春夏秋冬代行者 暁の射手 外伝 ~依依恋恋~

春夏秋冬代行者 暁の射手 外伝 ~依依恋恋~

 ※こちらの掌編は暁の射手本編後の物語となっております。ご注意下さい。




 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。

 という言葉がある。


 主馬鹿かもしれないが、おれはそれが自分の主を当てはめたような言葉だと思っている。どんな季節にいても美しい人だし、所作にも気品がある。その思いは変わらないのだが、最近の花矢様に対してこの格言をもじってこう言ってやりたい。


 立てば『弓弦どこ行くの』座れば『弓弦そっちつめて』歩く姿は『雛鳥』、だと。


「弓弦、おはよう」


 冬休み明けの休校日。神事が終わり、不知火の屋敷に戻り、一眠りして花矢様は昼近くに起きてきた。最近はあまり惰眠をむさぼらなくなっている。


「おはようございます。まだ寝ていてよかったんですよ」

「一緒に映画観るって言ってただろ」

「……そうでしたね。そんなに楽しみだったんですか」

「うん」


 まだ眠たげな顔をこちらに向けながら、花矢様は眩しい笑みを見せた。


「今日やっとお休みだ。弓弦とたくさん一緒に居られるだろ」


 ぴかぴかの笑顔である。

 嘘やおべっかなどではない。きっと本当にそう思ってくれている。


「……」


 おれはその笑顔に頭が痺れそうになりつつも平静を装う。


「いつも一緒に居るじゃないですか……」

「でも二人で余暇を過ごすのは休日じゃないと」

「最近、おれにべったりでは?」


 からかうように言ったのだが、花矢様は素直に頷いた。


「うん、そうだよ。弓弦と一緒に居たいんだもの」


 おれはまた頭が痺れた。


 何を言いたいかというと、最近我が主からの好意におれはたじろいでいる。


 元々、仲は悪くない主従なのだが、なんというか矢印の大きさや向きが違った。

 おればかり想って、花矢様はそれから逃げるような印象だったのだ。

 それが昨年の不知火岳地すべり事件後から一転して花矢様が過保護になってしまった。いや、過保護というよりかはおれの喪失がかなり堪えたようで、離れた時間を埋めるように共に過ごしたいと思ってくださるようになったと言うべきか。

