暁の射手 ~春夏秋冬代行者外伝~②




 四季はどのようにして巡るのか。




 問われれば人はこう答えるだろう。


『四季の代行者が春夏秋冬の顕現を各地で行い、季節の循環を作り上げている』と。


 春の代行者、夏の代行者、秋の代行者、冬の代行者。

 彼らが歌や舞を通して、神より授かりし権能を行使することで大地は彩られる。


 では、朝と夜はどのようにして齎されているのか。

 俺ならこう答える。


『巫の射手が空に矢を放ち、その矢が夜の天蓋と朝の天蓋を切り裂いているからだ』と。


 四季の代行者と同じく、朝と夜にも神に代わってその務めを果たす代行者が存在する。


 朝を齎す者を『暁の射手』。夜を齎す者を『黄昏の射手』。

 総じて『巫の射手かんなぎのしゃしゅ』と呼ばれている。


 空には朝の天蓋と夜の天蓋がある。

 それらは交互に重なっており、一度消えてもまた再生する。

 朝と夜の作り方は、空の天蓋を射手が切り裂くことで実現している。

 世界各地に居る射手達が、決められた時間、決められた場所で矢を射る。

 数多の射手の力により夜の天蓋が切り落とされ、朝の天蓋がお目見えし、またその数時間後には朝の天蓋が撃ち落とされ、夜の天蓋が姿を見せる。

 大和のみならず世界全体を守護するように張られたこの天蓋は謎に包まれており、現状『巫の射手』が撃ち落とす以外に太陽や月の光、陽光や夕暮れ、闇夜が人々に届く方法は無い。

 朝の神と夜の神が、戯れで人間を弟子にとり、腕くらべをさせたことが二つの射手の制度の始まりだそうだが本当のところはわからない。春夏秋冬の巡りは、冬の神が春の神を愛する時間を作る為と伝承が残されているので、あながち嘘ではないのかもしれない。本当だとしたら、神様というものはみな残酷だ。


 神から仕事を任された代行者たる現人神には、必ず彼らを支える人間の存在が居る。

 巫の射手の守護者は『守り人』と呼ばれ、忠誠を誓い、傍に侍る。

 前置きが長くなったが、大海原に浮かぶ列島の国、この大和国の暁の射手は我が主であり、守り人はこの俺だ。




 我が主の名は「花矢かや」。普段は女子高生をしている。




 花矢様の一日は忙しない。


 午後四時頃、通学されている私立女学校の授業がすべて終わると、校門の前で待機している俺の車に乗り込む。


「花矢様、シートベルトしてください」

「お前が手を伸ばしてつけてくれ……」

「何故、運転席からわざわざ後部座席に手を伸ばさなくてはならないのですか。それくらいご自分で出来るでしょう?」

「馬鹿お前、女子高生が疲れて帰ってきたんだぞ。もう指先も動かん。労れ」

「授業受けただけですよね……わかりましたよ。はい、ぐるっと回しますよ」

「すまんな、弓弦ゆづる


 午後五時頃、町外れに建てられたお屋敷に帰宅すると、すぐに入浴という名の禊をされる。


「弓弦、ドライヤーしてくれ」

「はい花矢様」

「乾かす前に椿油つけてくれ」

「存じております」

「ローファーは足が痛くてかなわん。揉んでくれ」

「はい花矢様」


 午後六時頃、就寝される。


「目覚ましは」

「かけました。携帯端末でスヌーズ機能も確認済みです」

「弓弦、お前が起こせない場合は」

「屋敷の者が水をかけに来ます」

「万事抜かり無いな」

「はい、おやすみなさいませ花矢様」 



 目覚めるのは午後十一時頃。ほとんど余暇はない。

  


 花矢様は場に縛られている現人神だ。


 それは暁の射手だけでなく、黄昏の射手もそうだと言える。

 霊脈が豊かな霊山でないと、神より賜りし権能を行使出来ない。

 その為、此処と定めた土地に根を下ろして生活せざるを得ない。土地に根付き、霊山を守り、血統を守らなくてはならない。


 何処にも行けない現人神。それが巫の射手だ。

 古よりあらゆる力に守られ、その存在を隠されている。


 一方、四季の代行者は土地から土地へと練り歩き、四季を顕現させる。土地全体に季節を齎す大規模顕現となると霊脈豊かな場所を探すが、それはその土地の力を借りるほうが自身を消耗しないというだけで、霊脈が無くとも顕現は出来る。場に限定されてはいない。

