春夏秋冬代行者外伝 ~夜半の春~③


 夏と秋に分かれを告げ、病院出た雛菊達は護送されながら帝都迎賓館へ。

 到着し避難経路の説明を受けると、ようやくゆっくりと休む時間を得られた。

 

「シャワールームも複数あります、雛菊様」

「す、すごい」

「ウェルカムドリンクと果物、お菓子、アメニティも不足ありません。完璧です」

「雛菊……ぶん、ぶんふそうおう……」


 部屋に感激している春主従と違い、業務中は質素に生きるが里に帰れば富豪の息子である狼星はスイートルームに興奮した様子もない。凍蝶もスイートルームのリビングにあたるパーラールームに次々と冬の護衛陣を入れて警備位置を確認している。


「凍蝶、これ防弾か?」

「窓硝子か? 違うと思うぞ」

「だよな……二人共、あんまり窓には近づくなよ。寝室も雛菊達が一番に廊下へ逃げられる方にしてもらおう。おい、そっち終わったらこっちの動線確保してくれ! 雛菊、さくら、こっちの部屋で良いか?」


 きゃっきゃとはしゃいでいた春主従は狼星に呼ばれて慌てて緊張感を取り戻す。

 凍蝶は恭しく主寝室の扉を開けた。


「雛菊様、こちらでよろしいですか? 主寝室にもあたりますし、寝心地は良いかと」

「ここで、みんな、で、寝る、の?」

「いえ、さくらと雛菊様だけですよ」

「私は仮眠したから、身支度で利用するくらいです。雛菊様お好きな寝台をご利用くださいね」

「え、え」

「俺は反対側の方の部屋に居る。雛菊、叫んだら聞こえる距離だから大丈夫だぞ」

「さくら、冬の警備が居るんだから雛菊様と休みなさい。雛菊様もお一人だと落ち着かないだろう」

「でも……」


 さくらはちらりと雛菊を見る。冬の護衛にばかり負担をかけるのは体面の問題としては避けたいところだ。だが雛菊の心細そうな顔を見ると、心遣いに甘えるほうが良い気がしてきた。


「さくら……いっしょだと、だめ……?」


 結局、雛菊の嘆願もあり、さくらも部屋で休むことになった。

 そうこうしている内に時刻は深夜の時間帯に近づいていく。

 明日から国家治安機構による事情聴取が本格的に行われるので、各自交代で風呂に入ったり就寝したほうが良い頃合いだ。


 最も手厚く保護されるべき代行者二名は護衛陣に追い立てられるように風呂や就寝を促された。雛菊は言われるがままに、狼星は渋々と従う。

 どちらも本来は別の宿泊先に着替えを含めた荷物を預けていたが、冬の護衛陣が駆け回って荷物を回収してくれていたので寝支度には困らなかった。

 就寝を促されても、すぐに寝るつもりではなかった狼星は雛菊が風呂から上がるのを待つことにした。薄墨色の浴衣に青鈍の羽織を纏って、静かにパーラールームのソファーに腰掛ける。しばらくすると廊下から雛菊とさくらの声が聞こえた。


「雛菊様、寝間着であまりうろついては……」

「でも、まだ、みんなに、おやすみ、なさい、言ってない、よ……」


 とてとてとパーラールームに歩いてやってきた雛菊の姿を見て狼星は思わずのけぞった。


「もう、ちょっと、起きてちゃ、だめ……?」


 初恋の人の寝間着姿は大層愛らしかった。

 春の代行者らしい薄桜色のシルクパジャマ。小花柄は少女である雛菊にぴったりだ。パジャマ姿でまだ寝たくないと駄々をこねる雛菊はやはり実際の年齢より幼い。


「さくら、まだ、いっしょに、お部屋、いかない……でしょう?」

「はい、冬の護衛陣と諸々打ち合わせがあります」

「……雛菊……ひとりで、おへや、やだな……」

「雛菊様……そうですね、私も目の届く範囲に御身が居てくださるほうが安心します。そういうことなら……」


 雛菊は花が咲いたような笑顔になり、またとてとてと歩いて一直線に狼星の元へ向かった。


「狼星、さま、おふろ、あがり、ました」

「あ、うん」

「おとなり、すわって、いいです、か」

「ど、どうぞ……」


 他の護衛陣も春の代行者の無防備な姿に驚いた様子を見せたが、狼星と凍蝶の手前不埒な目線を送る者はいなかった。いまの雛菊がどういう精神構造にあるか伝達事項として知らされていたせいでもある。皆、なんでもないように振る舞った。なんでもないように振る舞えないのは狼星だけだ。


