序章 妹の姿をした神様①






「序章 妹の姿をした神様」






 世界は誰かの献身で成り立っている。


 夜闇の中で明かりを灯し、人々の生活を守る者。

 昼下がりの中、社会の仕組みを動かす者。

 それぞれが言葉を交わすことがなくとも、それぞれの行動が物事の連鎖を引き起こす。

 感謝の言葉を貰えずとも、誰かの献身が誰かの光になり、また刃ともなり得る。

 人々の生活はそのようにして支えられ、当然のように明日は来る。

 本当は奇跡の積み重ねで迎えていることを誰も知らない。

 そうして世は回っていく。


 世界に奉仕するのは、何も人だけではない。

 季節を巡らせる神命を担う四季の代行者。

 朝と夜を届ける神命を担う巫の射手。

 神々の代行者たる者達も、生きとし生ける者の為にその身を擲つ。


 春の代行者が祈れば世は花々に満ち溢れ。

 夏の代行者が歌えば生命は躍動する。

 秋の代行者が踊ると飛花落葉し。

 冬の代行者が命を下せば世界は白銀に包まれる。

 暁の射手が矢を空に穿てば夜空の天蓋が降りてきて。

 黄昏の射手が晴れやかな空を夕暮れで塗りつぶす。


 神より権能を賜りし現人神達も、世界に奉仕する存在だ。

 民と違うところは、彼、彼女達に選択肢がないことだ。

 死ぬまで、力が尽きるまで、世界から求められる。


 嵐が起きても山を歩き。

 轟く雷鳴が鳴り響こうとも舞い踊る。

 友が死のうと。家族が死のうと。恋人が死のうと。

 歌い、踊れ、撃ち落とせ。


 それが神の代行者たる存在なのだからと。


 使命を持つ者は神の代行者だけに限らない。


 傍で支える守護者達も世界の供物だ。


 とある夏の代行者護衛官は、神様になった妹に魔法の言葉をかけるのが仕事だった。

 

『瑠璃、夏を見せて』


 その言葉を唱えれば、妹は姉の為だけに季節をくれた。

 同じ顔をした双子の女の子。大勢の幸せの為に自分の幸せを捨てさせられた女の子。

 その子を神様として奮い立たせるのが姉の役目だった。 


『瑠璃、夏を見せて』

『瑠璃がくれる夏が好きよ』

『瑠璃の夏が見たいわ』


 みんなの供物になっている妹を守る為に、彼女はそう言わなくてはならない。

 使えないと判断されたら事だから。脅すように耳打ちした大人は誰だっただろうか。

 何であれ、彼女は可哀想な妹に言う。

 

