第一章 夏の代行者護衛官 葉桜あやめ②




 とは言っても、二人が共に過ごせる時間は限られている。




 黄昏の射手が空の天蓋に矢を放ち夜を招くまでには、家に帰らねばならない。

 連理があやめの門限を考慮して連れて行ってくれたのは、車を走らせればそう遠くない近隣の山に存在する巨大庭園だった。

 数百種の花々が百花繚乱に咲いている。

 

「うわぁ……すごいですね……」


 夏の花が齎す強い芳香が鼻をくすぐった。


「お花、好きだよね?」


 窺うように聞かれて、あやめは興奮した面持ちで頷く。


「好きです……」

「よかった。絶対喜ぶと思ったからさ。喜んでくれた?」

「はい……」


 あやめが喜んでいる様子を見て、連理が至極嬉しそうに微笑う。

 連理はあやめと通じるところがあり、献身的な愛情を持ち合わせた人だった。

 あやめは自分の名が夏の季語である花から名付けられたこともあって花全般が好きだ。

 記憶していないが、彼に言ったことがあったのだろう。

 夏顕現の旅で気疲れしているであろう婚約者をどこへ連れ出して息抜きさせようか、きっと色々考えて此処にしてくれたのだ。 

 

『花が好きだから喜ぶはずだ』と。


――だからあんなに行こうと言ってくれてたのね。 


 いつか出会うかもしれない本当の恋人ではなく、あやめではないといけない理由がちゃんとあったのだ。あやめは喜びで胸がいっぱいになりながらも切なくなってしまった。

 連理と居ると勘違いしそうになる。

 もしかして多少なりともこちらを好いてくれているのではないかと。

 

「本当に良い庭園ですね……」


 あやめは言いながら心の中ではその考えを否定する。厚意を変に勘違いするなと自分に言い聞かせる必要があった。

 

「あやめちゃんの家も土地持ちなんだしこういうのやったら良いのに」


 あやめがこれ以上彼を好きにならないよう努力している間も彼は無邪気に話しかける。


「うちの一族は伝統を守るのに必死で、洋風庭園をやろうなんて発想はないですね」

「でっかい山持ってるのにもったいない」

「良いんですよ。何も手を加えない山があることも、大地には必要なんですから」


 この山は元々は名のある一族の所有物だったそうだ。

 それが今では他の人間に譲渡され、開発の手が加わり、古城風の宿泊施設が建設された。

 巨大庭園は古城風宿泊施設の言わばおまけのようなものだが、口コミで人気となり誰でも見に来られる場所として一般開放されている。

 いわゆるデートスポットと化していた。

 そんな場所に連理と来ていることが、あやめには照れ臭くてたまらない。

 だがすぐに正気に戻る。

 

――私達は共犯者であって恋人ではない。


 あやめの恋はこれの繰り返しだ。

 連理がすること、見せてくれる表情に一喜一憂する。冷静な仮面をつけながらも内心は舞い上がってしまう。そして現実を見て落ち込む。

 

 そうだ、これは始まったと同時に終わっている恋なのだと。

 

「……行きましょうか」


 心を殺すのに慣れすぎていたあやめは、胸の内に走った痛みをすぐに無視して忘れた。




 二人は庭園内を歩きながら話し合った。




 時間帯がちょうど昼時だったからだろうか、人々は宿泊施設内の飲食店へと流れていき遊歩道が空いていく。

 二人だけの空間になり、どんどん雰囲気がデートめいてきた。

 途中、連理が蜂に追われてあやめを放って走り回るという紳士的ではない場面もあったがそれはそれで楽しめた。あやめの心臓は否応なしに高鳴っていく。

 

「あやめちゃん、せっかくだし気に入ったお花の名前はメモしようよ。ほら、ブーケの参考に」


 連理はというと、いつもと変わらないように見える。


「ブーケって……私達の式って洋風なんですか? てっきり和風かと……」

「四季の神々が祀られた神社で婚姻の儀はやるよ。披露宴のほう。ああいうのは参加者も洋風の格好が今は主流だから、ドレスにブーケじゃないのかな。あれ、和装が良かった?」

「それでもいいですね。連理さんは、どちらが良いですか」

「うーん悩むね……いつもの俺は兄と比べて出来の悪いほうの息子って感じだけど、君との結婚式ではそういうのしたくない」

「……」

「ちゃんとあやめちゃんにふさわしい青年だねって思われたい……どっちが良いんだろ……」

「……」

「あやめちゃんはどっちがいい?」

「……あの、前から思っていたんですが」

「うん?」

「……連理さん、意識して自分を貶めていますよね……」


 連理は笑顔で応じていたが、一瞬にしてそれは消え去り、ただ虚を衝かれた顔になった。


「……」


 急に被っていた仮面を外された。そんな様子だ。


「本当はすごく真面目な人なのに、わざと軟派な感じに見せたり、自分を下に見せることが多くて……どうしてなんだろうって思ってました。服装や髪型も、演出が入っているというか。あのご両親に口うるさく言われるの、絶対わかっているのに……そうされてますよね?」


