春夏秋冬代行者外伝 ~一夜酒~③
場所は変わって、披露宴会場内上座。
四季の代行者と護衛官は大きなテーブルでひとまとめに席を配置されていた。秋の代行者祝月撫子と、代行者護衛官の阿左美竜胆は春主従や冬主従と会話をしながらなごやかに食事中だ。
「撫子、もう食べられそうにないですか? 紅茶でも用意しましょうか」
竜胆は撫子が箸を止めたのを見てそう言った。
「うん……おなかいっぱいになってきたわ……。りんどうは? わたくしのことばっかり……」
「適度に食べてますよ。嗚呼……撫子、行きたがっていたスイーツビュッフェの人通りが空いてきましたが、やめておきますか?」
撫子は自分のお腹を少し見た後、それからスイーツビュッフェの方向に目をやった。
きらびやかで宝石のような菓子達が撫子を誘っている。とても美味しそうだ。
きっと竜宮特産の果実などをふんだんに使った珍しいものばかりなはず。
――ひとくちだけなら食べたい……。
しかし小さな身体は食が細く、もうあまり入りそうにない。
そう思っていたら、竜胆がどきりとすることを良い声音で囁いてきた。
「おなかがいっぱいだけど、ケーキは一口だけ食べたい?」
すわ、超能力者かと言わんばかりに驚いて、撫子は目を見開く。
「りんどう、どうしてわかるの……?」
純粋な主の可愛らしい反応に、竜胆はついつい頬を緩める。
「そういう顔をなさってますよ、お姫様」
撫子は恥ずかしくなって顔を隠すようにうつむいてしまう。
竜胆は照れる撫子の表情を愛でながら言う。
「打開策として、俺とシェアしましょうか」
「……わたくし、ひとくちだけ食べてもいいの?」
「もちろん。俺が責任を持って残りを食べます」
「りんどうもケーキ食べたいの……? わたくしのために言っていない……?」
「いいえ」
――貴女が満足する様子を見たくて食べたいから間違ってない。
内心、そんなことを考えながら竜胆はしれっと言う。
「俺が撫子に嘘を言うわけないでしょう」
それから立ち上がり、同じテーブルに居る春主従と冬主従に向けて言う。
「皆様にも何かお持ちしましょうか?」
春の少女神花葉雛菊は、撫子と同じく少食故に箸がまったく進んでおらず、その護衛官の姫鷹さくらも完食には至っていなかった。
冬の代行者寒椿狼星は食事より大和酒を楽しむほうに移行しており、護衛官の寒月凍蝶は箸休めにお茶を飲んでいる。
四人はまだ大丈夫だと断りを入れた。竜胆と撫子はそれでは、とデザートビュッフェへ向かう。
「さくら、お前食前酒も手を付けてないんだな」
二人が席を離れると、おもむろに狼星がさくらに向けてそう言った。
さくらは自身の目の前にあるグラスを見る。
「職務中なんだから当たり前だろう」
「食前酒如きで気にすることか? 凍蝶は飲んでるぞ」
さくらは凍蝶のほうを見る。確かに食前酒のグラスは空で、他にも空のお猪口やグラスが片付けられる前の産物として残されていた。凍蝶は指摘に苦笑する。
「みんなグラス片手に挨拶に来るんだ。付き合いだよ……。護衛官の仕事は各関係者との連携も含む。これも仕事の内だ。……言い訳をするようだが、私は酒より温かいお茶をいただくほうが好きだぞ」
これは嘘ではない。凍蝶は何か飲むとなったら大抵お茶を飲んでいる。
そして護衛官の仕事が警護だけでなく秘書的役割も含み、時には関係者と酒を飲まなくてはならないのも真実だ。
「だとさ。お前も飲んでいいんだぞ、さくら」
どうやら狼星はそこが言いたかったらしい。雛菊がくすくすと笑う。
「さくら、お酒、のむ?」
「雛菊様まで……」
「雛菊、まだ、お酒、のめない、から……さくら、さきに、せんぱい、だね」
「先輩……ですか」
「さくら、せんぱい」
「あ、それは駄目です。新しい扉が開きそうなので駄目です雛菊様……」
雛菊に愛らしく『先輩』と呼ばれてときめいた後、少し我に返ってからさくらは言った。
