恋の闇路

 ※こちらの掌編集は夏の舞本編後の物語となっております。ご注意下さい。




 とある寒い日。


 喧嘩した。


 雷鳥さんと喧嘩した。


 すっごいくだらない理由で喧嘩して、それが本当にくだらなくて、あたしってば何であんなことで怒っちゃったんだろう、怒ることなかったよねってもう我に返ってるんだけど怒りに引っ込みがつかなくなって、そういうことって人間ってままあるし、あたしも結婚した相手と喧嘩するのは初めてではないから、なんかこう、今まで溜まってたこととかうわーってなっちゃって、もう許さないぞモードになって、それでそれで、あたしこと葉桜瑠璃はもうかれこれ一時間とある場所に引き籠もっている。


「瑠璃、お願いです。出てきてください」

「……」

「せめて場所を移動しませんか」

「…………」

「僕、端的に言うと雉を撃ちたいし花を摘みたいんです」

「やっ!」


 あたしはお手洗いに引き籠もっている。


 此処が一番効果的だとわかっていた。ちなみにこれは葉桜の家でもやったことがあるけど滅茶苦茶怒られるから基本的にはやらないほうが良い。

 だって人間の尊厳を奪う行為に繋がるもの。

 でも、今回の場合、雷鳥さんは本当に切羽詰まったら数軒先のあやめと連理さんの家に駆け込めばいいからそこまで悪じゃないと思う。

 あやめの家のお手洗いはすごく良い匂いがしてトイレットペーパーの色もお花柄でとても可愛い。


「雷鳥さん、お手洗い行きたいならあっちの家行きなよ! 大好きな連理さんが待ってるじゃん」

「連理くんのことは大好きですけど、他人の家のトイレを借りに行く理由が『奥さんにトイレを占拠されて』というの、すごい情けないんですが……」

「いいじゃん、普段から借りてるんだし。今日だって……あたしとドラマの続き見るはずだったのにあっちの家でずーっとゲームして……そこでもお手洗い借りてるじゃん! 何度でも借りなよ!」


 あたしが今日怒ってしまった理由はこれだった。

 最近、雷鳥さんと見始めた海外ドラマの新しいシーズンが今日の午後六時に更新されていた。あたし達は一ヶ月前からそれを最速で見ようねって約束してた。

 でも、そんな日に限って雷鳥さんと連理さんがやっているなんかのゲームで『大規模レイド』ってやつが始まってしまったらしく、そっちを優先された。


 二人であやめと連理さんの家にお邪魔してたんだけど、そのレイドってやつのせいで、雷鳥さんはまったく帰る気配なくなって、ずーっと連理さんとゲームしてるの。 

 そろそろお家に帰ろうって言っても聞いてくれない。

 ついにはドラマの公開時間になっちゃった。映像配信サイトで観ているやつだから、別にすぐじゃなくても後でも見られるんだけど、でも約束したのに。

 雷鳥さんのあと少しって言葉をずっと聞かされて、それでもうあたし呆れちゃって一人で帰るって家を出たら、雷鳥さんが慌ててついてきた。でもそこで捕まるあたしじゃない。走ってお手洗いに駆け込んだ。


 そうしてこの攻防戦が起きている。


「……その点については、もう何度も謝ったじゃないですか。多少遅れたけど、すぐ帰ってきたでしょう? あのドラマは今から見れば良いじゃないですか」

「そういうことじゃないの!」


 お互い言いたいことがずれている、とあたしは思う。

 でもうまく言えない。


「瑠璃……」

「とにかくあたしはもう此処で暮らすから」

「トイレで? 正気ですか」

「雷鳥さんが寝てる時に此処から出てご飯を食べてお風呂に入るよ」

「僕は瑠璃とご飯を食べてお風呂に入りたいんですけど」

「連理さんとしなよ」

「……あの、彼はあやめさんの夫ですよ」

「知らないよ。連理さんとしなよ」


 それから雷鳥さんは黙ってしまった。

 あたし自身、こんなに怒ることないのになって思ってはいるんだけど、ここで怒らないとこれからもあたしが嫌だと思うことを軽んじられるぞ、と思って後に引けない。


「瑠璃」

「や!」

「違います。本当に雉撃ちに行きたいので、僕ちょっとあっちの家行ってきていいですか?」

「……」

「あの、三分、いや五分で戻るんで」

「…………」

「一人で家から出ないでくださいね? 僕が嫌でも、駄目ですよ。まだ里内の動きが落ち着いてるわけじゃないんですから。セキュリティロック最高レベルにしてから出ます。警報なったら、訓練している通り眷属と一緒に部屋に向かってください」