『瑠璃、夏を見せて。瑠璃の夏が好きよ』と。


 妹にとっては、姉から望まれているということが唯一の救いだった。

 神様になどなりたくなかった娘が、助けてくれもしない人達の為に歌って踊る。

 その為には理由が必要だ。

 出来るならば愛が理由のほうが良い。その方が諦めがつく。

 だから夏の代行者葉桜瑠璃は言う。


『お姉ちゃん、見て』と。


 奉納された歌舞が、大地に宿る信仰が、姉に季節をあげたいという思いが世界に夏を授ける。

 瑞枝が空に自らの腕を伸ばすように、稲穂が海の波の如く揺れるように。

 一つの干渉が大きな干渉を生む。そうして奇跡というものは世に形として現れる。

 薄暑に炎暑。甘雨に緑雨。残花に盛夏。

 夏嵐に薫風。花野に緑野。青蔦に病葉。

 夏の代行者のくれる季節は他のどの季節より騒がしい天籟を響かせる。

 すべては自分を支えてくれる姉の為に。

 彼女達は本当は対等で、優劣も序列もない。

 でも、歪で、こうでないと機能出来ない。


 そういう姉妹が夏を支えていることを、みな知らない。






 黎明十一年。大和国、衣世、夏の里。






 地図にも載っていない隠里にて、当世の夏の代行者の命の灯火が消えようとしていた。


 これまで大和の泰平の為にその身を捧げてきた尊き存在の逝去。

 少しでも別れを惜しみたいと、家族や友人が夏の里内の本殿と呼ばれる場所に集まっている。

 代行者が老齢ということもあり、この死は既に予告されていたものだった。

 逝く者がいれば、誕生する者も居る。

 四季の代行者は死亡すると直ちに次代の代行者にふさわしい者が選ばれる。

 統計的には若者が選ばれているが、若さの定義は幅があり、下は五歳くらいから、上は十代後半も珍しくない。当時十歳の少女が選ばれる可能性は十分にあった。

 これから神に選ばれる娘は、自分に起こることを何も知らずに日常を過ごしている。

 優しい日差しが差し込む朝。今日も勝手に姉の部屋に入り、夢の中に居る彼女を起こした。


「あやめ、あやめ、おきてっ」

「きょうおやすみのひよ……きのう夜ふかしさせたの瑠璃じゃない……」


 元気な妹。眠たげな姉。姉のほうは逃げるように布団の奥に潜り込みまた目をつむる。残された妹はなんとか自分のことを見てほしくて、ぴょんぴょんと寝台で跳ねた。

 

「瑠璃……もぉ……そのおこしかたやめて……」


 困り果てた言葉が返ってくる。望んでいた反応が見られて瑠璃は嬉しそうだ。迷惑な悪戯っ子だが、どこか憎めないのは瞳や声音から姉への好意が溢れ出ていて、あまりにも無邪気だからだろう。飛び跳ねるのをやめると今度は姉のあやめに布団の上から抱きついた。

 

「ぎゅうっ」

「うわぁ……重い……なんでいつもこれするの……」


 まるで世界を知り始めたばかりの子猫だ。落ち着きがない。

 反対に、あやめは同い年の瑠璃と並べると一際成熟さが目立つ娘だった。瑠璃が太陽ならあやめは月。それぞれ違う光を帯びた娘達だ。


「あたし飛び跳ねるのすきだからっ」

「じぶんのベッドでやってよぉ」

「あやめのベッドで飛び跳ねるのがすきっ」

「……」


 うんざりしつつも、あやめは妹を邪険にしない。彼女が自分を大好きなのを知っている。

 あやめにとって瑠璃という娘はちょっと元気すぎる双子の妹、愛すべき家族だった。

 早く遊ぼうよ、髪を結んでとあやめにねだる瑠璃の駄々っ子ぶりを諌めるように頭を撫でる。あやめに撫でられるとその時だけ瑠璃は大人しくなる。

 出来るだけ長く撫でて欲しいのでじっとするのだ。だがすぐパッと手は離されてしまった。瑠璃は残念そうに口を尖らせる。

 

「もっとなでてもいいよ」

「もうしない」

「なんで、なでてよ」

「もう起きるからだーめ」


 二人の世界は平和で、たくさんの愛情が流れていて、ちっとも歪ではなく。


「けち、あやめ」

「けちです」


 暴力に包まれてもいなかった。世界の道具とは程遠い、自由で守られた子ども時代。

 この頃、葉桜姉妹は確かに幸せだった。そういう時期があった。

 やはり、まだ誰も彼女達の身に降りかかる災難を知らない。


「なにをきようかしら」


 あやめはクローゼットを開けて何着か服を取り出した。自分に服をあてがうと、姿見で確認する。後ろから瑠璃がひょっこりと顔を出した。鏡には瓜二つの黒髪の乙女が映っている。

 瑠璃とあやめ、二人は双子だった。緑の黒髪、真珠のように輝きがある肌、いずれは楚々とした大和美人になることが約束された顔立ちが特徴的だ。


「あたしとおそろいにして! あたしとおそろいにして! あやめとおそろいがいい!」

「またぁ……? お父さんとお母さん、見分けできなくなるわ……」

「いいじゃん。ぐるぐる回ってどっちだゲームやろうよ」

「あれ、大人をこまらせるだけよ」

「こまらせたい」


 見た目はそっくりだが、中身は違う。しっかり者のあやめが自然と瑠璃の面倒を見ることが多かった。生来持つ性格故にだろう。あやめは言われた通り、瑠璃と同じワンピースを着る。それから瑠璃をドレッサーの椅子に座らせて髪を結ってやった。


「あたしもあやめの髪むすんであげようか?」

「やだ! 瑠璃がやると爆発する!」

「頭が?」

「そう、頭が爆発する。ぼんってね」

「したーい、ばくはつしたーい」


 身支度が終わると二人は朝ごはんを食べた。大人達がそわそわしている。

『託宣がそろそろ下る』と、二人にはわからない言葉をつぶやいていた。


「なにはなしてるの?」


 不安を感じ取ったあやめの質問に両親は答えない。瑠璃が庭で遊びたいと言うと、少し躊躇ったが許可をした。

 