「……冬の男達は酒が強いよな。私はその……まだ酒がよくわからないんだ」
「まあ、こういうのは大体近くに居る年長者に教わるか、自分で興味を持って挑むもんだしな」
狼星の言葉にさくらは頷く。それから窺うように尋ねた。
「多分、飲めるようになったほうが良いんだろうけど……。酔ってしまったら仕事にならない。そうだよな?」
狼星は凍蝶と顔を見合わす。
「いやぁ、正直数杯で仕事出来ないってことはないぞ。これも慣れかもしれんが……俺、酔ったことないんだよな。凍蝶が途中で取り上げるんだよ……。凍蝶、お前は酔うまで飲んだことあるか?」
「若い頃は、親戚や年上の者達にしこたま飲まされたことはあるが……酔う、という状態までいったことはないな……」
「お前いつも片付けやらされるほうだもんな」
「そうなんだ。酔っぱらいを布団に運ぶのと、厨番と一緒に皿やグラスを洗うのが常だった」
「ジェットコースターは酔うのに」
「肝臓と三半規管を一緒にするな」
「というわけで……さくら、ものすごく酒に弱いわけじゃない限り前後不覚になるようなことにはならんぞ。この場では無理に飲ますやつは居ないから、試したいなら何か飲んでみたらどうだ」
甘いやつならアルコール度数も低い、と狼星は卓にあったメニュー表を渡してくる。
狼星はどことなくワクワクとした様子だ。
年の近い友達に酒の味を知ってほしい。そんな青年の好奇心が見え隠れしている。
――こいつ、人で遊んでないか?
さくらはちらりと凍蝶を見る。凍蝶も止める様子はない。
そもそも、今日はこの披露宴の後も黄昏の射手を含む神様や関係者達と二次会の予定があるので飲酒を咎められる日ではない。警備は他にも居る。
年長者に見守られながらお酒を嗜むには良い門出とも言えた。
「なら、甘そうなカクテルを頼もうかな……」
さくらはぶっきらぼうにそうつぶやく。
「雛菊様、どれが良いと思いますか?」
「え、雛菊、えらんで、いい、の?」
「はい。ぜひ」
雛菊は『わぁ』と未成年らしく緊張した面持ちで酒のメニューを見る。やがて、『甘いチョコレートケーキ味』と書かれた、とあるカクテルを指し示した。
「これ、美味しそう、かも……」
「確かに。これは美味しそうですね! ではこれにします」
「美味しいかな……?」
「雛菊様が選んでくださったものですから美味しいですよ!」
二人はこの時知らなかった。
それが『レディーキラー』と呼ばれる代物とは。
数分後、卓に持ってこられたカクテルはチョコレートドリンクのような飲み物だった。さくらと雛菊は飲む前から『美味しそう』と言い、大和酒を主に好みカクテルをあまり知らない狼星も『美味しそうだな』と言った。凍蝶はまた卓に挨拶に来ていた関係者と話していたので、さくらが何を頼んだのか知らなかった。
順調に飲み進めるさくらに狼星は言う。
「もう二杯目か。どうださくら、美味いか?」
「美味しいです」
「何で敬語なんだよ。俺にも一口くれ」
狼星はさくらとの会話の違和感に気づかない。
やがて撫子と竜胆も席に戻って来たが、いつもより柔和な様子のさくらが居る、という認識しか持たなかった。
みんなが歓談している内に、さくらは言葉少なになっていき、チョコレートケーキ味のカクテルをとうとう三杯も飲んだ。
甘くて飲みやすいのだ。もう何杯か飲みたいな、と思う程度には美味しかった。
その頃には狼星も雛菊もさくらは酒が飲める人間なんだなと安心していた。
普段はこうしたことが出来ない身の上なので楽しませてやりたい。そんな心遣いで飲む姿を微笑ましく見守る。
やがて、四杯目に何を頼もうかさくらがメニューを再度見たあたりで、凍蝶が挨拶を終えた。凍蝶はさくらの様子を窺う。
さくらは凍蝶と目が合うと、にわかに頬が色づいた。
「さくら……その程度でやめておきなさい」
凍蝶が年長者らしくストップをかけた。
