暁の射手 ~春夏秋冬代行者外伝~③

 花矢様を着替えさせ屋敷を出ると、大体時刻は深夜零時前になる。


 近くの霊山の麓までは車で移動だ。現代人は車があるので登れるところまでは楽が出来るが、昔はそうはいかなかっただろう。深夜車を走らせていると、少しだけ先人に申し訳なく思う。

 車を秘密の登山口の脇に止め、後は山を登るだけという状態になると、寝台で駄々をこねていた花矢様も覚醒し始める。


「花矢様、山は冷えますから。上着の前を閉めくださいね」

「冷えているほうが頭が冴える」


 声にも凛々しさが戻ってきた。


「風邪をひきます」

「風邪をひいたら弓弦が山まで担いでくれるだろ。楽ちんだな」

「命じられれば何でも致しますが、防寒をして下さいね」


 花矢様はつんとした態度で提言を聞き入れてくれない。


「お前がやれ」

「……承知しました」


 仕方ないので俺は従者らしく主の上着の前を閉める。

 小さな我儘の積み重ねは、俺への試し行動だと、俺はわかっている。


「……」

「どうしましたか?」


 花矢様が何か言いたげに見つめてきた。

 闇夜の中に居ることもあり、一体どこを見ているのかよくわからない。

 顔に何かついているだろうか。

 それとも髪か。

 木の葉がついているようなら花矢様はとってくれるはずだが。


「花矢様、何か」

「……お前は、色々と勿体無いな」

「何がですか」


 俺が首を傾げると、花矢様は苛々した棘のある口調で言う。


「何故、守り人などやっている」

「貴方が選ばれたからです」


 簡潔にお答えすると、花矢様は大きくため息を吐いた。

 なんだか今日はいつにもまして憂鬱なご様子だ。


「そうだな……私が選んだ」

「はい、貴方が選んでくださった」

「選ばれてしまっただろう。お前……恨んでいないのか」


 思ってもいないことを問われて、俺は素で目をパチクリと瞬いた。


「まさか。生涯貴方に尽くします」


 本心である。俺の主は大変寝汚く、何でもかんでも俺にやらせるような方だが、俺は彼女を敬愛している。彼女もそれをわかっているはず。


「俺の忠誠心をお疑いですか?」

「……違う。お前を疑っているのではない。私は……私自身を疑っているんだ。何故いま山を登らなくてはいけないんだ?」

「巫の射手の末裔だからです」

「本当に私が朝を齎していると思うか?」


 花矢様はまだ少女と言っていい年齢だ。お役目の為の生活をしていて、時に不安になるのも仕方ない。自分がやっていることに自信が持てないのだろう。


「俺が目撃しています。貴方が朝を齎している」


――貴方が矢を射る時、人々は寝ている。


「空に矢を穿つ時はトランス状態になっていて、自分でもやっていることや口走ってることがよくわからないんだ。本当か? 本当に私の神儀の結果、朝が来ているのか? この作業に意味がないなら二人とも逃げられるぞ」


――貴方が眠る時、人々は人生を楽しんでいる。


「何処にですか」


――貴方が人生を楽しむ時があるとすれば、それはきっと年を老いてからだ。


「……何処か、二人で」


 俺は知っているのだ。

 毎日お仕えしているから知っている。


 花矢様は本当はピアノを習いたいが、指を痛めるといけないから許されていない。


 花矢様は海外の映画が好きで外国語を習っているが、彼女がこの地から離れることはない。


 花矢様はこの寒い土地よりも温かい土地に住みたいと思っているが、それが叶うことはない。


 俺は知っているのだ。


 この少女の犠牲の上に朝が成り立っていることを。


 花矢様だけじゃない。世界中に居る巫の射手は人生を奪われている。そういう悲しみの連鎖を人々は知りもしない。


――俺だけは。


 それをよく知っているのだ。

 

「俺達がしていることは意味がある。俺達がやらねば朝は来ない。歴代の暁の射手もきっと不安になったことはあったでしょう」


 俺の言葉に、花矢様は一瞬泣きそうな顔をした。


――嗚呼、上目遣いでそんな顔、やめてくれ。


 この方が悲しそうな表情をすると、心の臓を掴まれたような心地になる。


「そんなことはありません、と俺達守り人は言います。何度でも肯定しましょう。朝が来るのは貴方が夜を切り裂いているからです。我が主よ」


 最後は鼓舞の気持ちを込めて強めの口調で言った。


「……貴方は必要とされている。いいですね」


 言い聞かせるように囁くと、花矢様は目をお瞑りになられて何かを噛みしめるように唇を噛んだ。


「弓弦」

「はい」

「もう一度言え」

「貴方は必要とされている」

「……それはお前もか。お前も私を必要としているのか」

「もちろんです。花矢様」


 黒真珠の瞳が見開かれた時、もう不安の色は消えていた。


「すまなかったな。弓弦、行くぞ」


 吹っ切れた花矢様は山道を進み始めた。俺はその背を追いかける。

 小さな背中を眺めながら、彼女と出会った頃のことを思い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る