『あなた、注意深く見ていないと、何が起こるか……』

『きっとあの子達は選ばれない。そう思ったほうがいい』


 こそこそと小声でまた意味深なことを言っている。それは、両親からすると祈りのような言葉だった。どうか自分達の子どもが神様に選ばれませんようにと、愛情から出た願いだ。

 そんな親の心子知らず、瑠璃とあやめは庭へ出た。葉桜邸は広々とした庭に恵まれている。

 

「あやめ、何がしたい? あやめがしたいことでいいよ!」

「瑠璃がしたいものでいいわよ。瑠璃は何がしたい?」

「いいの? じゃあキャッチボール!」


 寒くなってしまえばもう外では遊べない。あやめも異論はなかった。

 ボールは小さな二人が両手で持てるくらいの大きさだ。二人の間でどれだけボールを落とさずキャッチリレーが出来るか挑戦するのがその時の流行りだった。

 この時の季節は初秋。とは言っても、姉妹が住む夏の里の所在地である衣世にはまだ秋の代行者が季節顕現に来ておらず、木々は色褪せることなく青々としていた。

 爽快な風が、やわらかな陽光が、二人を優しく包んでいる。晩夏の青空の下を、ボールが行き来する。

 キャッチ出来ると縁側で姉妹を見守っていた両親がうまいうまいと褒めてくれた。

 二人はそう言われると嬉しくなって、大張り切りでまた投げ合う。

 さあ、どちらが先にボールを落としてしまうだろうか。

 瑠璃か、あやめか。

 

「あやめー! もっと高く投げて!」


 瑠璃か、あやめか。


「とれるー? ぐるんって後ろにたおれちゃわない?」


 瑠璃か、あやめか。


「いーの! もっと高く! 高く! お父さん、お母さん、キャッチしたらほめてっ!」


 あやめは言われるがままにボールを投げる。高く、もっと高く。

 太陽とボールが重なって見えなくなった。


「瑠璃?」


 とん、とん、とんと音を立ててボールは地面に落ちて、庭の端へ消えてしまった。

 ボールをキャッチ出来なかったのは瑠璃だった。


「瑠璃……!」


 その時、夏の里の本殿で夏の代行者が息を引き取った。

 世界構造を担うシステムが速やかに代替えを要求し、選抜は瞬時に行われた。

 残酷なほどに速く、そして容赦なく奉仕を求めた。




「瑠璃、どうしたの……!」




 宣託は確かに下された。代替え品の名は『葉桜瑠璃』。




「痛い、痛い、痛い痛い痛いっ……!」


 葉桜家の双子の内、妹のほうが選ばれた。

 何故、彼女だったのかは誰にもわからない。

 

「やめて、呼ばないでっ!!」


 瑠璃は倒れたかと思えば、悲鳴を上げて地面の上でのたうち回った。

 

「る、瑠璃……! 身体が痛いの? 瑠璃っ!」

「痛いよ、痛い、あやめ、痛いよ、痛いっ……」

「ま、待って、待ってね……! お母さん! お父さん!」


 選ばれなかったあやめは瑠璃から目が離せない。

 妹の身体に明らかに異変が起きている。

 お揃いで着ていたワンピースの裾から見える素足は刃物で丹念に彫られたように赤い百合の花の絵が広がっていた。

 両親がそれを見て『神痣だ』と絶望的な様子で囁いた。

 それが何かわからないあやめは怖くて仕方がない。

 異変は周囲にも起きた。

 瑠璃の身体を中心として小鳥達が集まって、王様が目覚めるのを待つように周りを囲み出す。遠くでどこかの家の飼い犬が吠えている。

 猫が塀の上にずらりと並んだ。

 空で鴉が旋回している。

 みんなみんな、瑠璃を見ていた。

 新しい『生命使役』の王を。

 

――怖い。


 あやめは、ただただその光景に恐怖した。

 両親がどうしてと泣いている。

 誰が見ても、この子は夏の代行者に選ばれたのだとわかってしまった。

 

 代行者の選出は身体に神痣と呼ばれる聖痕なるものが現れるのが第一報。

 代行者の元に四季の声と呼ばれる名前を呼ぶ現象が発生することが第二報。

 代行者の意志に関係なく、神から与えられた権能を行使してしまうことが第三報。

 

 どうあっても言い逃れが出来ない仕組みとなっている。

 どこにでも居る無邪気な十歳の女の子の人生は今日この日をもって終わった。




 だって神様になってしまったのだから。



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