「雛菊、寝る時洋装なんだな」

「あのね、いつも、着てたやつ、いま、だめになってるの」


 夏離宮の時に着ていた就寝用の着物は大和の重要無形文化財に指定された染織方法で作られた名品中の名品だったが、あいにくさくらの返り血でいまはお蔵入りになっていた。いま着ているのは急遽旅先で調達した物だ。


「そうか、でも……その、可愛いな」

「さくら、えらんで、くれました!」

「うん、可愛いな」

 

 雛菊と狼星は何処か離れがたく、その後無言が続いてもパーラールームのソファーから立ち上がろうとせず同じ時を過ごした。狼星が視線を注ぐ度に、雛菊は目を合わせて微笑んでくれる。再会してから、夢のような時間が続いていた。


――本当に夢のようだ。


 狼星は雛菊を見つめながらこれまでの日々を追想する。

 十年、この隣に居る少女を求めて生きてきた。途中、罪悪感で何度も命を捨てかけたが。


――捨てなくてよかった。


 希死念慮がすぐに消えるわけではないが、しみじみとそう思えた。


「狼星さま、ごはん、あした、いっしょ、食べれ、ますか?」

「うん。いっしょに食べような。警備のことを考えるとルームサービスになると思うがいいか?」

「いっしょなら、なんでも、いいです」

「うん……俺も」

「さくらも、凍蝶お兄、さま、も、いっしょ、できる?」

「四人で食べよう。久しぶりに……楽しみだな」

「はい」


 ただ朝ごはんを共にする約束をしただけだが、雛菊は嬉しそうに足をぱたぱたと動かす。彼女の一挙手一投足、すべてが狼星にとっては光り輝いて見えた。

『愛おしい』、と思うと同時に彼女の姿を十年見られなかった悲しさとやるせなさも去来していく。と同時に不安感も生まれた。


「寝たくないな……」


 狼星がぽつりとつぶやいた。


「ど、して……ですか? あした、朝ごはん、たのしみじゃない?」


 狼星は周囲を見た。夜警も何のそのの護衛陣は明日の警備ルートの確認をする為に顔を突き合わせている。さくらも凍蝶もまだまだ寝る様子はない。

 そして次に雛菊を見た。

 もう六歳ではない。成長した彼女が生きて帰ってきて、横に座っている。


「寝て起きて、今の状況が夢だったらと思うと怖い」


 違う心を持って、そこに存在している人は初恋を捧げた相手だ。


「俺、雛菊が居なくなってから何度も悪夢を見た」


 居てくれること自体が、奇跡のような人。


「偶に現実と夢の区別がつかない時がある。精神的に……不安定になりやすくて、薬もかなり飲んでる」


 彼女が戻ってきてくれるなら、死んでもいい。

 罪を償えるなら今すぐ死にたいと何度も思ってきた、


「だからこれは俺が作り出した願望なんじゃないのかって今もどこかで疑ってて……」


 雛菊はきょとんとしている。

 彼女も何かしら精神的に抱えているものがあるだろうが、狼星のとはまた種類が違うのだろう。狼星は少し自分を恥じた。弱いことや、抱えている問題があるということを敢えて隠さないようにしてきたが、好きな女の子の前ではその強がりもうまくいかない。