さくらのほうにわざわざ歩いて近づき、顔色を確認する。
「目の焦点は合ってるが……顔が赤いな。度数が高いものを飲んだんじゃないのか? 何を飲んだ?」
「……」
「さくら?」
凍蝶の問いに、雛菊が代わりにメニュー表で名称を指差し答えた。
「これ、です。凍蝶、お兄さま」
凍蝶はその名前を見てから、慌てて彼女が空にしたグラスの数をかぞえた。彼の記憶が正しければ、そのカクテルはアルコール度数が25%前後のものだったはず。
「狼星! お前、ちゃんと見てやらなかったのか? 度数を確認したか?」
「え、何のことだ……」
「これは初心者に飲ませては駄目なものだ!」
狼星と雛菊は衝撃を受けた。
「ごご、ごめん、なさい。それ、選んだの、雛菊です……」
「雛菊様が度数をわかるはずがないだろう。何で確認してやらなかったんだ、狼星」
「そんなに高いのか? メニューには書いてなかったんだが……。俺も飲ませてもらったけど……チョコレートドリンクみたいだったぞ」
「お前の適正値で計っても仕方ないだろう! 水をもらってきなさい! 今すぐ!」
さすがの狼星もすぐに動いた。周囲は冬の代行者がわざわざ動いて水をもらいにウェイターを探しに行ったのに驚いたが、本人は大慌てな様子だ。
「凍蝶、お兄、さま、ごめんなさい……」
雛菊がオロオロとしているので、凍蝶は雛菊向けの優しい声音を出す。
「いいえ、雛菊様が謝られることはありません。監督の立場に居た者が機能していなかったせいです」
「さくら、美味しいって、言ってた、けど、そんなに……だめ……な、やつ……でしたか?」
「これは美味しいけれどとても強いお酒なんです。その……大和酒やビール、ワインのように最初から酒らしい味がするわけではなく、甘味が強いので……知らず知らずの内に酔いやすいというか。お菓子も美味しいとたくさん食べてしまいますよね? あれと同じことになりやすいカクテルでして……」
「あ、あわわ……。キケン、な、おさけ……。さくら、さくら、ごめんね……大丈夫?」
しばらくみんなのやり取りをぼうっと見ていたさくらだったが、雛菊に呼ばれるとさすがに反応する。
「雛菊様……」
ろれつは回っている。
「……凍蝶様……」
ろれつは回っているが、思考は完全に混迷を極めていた。
凍蝶は久しぶりにその呼ばれ方をされて一時停止した。
「……凍蝶様、私、大丈夫です」
「……さくら?」
「これ、美味しいなと思って……でも、なんだか途中でふわふわしてきたから三杯でやめました。次はもっと軽いやつにします……」
「……さくら、四杯目はないぞ。それに……どうした……私は凍蝶だろう?」
「凍蝶様……」
「違う、凍蝶だ。今のお前はそう呼んでいる」
「……凍蝶様……?」
少しはにかんだ笑顔で首をかしげながらさくらはそう言った。
その場にいる雛菊は『まあ』という顔をした。
撫子は事態がよくわかっておらず、紅茶を飲みながらのほほんとしている。
竜胆はさくらの敬語より、それを聞いて衝撃を受けて動揺している凍蝶のほうが気になった。
「……っ」
そして凍蝶は無言で膝を叩いた。
膝を叩いて痛みを発生させなくては、たまらないものがあった。
凍蝶にとってこのさくらは破壊兵器に近い。
可愛い弟子が、いまも可愛いが、幼かった頃の呼び方をしてくれた。
それが冷静沈着な凍蝶の理性を揺らがしていた。
「さくら、小さい頃、みたい……」
雛菊も同じような気持ちになっているのか、顔に『さくらがかわいい』と書いてある。
「雛菊様、その……さくらの名誉の為にも、水をもらったら一時控室に移動させて休ませてもいいでしょうか? これは本人にとっては恐らく他人に見せたくない振る舞いかと……」
理性を揺らがされてはいたが、凍蝶は最優先でさくらのことを考えた。
それには雛菊も同意する。