 だが何処へでも行けるからこそ秘匿性は低く、狩られやすい。それが四季の代行者だ。


 俺は思う。どちらにせよ、損な役回りだと。


 我が主、暁の射手は大和国最北端の地であるエニシに拠点を置いている。

 広大なエニシの大地、その中の一つの土地に暁の射手は生きている。

 冬は雪深く、夏は暑い盆地だが自然環境は素晴らしい。四季折々の草花を楽しめる土地だ。

 観光地としても有名ではあるが、いかんせん店や娯楽施設が少ないので牧歌的な田舎と言っていいだろう。俺と花矢様が住んでいる屋敷は町外れにある。

 周囲には白樺並木が続き、迷いの森となっている場所だ。

 そんな自然豊かな土地で生きている方だが、花矢様の生活は豊かとは程遠い。

 彼女の一日に自由な時間はほぼ無い。

 暁の射手たる存在は、役目に身を置いている期間は何よりも務めを優先せねばならないのだ。

 部活動や習い事、友人との遊びはもってのほか。

 寝るのも食べるのも、お役目を果たす為の日課でしかなく、そこに安らぎは無い。もちろんそれは三百六十五日続く。何せ朝というものは毎日ある。


 花矢様に休みの日は無い。


 その為、彼女の負担となるものはすべて俺が取り除く。

 主が神事に集中する為にあらゆる雑務を担うのも俺の仕事だ。

 時には主の宿題を代わりにこなし、学校の体操着にアイロンをかける。

 学校の課題は俺の任務と言ってもいい。せめて学校に通うのをやめてくれたらもう少し時間にゆとりが出来るのだが、それはしたくないらしい。

 花矢様曰く、『人で居られる最後の砦』とのこと。

 現代の若者が現人神をするのは中々に大変なのだ。


「弓弦さん」


 大和建築様式で建てられた屋敷には、当然花矢様のご家族も住まわれている。

 というか、俺が花矢様のご家族の屋敷に住み込みで働いていると言うべきか。

 その為、ご家族に奉仕するのも俺の務めだ。


「弓弦さん、待って」


 花矢様が帰宅して眠られてから数時間。そろそろ起こして夕食を食べさせねばと主の自室に向かう俺に声をかける人が居た。

 花矢様のご母堂様だ。箱入りのお嬢様で、大して苦労もなくお育ちになられたという印象を受ける着物美人だ。事実そうらしい。娘とは正反対で、明るく愛嬌がある。


「奥様、御用ですか」

「ええ。今日のお弁当、いつもの肉団子の他に緑のものは何がいいかしら」


 俺達の務めは山登りから始まるので、たとえ夕食をたらふく食べたとしても登った後は腹が減る。奥様は花矢様のだけではなく俺の分も毎日弁当を持たせてくれていた。本来はこれも俺の仕事なのだが、娘の為に弁当を作りたいという奥様の希望もありお任せしている。


「緑のものですか」


 俺は少し考えたが、奥様のおかげで料理をしない毎日なのでほうれん草のおひたしくらいしか頭に思い浮かばなかった。他に何かあるだろうか。


 奥様は黙っている俺の答えを待たず、少し怒った口調で言う。


「夫がね、私が作るものを見て言うのよ。全体的に茶色いって。肉が多すぎるって」

「……そうですか?」


 俺は奥様が作ってくださる弁当を思い返す。

 言われてみれば、確かに茶色い物が多く入っている印象はあった。ハンバーグやからあげ、ウインナーといったものが多い。どれも俺の好物だ。


「俺は肉が好きですが」


 それの何が駄目なのだろう、という疑問も含めて言うと、奥様は我が意を得たりと言わんばかりに拳を握った。


「そうよねー! 弓弦さんも花矢も若いでしょう。若い人はお肉がたくさんある方が喜ぶじゃない! 私はちゃんと好みを考えて作ってるのに……あの人ったら作ったお弁当を覗いて……栄養が……とか、ぐちぐちと……自分は作らない癖に……」

「なるほど、それでお怒りになられていると……」


 またか、と俺は思った。


 奥様と旦那様はいざこざが多い。数年後には熟年離婚をしていそうな夫婦と言ったら失礼だろうか。旦那様は悪い御人ではないのだが、会話の始まりに否定が多い。

 小言やからかいをしないと他者とのお喋りが成り立たない人というのは存在する。

 奥様はお強い人なので、旦那様の悪癖を放置せず逐一反論する。そうして口論を繰り広げるというのがお二人の日常だ。

 傍から見るとケンカップルと言えなくもない。実際、喧嘩するほど仲が良いのか、本当にただ仲が悪いのかは俺にはわからない。俺は花矢様以外の心の機微に興味がない。幸いなことに、ご両親とも娘のことは溺愛している。