『親鳥の後ろをついてくる雛鳥か』と思うことすらある。


――正直、嬉しい。


 嫌なわけではない。主に関心を抱かれて嫌な従者はいないだろう。

 大なり小なり自分を見ていて欲しいと思っているはずだ。なにせ、彼、彼女の為に生きているのだから。

 しかしなんというか、『貴方いままでそんな感じじゃなかったじゃないですか』とツッコミを入れたくなる気持ちはそれはそれとして別にある。

 新しい花矢様との一日は、心がモヤモヤでいっぱいだ。


「弓弦、ポップコーン作るの?」


 モヤモヤしながらもおれは従者業に励む。花矢様に完璧に映画を鑑賞していただく為にフライパンでポップコーンだって作る。


「はい、黄昏のお二人が家で映画を観る時に作っていると聞きまして」

「すごいすごい、映画館みたいだ」

「不知火には映画館がないですからね。近くの街まで車を飛ばせばなんとか見られますが」

「神事のこと考えると落ち着いて観られないよな。うわーすごい、はじけてきた! 弓弦、怖くないか?」

「焦がさないか不安です」

「私も何かするぞ。手伝うことないか? ジュース用意するか?」

「リビングで座って待っていてください」

「隣で応援するか。頑張れ、ポップコーン」

「何でおれを応援しないんですか」


 そうこうしているうちに映画鑑賞の準備は整った。

 今日鑑賞するタイトルは数ヶ月前に大ヒットしていた洋画だ。ようやく花矢様が契約している配信サイトで観られるようになった。


「おれ、これの前作の内容忘れてしまいました」

「とりあえずこの主役の人が強くてめちゃくちゃ敵を倒すってことだけ覚えていれば問題ない」


 花矢様はそう言いながら共に座っている長椅子から少し腰を浮かしてまた着地する。おれに近い位置に移動した。


「弓弦、クッション」

「あ、はい」


 おれが手渡したクッションを腕の中におさめると、そのままこてんと頭をおれの肩に預けてきた。


「……」

「よし、始めるぞ。字幕と吹き替え間違えないようにしなきゃ」


 この体勢に釈然としないまま映画の視聴は開始された。


「私、この俳優さん好きなんだ。他の作品でも素敵だったんだよ。演技がうまいのに変な配役ばかりで悲しかったんだが、これは当たりだな」

「はあ……」

「弓弦も銃を練習してるよな。ああいうこと出来るか?」

「はあ……あ、いや無理ですね」

「だよなあ。こういうのって現実的じゃない動きだけど……でも四季の代行者様の護衛官は身体能力がすごいんだって。きっと出来るんじゃないかな」

「あちらは賊との戦いがありますからね」

「そう、それって大変……うわー血がめちゃくちゃ出てる!」


 花矢様はクッションを抱きしめているくせにおれの腕に顔を押し付けて流血シーンをやりすごした。


「……」


 映画は多分面白い。多分というのは花矢様がおれにくっついて視聴しているので話がまったく頭に入ってこないせいだ。映像やストーリーは認識出来るのだが、意識が右肩にほとんど向けられている。花矢様が触れてくるからだ。


――集中できない。


 嫌ではない。もちろん、嫌ではない。

 主が甘えるようにくっついてきて嫌な従者はいない……いや、わからない。

 中にはいるかもしれないが……。おれは、はっきり言ってしまえばこの御方に恋慕を抱いているのでまったく嫌ではない。ただ問題はこの御方にはおれが望むような感情が無いということだった。花矢様はおれを好いてくれているが。


――恋ではない。


 もしかしたら恋になるのかもしれないが、いまは主従愛が大きい。

 傍にいてくれと願われて、抱擁までしたが、違うのだ。


 悲しいことに、花矢様は絵に描いたような箱入り娘だった。


 学校でも初心すぎて御学友から恋愛の話を振ってもらえないほどに。

 おれも花矢様のご両親も慎みを持つように言い聞かせてきた。

 もちろん外出した際にも変な輩に接触されないように完全な防壁を作ってきた。

 花矢様もそれを受け入れて現在に至る。


 一生傍に居てくれと願うほどの男が居たとしても、そこで恋愛の舵取りにならないのが巫覡花矢様という純粋培養の神様だ。


 そもそもおれ達は主従だし、花矢様は守り人として傍に居て欲しいのだし、至極真っ当で……。距離が近いのだっていまに限ったことではなく、おれ達が多少くっついていても別におかしいことではなく……。


――でも少しくらい意識してくれ。


 不満に思うが花矢様が壊滅的な恋愛弱者として育った責任はおれにもある。

  

――おれはどうしたら?


 どうにも出来ないのである。


――前は良かった。


 追いかけるおれにたじろぐ花矢様を見て、振り向いてくれない苛立ちを感じながらも自分から攻めていけた。返ってくる反応を見て溜飲を下げていた。


――何も出来ん。


 こうしてモヤモヤするしかない。

 