「………………」

「いってきます、瑠璃」


 それから足音がして、やがて人の気配も消えていった。

 あたしは罪悪感で胸が苦しくなる。

 さすがにお手洗い占拠はまずかったかもしれない。

 子どもの時も怒られた。

 雷鳥さんは優しいから怒らなかったけど、あたしが同じことをされたら問題をそっちのけで酷い仕打ちに怒っちゃうかも。そんなことしないで、どうして話し合いに応じてくれないのって。


「……」


 あたしは一ヶ月前からドラマを楽しみにしてたけど、雷鳥さんはそんなに楽しみじゃなかったのかもしれない。あたしが好きなドラマだからただ一緒に見てくれていたのかも。でも、夫婦なんだし、互いに楽しく過ごせる時間を持とうと努力するのって大切だと思うんだけど……。


「…………」


 お手洗いの蓋、あたしの体重を支え続けてくれてるけど、これ本当は座っちゃいけない。あたしの体重のせいでヒビとか出来たらどうしよう。というかお手洗い寒い。だっていま冬だもん。お手洗いにも暖房をつけよう。工事とか要るのかな。


「………………」


 雷鳥さん、冬の中、お外に出ていかせちゃった。


 あたしはそこでもう観念して、立ち上がり、お手洗いから出た。


「……居ない」


 すぐに同居している眷属の犬や猫、鳥がよってきて、『大丈夫か』と聞いてくる。

 あたしはあんまり大丈夫じゃなくて首を横に振る。

『かみ殺す?』という問いかけには『やめて』と答えた。


 賊とも戦ってきた歴戦の仲間達なので思考が好戦的過ぎる。

 そういう風に育てた。

 あたしの旦那様だよって言い聞かしてるけど、まだ雷鳥さんのことをそんなに認めていない。

 あたしの、さっきみたいな態度がいけないのかも。

 彼を軽んじるようなことをしてるし、その姿を眷属に見せているのはあたしだ。


 あたしはたまらなくなって、玄関のほうへ行った。

 まだ雷鳥さんが戻ってくる様子はない。今からでも走って追いかけてごめんねって言ったほうがいいかも。

 でも、お外に一人で出ちゃいけないって言われたし、出たら怒られるかも。

 こういうことに関しては雷鳥さん、すごく厳しい。

 あたしが夏に殺されかけたから、すごく厳しい。


 というかその前にも死んでるし。


 春の時に、病室に駆け込んできた雷鳥さんは泣いてた。



「……」



 雷鳥さんは良い夫だ。



「……」



 仕方なくあたしは玄関に座り込んで待つことにした。

 寒い。ジメジメブリザードマンがくれる季節は、お手洗いに籠城してた女には堪える。リビングで温まりたい。

 でも、ぬくぬく帰りを待つのは違う気がする。


「……」


 帰りが遅い。

 何かあったのかな。あたしのこと、あやめや連理さんと話しているのかも。

 あとで電話であやめに怒られそう。連理さんはかばってくれるかも。

 でもあやめには怒られそう。


「……」


 あたしは耐えきれなくなって、警報とロックを解除して、靴を履いて玄関の扉を開けた。すると、外の冷たい風が一気に全身を襲った。空も暗い。輝矢様が夜をくれたんだ。それにしても、コートとか着ていないから本当に寒い。

