り入れようとする時、本来なら輝矢様が言うように親が持っている偽の名字に入れてもらうほうがいい。巫覡の一族とのやり取りでも色んな手続きが遡りやすくなるだろう。


――輝矢様もご家族の名字らしいし。


 小さい頃に竜宮へ連れてこられて神様になってしまった輝矢様。

 もうご家族とは疎遠になりすぎてしまって、ほとんど会うことがないそうだけど名字は同じものを選んだのは繋がりを求めたからじゃないかなっておれは思う。

 その気持ちはとても理解出来るし、おれは過去の幼い輝矢様のもとに走ってぎゅっと抱きしめてあげたいくらい切なくなる。


――でも、おれは親の名字やだな。


 おれは輝矢様みたいに心根が綺麗で優しい人間ではない。

 もしかしたらあと十数年も生きていたら時間と共に親との関係も変わるのかもしれないけれど。


――やだ。


 心が狭いので胸の内に嫌な感情が渦巻いてしまう。

 

 名字のことを考え始めてから、少しばかり物思いに耽る時間が多くなった。

 仕事を疎かにしていたつもりはないけれど、きっとわかりやすかったのだろう。


「慧剣、お前なんか悩んでるか?」


 それから数日後、竜宮岳の聖域にてズバリと輝矢様に指摘された。

 もう少しで輝矢様は空に矢を放つ、という時に聞かれたのでおれは慌ててしまう。


「え、あの……」

「言いたくないなら構わないが、俺に相談して解決することなら言えよ」

「……その」

「お前が一人で何か悩んでるのに、頼ってくれないのは俺が不甲斐ないからかもしれないが……」


 そうつぶやく輝矢様は少し寂しげだった。


「輝矢様……」


『あ、やってしまった』とおれは思う。


 おれは一度輝矢様を欺いているのだ。


 この方が家族として大切にしていた人の不幸を。

 起きてしまった事実を。

 この方の心が壊れるからと隠してしまった。

 主を欺いていることに耐えきれなくておれも逃げてしまい、それから戻ろうと努力したけど病院に閉じ込められて、それから、それから……。


「お、おれ相談したいことあります! 遠慮して言えなかっただけです!」


 思わず、勢いよく言ってしまう。

 幸いなことに、輝矢様はおれの返事を聞くとぱっと顔を明るくした。


「そうか、俺が解決出来ることか?」

「……出来ますが、あの……すごく図々しいお願いなので言いにくくて……」

「構わないから言いなさい」

「あ、でも輝矢様。もう矢を射る時間です……」


 輝矢様は表情をまた変えて困り眉になる。

 頭をガシガシと掻いてから言った。


「お前、俺が気絶している間に考えを変えないよな?」


 不安そうな顔。自分がこの方にそんな顔をさせていることが申し訳ない。

 おれは大きな声で挙手をしながら言う。


「変えません!」


 輝矢様はまだ不安そうだ。


「ちゃんと時間取って聞いてやりたいから、俺が目覚めた後でも大丈夫だな?」

「大丈夫です!」


 山の上で叫ぶように答えるおれに、輝矢様はようやく笑ってくれた。


「じゃあ起きたら言えよ。家族なんだからあまり遠慮するな」


 そう言うと、輝矢様は空に視線を移した。

 深呼吸をして意識を集中させている。


「……」


 輝矢様は何気なく言ったようだけれど、おれは輝矢様のお言葉に動揺していた。


 感動もしていた。


 そうか、おれは輝矢様の家族なのか、と今更ながら思う。


「……」


 とても嬉しい。

 泣きたいくらいだ。

 でも同時に、人生のやるせなさが一気に押し寄せてきておれは誰かに問いただしたくなった。


――家族ってなんだ?


 そんな言葉が頭に浮かぶ。

 おれの本当の家族は家族の定義からはずれていて。

 他人に駄目だと言われるような存在で。

 でもおれは家族だとずっと思っていて。


 大好きでいたかったけど、いまは大嫌いで。


――良いものじゃないじゃないか。


 結論、なくても生きていける。


 他所様のところでは良いものかもしれないけど、おれにとってはそうじゃない。

 でも生きていると必ず助けが必要になってきて。

 そういう時に求められるのは家族と呼ばれる存在で。

 でもでも、やっぱりおれには家族がいなくて。


――輝矢様。


 輝矢様は、おれを家族だと言う。


――輝矢様。


 おれを家族の勘定にいれてくださる。



「……かぐやさま」



 あの夏、山の中でおれを必死に探して、帰っておいでと言ってくれたのは血の繋がりもないこの方だ。

 どんなに迷惑かけても、家に戻ってこいと言ってくれるのはおれの人生できっとこの方しかいない。


 多分、そういうのを家族と言う。


 おれはそれが嬉しいのだけれど。

 嗚呼、でも。







――輝矢様、おれなんかを家族に入れていいの?







 自分が良くない生き物だとわかっている。


 おれが輝矢様へ向ける感情は全部が全部綺麗なわけじゃない。


 そんなおれを、あなた、懐にいれてくれますか?


 後で困ったことにならない?


 おれのこと、扱いに困っても最後まで飼ってくれるの?


 おれがうだうだ考えている内にその身に夜の大いなる力を降ろした輝矢様は、低い声でおれに『慧剣、あとは頼んだ』と告げた。


 おれは考えすぎて、辛くなって、でもこの方の優しさがやっぱり嬉しくて、どうしても流れてしまう涙を見せないように少し俯いて言う。



「放てっ!!」



 刹那、空に光の矢が飛んだ。



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