 身分差がある。逸脱した行為は出来ない。

 そしておれもご両親から花矢様を託されて守っているという自覚がある。

 花矢様におれを意識してくれと言えないのも、この方が神だからだ。

 管理された世界で生きさせて、あまり色んな欲を持たない生活をさせている神だ。

 それなのにおれの欲だけ押し付けるのはどうなのか。


――現状を甘んじて受け止めるべきではある。


 多くを望まない、望めない人がおれのことだけは本気で諦めずにあがいて救ってくださった。そしてまた手元に置いてくださった。

 それで満足すべき。十分ではないかと。


「……」

「わー! すごい衣装! 綺麗だな」

「…………」

「車が大破した! もったいない!」

「………………」


 しばらく、映画を鑑賞しながら悟りを開こうと努力してみたがやはり無理だった。


――悟れるわけないだろ。


 他の奴にやらん為にもこの人の意識を変えていくしかない。

 そんなことを思いながらおれは花矢様を見る。

 おれが作ったポップコーンを美味しそうに食べている。

 視線に気づいた。


「ごめん、私ばかり食べてた」


 そう言って、わざわざおれの口元にポップコーンを運んできた。

 手ずから食べさせようとしてくれている。


「お行儀が悪いですよ」


 おれは唇の前で浮遊しているポップコーンを安易に受け取りはしなかった。


「食べたいのかと思った。何だよ、いらないのか」


 花矢様はポップコーンをひっこめようとする。

 おれは花矢様の腕を掴んだ。


「食べます……」


 羞恥を感じながらも朝の神の御手からポップコーンを口に放り込んでもらった。唇に少し手が触れる。


「美味しい?」


 花矢様は無邪気に笑う。心拍数に何の変化もない顔つきに苛ついた。


――人の気も知らないで。


 掴んだ腕を放して、おれは想い人を見るのをやめる。映画を普通に観ることにしたのだが、今度は花矢様のほうがおれに関心を持ち始めた。


「ねえ、弓弦」


 映画そっちのけで話しかけてくる。


「弓弦、遠くの神社に居た時は精進料理ばかりだっただろ」

「そうですね」

「美味しいものこれからいっぱい一緒に食べような」

「……そうですね」

「ポップコーン美味かったか?」

「はあ」

「なんか上の空だな」

「そうかもしれませんね」

「その調子だとなんでも肯定してくれるんじゃないか」

「そうですね」

「この映画面白いだろ?」

「そうですね」

「私が貸した漫画の感想そろそろ聞かせてよ」

「そうですね」

「コンビニ行きたいけど車出してもらうの悪いよな。明日にしようか」

「はあ」

「……」

「……」

「……弓弦、私と居るとつまらないか。お前、守り人辞めたいか」


 おれは首をぐるんと捻って花矢様に険のある顔を見せた。


「何言ってるんですか。怒りますよ」


 言い聞かせるようにしっかりと目を見て言う。

 すると、花矢様は口を尖らせた。


「おい、聞いてるんじゃないか!」


 花矢様が怒ってくれたおかげで、おれは少し自分の調子が戻ってきた。


「聞いてますよ、当たり前でしょう」

「じゃあちゃんと返事してよ」

「してたでしょう。それより冗談でもそういうことを言わないでください」

「弓弦もちゃんと私の話を聞いてよ」

「聞いてますよ」

「うそだ!」

「おれにとって重要な情報以外は話半分で聞いていただけです」


 花矢様がおれの肩をグーパンで殴りながら『馬鹿弓弦』と暴言を吐いた。

 おれはくくっと笑う。

 少し胸がスッとした。モヤモヤした心も一旦横に置くことが出来そうだ。


「映画を観ながらですから。それで返事がおろそかになっただけですよ。ポップコーンご馳走様です……作ったのおれですけど」


 おれと花矢様の歩幅が違うのは仕方ないのだ。

 この方はおれが抱きしめれば腕におさまるくらいお小さいのだから。


「私も塩を振ったぞ」

「だからちょっとしょっぱいんですね」


 一度は互いに抱擁したことがあるという事実が傷心のおれをなぐさめてくれた。


「意地悪弓弦。もうあげない」


 本格的に花矢様がむくれてきたので、機嫌を取らねば。おれは従者モードに心を切り替えた。


「すみませんでした。もう一口食べたいです」

「勝手に食べればいいだろ」

「手ずから食べさせてくださらないんですか」

「お行儀悪いって言ったくせに」

「お行儀は悪いですが、食べさせてもらえるのは嬉しいです」

「……」

「主がしてくれるんですから、嬉しいに決まっているでしょう」

「文句言ってた」

「建前です。朱里様と英泉様には内緒にしてください。下僕が主に食べさせてもらったというのは外聞が悪いと思いませんか?」

「……本当にああ言えばこう言う守り人だな」


 それでも、花矢様は食べさせてくれた。


「美味しい?」


 美味しいと言って欲しいのだ。頑張って塩を振っていたから。

 おれは微笑んだ。


「美味しいです」

「あのな、次はキャラメルのやつ食べたい」

「レシピ調べますね」

「一緒に作ろうな」

「はい」

「……」

「……なあ弓弦」

「はい」

「……弓弦、寂しいかもしれないけど、二人で暮らすのも悪くないよな」


 おれは『何言ってるんだこの人は』と思った。


 もしかしたら殊更一緒に何かしようと言うのも、そのせいなのかもしれない。

 事件後、親子の同居が解禁されたのだが、花矢様はご両親と話し合った上でおれとの二人暮らしを選んでいた。


「朱里様と英泉様は夫婦関係をもっと修復すべきですよ。それに、近くに住んでらっしゃるのですし、寂しさなど感じません。ほぼ毎日顔を見せに来られているではありませんか」


 おれは貴方と二人きりが良いに決まってるだろう。惚れてるんだから。

 そんな言葉は喉奥に引っ込ませて囁いた。


「……そっか。そうだよな、うん」

「そうですよ」


 焦ることはない。


 おれ達はひっそりと北国でこうして生きている。


 花矢様もいつかはおれを見てくれるだろう。


 いや、見ろ。


「わ、また流血シーンだ!」

「はい、どうぞ。おれの腕を目隠しにでも何でも使ってください」

「終わった?」

「まだです」

「終わったら言って」

「かしこまりました」

「終わった?」

「まだですよ」




 おれを見て、花矢様。

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