 そのまま外に出る。あやめの家のほうをちらりと見ると、人影が見えた。


「瑠璃っ!」


 雷鳥さんが大声を上げた。

 それから、本当にものすごい速さでこっちに走ってきて、あたしに体当たりしたかと思ったら片腕であたしを肩に抱き抱えてて、そのまま部屋の中に運んだ。

 これ、獲物を攫う持ち方な気がするけど、今はそれを指摘出来ない。


「何やってるんですか! 外に一人で出ちゃ駄目だって言ったでしょう!」

「ごめんなさい……」

「……遅くなったのは僕が悪いです。でも、お願いですから警備に関しての忠告は守って! これは護衛官としての言葉です! せめて眷属引き連れてください!」

「ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「……」

「降ろして……」


 雷鳥さんはまだ感情を割り切れていない様子で、そのままあたしを担いでリビングに歩いて行ってしまった。こんなの丸太と一緒だよ。

 それからやっと長椅子に降ろして座らせてくれたけど、すぐに考えを変えたのか、またあたしを玩具みたいに持ち上げて、今度は膝に乗せて羽交い締めにした。


「くるしい……」

「お仕置きの刑です」


 大蛇に絞められる感覚ってこんなものなのかな。大蛇を使役したことがないあたしはいま考えなくて良いことを想像してしまう。

 いけない、ちゃんと謝ろう。


「雷鳥さん、ごめんなさい」

「……」

「いいつけ、守らなくてごめんなさい」

「……」

「今日、怒ったのもごめんなさい……。雷鳥さんと一緒に楽しくドラマ観たかっただけなの。連理さんにちょっと嫉妬もした。嫌な気持ちにさせてごめんね……」


 一度素直になったら、するする謝れた。

 そうだよ、最初からこうするべきだったんだ。

 こんなに嫌な子な部分を相手に見せてまで、言うようなことじゃなかった。


「……瑠璃」

「ごめんね」

「何で先に謝っちゃうんですか……」

「雷鳥さんはいっぱい謝ってたじゃん。あたしの番だった」


 あたしの言葉に雷鳥さんは首を横に振った。


「僕が悪いんです。連理くんにも怒られました」

「え、何で」

「『瑠璃ちゃんが怒るのも当然だ。論点が違う』って」

「……ろんてん」

「ほら、瑠璃との約束のことはあちらで話題にしてなかったから、先程、何で瑠璃が怒って帰ったか改めて説明したんですよ。そしたら連理くんが……それはもう哀れなものを見るような目つきで言いました」


 連理さんはよく雷鳥さんに呆れてるからその目つきはありありと想像出来た。


「瑠璃が怒っているのは約束を反故にされたこと。信頼を欠いた行為についてだって。僕は……『でもそれは取り返しがつくしそんなに怒ることないでしょう』と論点をずらしてるって」


 言われてみると、確かにそんな気がしてきた。連理さんすごい。あたしが本当は言いたかったことをすごく整理してくれてる。


「信頼について話しているのに、原状回復の話をしてる。だから論点が違うと。原状回復をしたいならまず信頼について相手とちゃんと話すべきだし、納得してもらうべきだと。言われてみれば確かに、と思いました。本当にごめんなさい……」

「……」

「架空の世界で稼げる経験値より妻からの信頼のほうが大事なはずなのに……」

「……うん」

「去年は仕事で参加出来なかった復刻イベントを、男友達と出来ると思ったらすごく嬉しくて……はしゃぎすぎました。ほら、僕って現実の友達は少ないから」

「……」

「というかまともに遊ぶような関係は連理くんくらいなんですけど」

「雷鳥さん良かったね。連理さんと出会えて……」


 あたしは何だか気が抜けた。

 そのままうんしょうんしょと手を伸ばして、雷鳥さんの頭を撫でる。


「あたしこそごめんね。連理さん、あたしが怒ったことで気を悪くしちゃったら困るし……後で電話で謝るね」

「瑠璃が謝ることはありません」

「駄目だよ。だってあやめの旦那様で、雷鳥さんのお友達なんだもん。あたしって好きな人への独占欲がすごいから……偶に嫌なやつになるんだよね。反省……」


 雷鳥さんはあたしに頭を撫でられながら、ちょっと呆けた顔をした。


「好きな人ですか」

「え、そりゃそうでしょ」

「でもほら、瑠璃ってあやめさんが一番だから」

「そ、そこもそうなんだけど……雷鳥さんが一番でもあるんだよ」

「……」

「雷鳥さん、好きに決まってるじゃん。結婚してるのに何言ってるの。なんか毎回そうやって不思議がるよね。変なの」

「瑠璃!」


 あたしはまた身体を筋骨隆々の腕で締め上げられて軽く悲鳴を上げた。


 それから、あたし達はちゃんと仲直りをした。

 連理さんにも電話して謝った。もう夜遅いから、明日ちゃんとごめんねのお詫びの品を持って出向くとして、今日はお電話で。

 携帯端末から聞こえる連理さんの声は優しくて、なんだか胸があったかくなった。

 出会った頃はあたしからあやめを奪う恋敵みたいに思ってたけど、今じゃ竜胆さまと同じくらい頼りになるお兄さんだ。


 ちなみにあやめからは『お手洗いに籠城するのはやめなさい』って、わりと本気のお叱りをもらい、しゅんとした。


 ぐうの音も出ないほど正しいあやめの説教の言葉を聞きながら、あたしは思った。

 こうして話しながらもあたしはあやめを大好きだなと思ってるわけだけど、それは雷鳥さんへの気持ちとはやっぱり違うんだよね。


 あたしのことを見てよ、とあやめ以外に言う自分は昔なら想像出来なかった。


『瑠璃、あなた話を聞いてるの?』

「聞いてる」

『お姉ちゃんを困らせて楽しんでたりしないでしょうね……。うちはあなた達夫婦の駆け込み寺じゃないんですよ』

「ごめん」


 まだあやめのお小言が続く。あたしは横で会話を聞いている雷鳥さんを見た。

 目が合うと、にっこり笑って頭を撫でてくれた。


 嗚呼、神様。



 あたしは大量の愛を持て余していて、でも彼ならどうにかしてくれそうです。



『ちょっと、瑠璃、聞いてないでしょ』

「聞いてる聞いてる」




 誰にも言わないけど、あたしは心の中でそう思った。




 神様も偶には良い采配をする。




 夏の神様、雷鳥さんをあたしにくれてありがとうございます。





 あたしはいま、幸せです。

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