「旦那様は話題の一つで言っただけでは……」

「わかってるわ。あの人そういう人よ。どうせあんまり考えずに物を言っているの。でも、言われたら何だか気になっちゃって……」


 悩んでいる奥様を見て、俺は失礼を承知で言った。


「花矢様は……ご自分でも仰ってますが腹が鳴らなければ何でも良い方ですし……あまり気にせずともよろしいのでは」


 奥様は怒ることはせず、うんうんと頷いて同意をしてくださった。


「あの子、舌は尊くうまれなかったのよね」

「俺も弁当に不満を抱いたことなどありません」

「弓弦さんはそう言ってくれるとわかっていたわ。ありがとう……」

「いいえ」


 喋っていると気が晴れてきたのか、奥様の表情は少しずつ本来の柔和なものに戻っていった。


「でも、すごく腹が立ったから今日からお弁当の試行錯誤をしようと思うの」

「それはそれは」

「見て、本も買ったのよ」


 どうやらそれを見せるのが真の目的だったらしい。

 小脇にずっと抱えられていた本を俺に見せてくる。随分と可愛らしい弁当の作り方が記載されたレシピ本だった。子どもに人気のアニメキャラクターの顔を料理で表現する方法が事細かに書かれている。


「……」


 花矢様はもう高校生なので、こういう子どもっぽいものは好まないと思うのだが、やる気を出している人の気持ちを挫いてはならないだろう。


「楽しみです。奥様はお料理がお上手ですから」


 俺は奥様に本を返しながら言う。奥様はにっこり微笑んだ。


「頑張るわ。あの人をあっと驚かせてやるのよ。あの妖怪お茶くれおじさんを……ああスッキリした。弓弦さん、聞いてくれてありがとう」


 旧態依然の在り方で生きる夫婦の倦怠期に、波風立たぬよう立ち回るのは守り人の役目ではない。ないのだが、未成年の主が両親の離婚を経験されるのは可哀想だ。

 主の心的負担を取り除くこともまた俺の務め。


「とんでもありません、奥様は我が主のかけがえのない方なのですから。ご遠慮はなさらずに」


 これも仕事だ。


 何と言っても俺がお世話せねばならない御方は花矢様だ。

 今回は少しだけ邪魔をされたが、起床の時間になると俺は彼女を起こしに寝室へと向かう。

 なるべく穏やかに目覚めていただきたいので、まずは優しく声をかけるところから始める。


「花矢様、お時間です」


 しかし、言い方は悪いのだが我が主は大変寝汚いのですぐには起きない。


「花矢様、花矢様」


 何度か声をかけても無視されるのは当たり前。返事が無いのを確認してから俺は肩を揺する。

 そうすると、不機嫌な声で大抵こう言われる。


「…………あと五分」


 言われた通り五分待つと目覚まし時計が爆音で鳴り響く。

 花矢様はそれを仏頂面で叩いて止めて、またすぐ布団に戻ってしまう。俺は今しがた行われた目覚まし時計への蛮行を咎めるように言う。


「花矢様、目覚まし時計が壊れます」

「うるさい……」

「起きてください、花矢様」

「正常な人間が起きる時間じゃない……」

「まあ、今は夜ですし。人が寝る時間にはなりますね」


 窓はカーテンで隠されているが、空は既に夜を纏っている。


「黄昏の射手が無事務めを果たされたのです。我々もそうしなくては。花矢様、世界に朝を齎しましょう」


 恥ずかしい台詞だが、本当のことなので俺は真面目に言っている。

 花矢様は『どこぞの勇者かよ……』と心底どうでもよさそうにぼやいた。


「……彼の御方はうらやましいな。私が夜に矢を射るのとは違ってあちらは日中に射る。黄昏の射手殿は生活に何ら支障がないだろう……」

「そうですか? 日中に山を登るのも大変だと思いますが。ほら、日差しがありますし……」

「……だが、今頃きっと柔らかい布団に入る頃だ」

「それはそうですね」

「なら私も寝るべきだ……」


 また布団を被ってしまった。


――可愛い人だな。


 ごねる花矢様を見てそう思った。花矢様の寝起きの悪さというか、起き上がりに時間がかかるご様子は毎日見ても飽きない。普段は主らしく振る舞っている天上人が、いまは年相応に布団で駄々をこねているのは可愛い。というか笑える。


「おい、笑うな」

「すみません。あまりにも無様でつい」

「お前……偶に私のことを小馬鹿にしてくるよな」

「愛ゆえにです」

「……」

「それで、花矢様。世界を夜から救って頂けないのですか?」


 俺が布団をめくって顔を覗き込むと、花矢様はふくれっ面をする。


「嗚呼、もうわかったよ……朝なんてこんちくしょうだ。永遠に夜でいいのに……」


 散々文句を言ってから、花矢様は起床した。

 ようやく暁の射手の出動だ。

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