 連理はかすれた声でつぶやいた。

 

「びっくりした……」


 あやめはおずおずと尋ねる。

 

「やっぱり演技なんですか? どうして……いえ、言いたくないなら良いんですが……」


 連理はあやめの問いかけに肯定も否定もせず、ただ聞き返した。


「……いつからそんなこと思ってたの?」


 今度は平坦な声音だった。


「俺の振る舞い、演技が多いっていつからわかってた?」


 笑わない彼は何だか慣れなくて、あやめはまずいことを言ってしまったかもしれないと内心怯えた。それでもここは誠実であるべき場面だろうと思い、正直に答える。

 

「結構前から思っていましたよ……でも、確信したのはそちらのご実家に伺った時です」 


 あやめは連理の家に挨拶に行った時のことを思い出した。

 連理の姓を飾る老鶯家は里の医療を一手に司る大きな一門だ。

 連理の家は本家ではなく分家の一つだが、里でもかなり重要な存在と言える。

 両親、兄、姉、連理という家族構成。

 この中で、どうも連理は軽んじられる位置に居るようだった。



『護衛官様。長男に嫁いだほうが良いと思いますが、そんな馬鹿で本当に構わないのですか』



 連理の父親にそう言われた時には、あやめは頭の血管が切れそうになったものだ。

 結納など諸々の相談も兼ねての訪問だったが、話はまったく進まず、いかに連理が愚かな男かくどくどと言い続けるばかりだった。


『この子は昔から何もかも中途半端で達成出来たことがない』

『根性もないし、努力を知らない。護衛官様にはふさわしくないかと』

『長男は一度離婚していますが、再婚相手を探しているところなんです。長男のほうが良いのでは?』


 子ども自慢にならぬよう敢えて自分の子どもの出来の悪さを語る親というものは世間にいる。それもまた子どもにとって良い教育ではないが、わざわざ連れてきた婚約者に悪口を吹き込むのは精神的な虐待を疑う所業だ。

 しかも本人が目の前にいる。あやめは随分と不快になった。

 連理の手前、事を荒立てたくなくて表面上にこにこしていたが、正直なところ冠婚葬祭以外ではこの家族と二度と会いたくないと願ってしまったくらいだ。

 連理はというと、父親からの侮辱を当然の扱いとして受け止め、ただ静かに笑っていた。

 あとで恥ずかしそうに『俺なんかでごめんね』と連理に謝られた時の胸の痛みは、一生忘れられそうにない。

 

 そんな経緯があったので、あやめは連理が家から抜け出したい同士であることには何の疑いも持たなくはなっていた。

 親の言いなりの婚姻が嫌なのもわかる。


 ただ、どうして自分から甘んじてその位置に居るのかは謎だった。

 

 話していればわかることだが連理は地頭は悪くない。

 医師になれるくらいなのだからむしろ優秀な部類だろう。

 物事の見方もけして愚かではない。しかし家族内で地位が低く、すぐに道化のような真似をするところがある。そうあるべきかのように。

 連理はあやめから話を聞き終わると、またいつも通りのへらへらとした笑顔に戻った。

 それから照れくさそうに囁く。

 

「……俺はね、老鶯家のちゃらんぽらんな次男を演じることが求められてるんだよ……」


 不可解な言葉に、あやめは顔をしかめた。


「どういう意味ですか……?」

「まあまあ、良いんだよ。俺はそういうポジションなの。あやめちゃんの言うように役割を演じてるわけだ。俺が馬鹿みたいに笑って……愚図でいることが、あの人達にとって幸せで安心することなんだ。そういう……役割をする子どもが必要な家もあるんだよ」

「……連理さん、それ絶対におかしいと思います……」 

「気にしないで。俺はあやめちゃんがわかってくれてるだけで十分救われたから」

「そんな大袈裟な……」

「いやいや、大袈裟でもなんでもないよ。俺はね、いますごーく幸せ」


 笑っているのに、妙に物悲しそうで、あやめはやはり胸が痛くなった。


「……」

「早く、あやめちゃんと一緒に里を出たいな」




 ぼそりとつぶやく連理を見て、あやめは『本当ですね』と返した。



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