「は、そう、ですね……! さくら……いやがる、そう、思います。雛菊、さくら、かいほう、します」
「いえ、主に介抱されたとなればまた落ち込むでしょうから私が少し付き合います。雛菊様は主賓のお一人ですから、自分の失態で席を外させたとなると……」
雛菊は言われてさくらが打ちひしがれて謝る様子が目に浮かんだ。
「たいへん……」
「はい、大変なことになります……」
「凍蝶、お兄さま、に、おまかせ、して、いい……ですか?」
「もちろんです。狼星が居たというのにストップをかけられなかった冬の落ち度ですから。私も酒に酔ったので、さくらを連れて風にあたってきた。先程のさくらは私達だけの秘密ということで処理しましょう」
凍蝶の目配せに、雛菊、竜胆、撫子は頷く。
やがて狼星が水をピッチャーごと持ってきた。おまけにその場で氷を作り出してピッチャーに投入する。現人神が作った氷水とは霊験あらたかだ。
「狼星、後で説教だぞ」
凍蝶は雛菊の時とは打って変わってドスの利いた声を出した。
「……甘んじて受けよう。すまんさくら……」
「狼星様、私……大丈夫です。凍蝶様が大げさなんですよ……ちょっとふわふわしてるだけなのに……」
「えっ狼星様?」
「今聞いたことは忘れろ狼星」
さくらはふわふわ状態のまま凍蝶と会場の外に出る。
「お酒、のむって、たいへん……」
無垢な雛菊の言葉に狼星は顔を手で覆う。自分の監督不行届が辛かった。
竜胆と撫子が大丈夫かと聞いてきたが、狼星は苦笑いするしかない。
「狼星、さま、雛菊、悪いのに、怒られて、ごめん、なさい」
「いや、俺こそごめん……ちゃんと見てるつもりだったんだけど……」
「さくら、たのしそうに、してて……」
「な、あいつ楽しそうにしてたよな」
「雛菊、だめなこと、わかりません、でした……」
「俺もカクテルあまり飲まないから……そういう酒があるとは知らなかった……。ほんとごめん。勉強するよ」
「お酒、の、勉強、ですか?」
「うん、酒の勉強をする……。もうさくらが俺と飲んでくれなくなったら嫌だ……」
狼星はさくらと酒が飲めるのがよほど嬉しかったのだろう。
雛菊は『きっと大丈夫ですよ』と慰めの言葉をかけながらしゅんとしている狼星の背中を優しく撫でた。
やがて宴が終わり。
黄昏の射手が山へ向かってからも、懇意にしている者だけのこぢんまりとした小宴は続いた。その頃にはさくらもすっかり元気になっており、狼星に『起きた出来事はけして口外するな、以降、これでいじってきたら暴れてやる』と脅していた。
狼星は脅されているというのに嬉しそうに笑っていた。
葉桜姉妹と新郎達は出席者のみんなが『楽しかった』と口々に披露宴を褒めてくれたことで全員笑顔になれた。
そして、いつもは神事を面倒だ面倒だと言う輝矢も、その日は張り切って山に登った。聖域で見下ろす景色の中に、現人神達が集っている場所がある。
「では黄昏の射手から祝福を」
輝矢は、そう言ってから神経を集中させた。
やがて彼の身体を光の粒子が包み始める。光は大弓の形となり、輝矢の手の中には一本の矢が生まれた。
雨の日も、風の日も、雪の日も、晴れの日も。
そして、こんな風に誰かが幸せを掴んだ日も、彼だけは休むことが許されない。
「慧剣、来た」
だが、今日はそれが誇らしい。
現人神も悪くないと、そう思える日だ。
放て、と号令がかけられると輝矢の意識は途絶えた。
次に目が覚めた時には、綺麗な夕暮れが見られることだろう。
慧剣と月燈がそれぞれ片方ずつ自分の手を握って、脈を確認していることを知って笑い出す。
こうして今日も誰かにとっては特別で、誰かにとっては何でもない日の夜が来る。
すべての人のもとに夜は平等に訪れるのだ。
それが誰の努力かは、貴方ならもう知っている。
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