「ごめん……頭おかしいよな」


 狼星は顔を隠すようにして横を向いた。苦笑いしたまま、もう雛菊の方が見られない。しかし、雛菊がすぐに狼星の着物を引っ張って視線を戻させた。


「狼星、さま」

「……」

「雛菊は……あの子、じゃ、ない、です」

「……うん」

「だから、居なく、なり、ません」

「……」

「帰ってきた……『雛菊』……だから……」

「…………」

「……いまの、雛菊、狼星さま、くるしめる……?」

「そんなことはないっ」

「……」


 狼星は雛菊が悲しげな顔をしているのを見て、ひどく胸が締め付けられた。


「ごめんな、君の気持ちを考えない言葉だった。ごめん」

「ううん……狼星、さま、雛菊と居て、ほんとに、や、じゃない……ですか?」

「当たり前だっ」

「…………じゃあ、じゃあね」


 雛菊は砂糖菓子の声音で囁いた。



「きょう、いっしょに、ねますか?」



 その時、がやがやと騒がしかった室内が一斉に静かになった。

 護衛陣は会議に集中していたが、二人の会話を聞いていないわけではなかった。


「は……え?」


 狼星は激しく動揺した。先程までは帰ってきてくれた初恋の人を悲しませたことに困惑していた。今はその人が予想外の発言をしたことに狼狽えている。


「寝るの、こわい、なら、雛菊、いっしょに、ねます」


 そんな狼星とは反対に、雛菊は至極落ち着いており、獣をなだめる清らかな乙女のような雰囲気があった。言葉も純粋な優しさに満ちている。


 彼女はただ、眠るのが怖いという狼星を寝かしつけてあげようと思っているだけだった。


 人見知りしやすい娘だ。誰にでもこんなことを言うわけではない。

 かつての自分が慕っていた人、今の自分を守る為に相当な無茶をして駆けつけてくれた、信頼できる青年だからこそ申し出ていた。

 彼女自身も、心細い時などにさくらと一緒に寝てもらっているからだ。


「い、いや……」


 しかし、受け取る狼星は十年の恋をこじらせにこじらせまくり様々な想像をしてししまう。


「雛菊も、ね、それ、わかり、ます。いやな夢、みるの。きもち、ぐらぐら、のときもあり、ます」

「ひ、ひなぎく、あのな」

「そういう、時、ね……雛菊……さくらと、寝て、もらうの」


 雛菊は狼星に少し近寄られただけでもどぎまぎしていたことも忘れていた。

 使命感を抱く時、雛菊は人を守ることしか考えなくなる。

 今は狼星の不安感を軽減することしか頭になかった。

 聖母の微笑みを携えて言う。


「寝るときも、起きるときも、雛菊、いるって、おもったら、狼星さま、不安、へりません、か……? こわく、なく、なりません、か?」

「へ、減るけど……あのな」

「なら、雛菊、きょうは、狼星さま、寝るまで、おそばに、います」


 狼星は急に汗が吹き出してきて、顔も赤くなる。狼狽しながら周囲にまた目をやっった。さくらが『ころすぞ』という目つきで見ている。


「ころすぞ」


 実際に言ってきた。

 凍蝶が『お前、何を言わせているんだ』という顔をしている。

 他の護衛陣も『冬の代行者様、心が幼い女の子を利用しようと?』と危惧している。


「ち、違う違う! いまの流れはまったくいやらしくないんだ! 本当に!」


 狼星は弁明するように言う。凍蝶が口を開いた。


「……雛菊様、我が主を気遣っていただき感謝致します。しかし、狼星は幼稚なところもありますが子どもではありません。成人男性なんです。貴方の優しさを利用するかもしれない……」


 さらりとひどいことを言う。


「しないぞ!?」


 狼星は自分が置かれ始めた逆境にただ慌てるしかない。

 すると、さくらがスタスタと近づいてきて、雛菊を恭しく横抱きして無言で壁まで遠ざかった。警戒モードになっている。


「さくら! マジでお前が考えていることは何一つ起きないから大丈夫だぞ!」


 狼星はさくらと視線が交わったが、すっと逸らされる。


「……私には信頼して雛菊様を任せられる相手がいないんだ。お前はそうなってくれるかと思ったが……どうやら違うようだな」


 さくらが傷ついたような表情を敢えて作って言ってきた。新手の精神攻撃だ。


「やめろやめろやめろ! 俺は味方だ!」

「さくら、おろし、て……? おもい、よ?」

「いえ、まだ安全が確認されてないので……」

「さくら! おまっ お前ほんと俺のこと信用してくれよ!」


 顔を青くしたり赤くしている狼星を冷たいまなざしで一瞥してから、さくらは雛菊に微笑みかけた。


「雛菊様、さくらは狼星を寝かしつける役目をしたこともあります。大丈夫ですよ。あいつ、いつも飲んでる睡眠薬ありますから。雛菊様はお休みになられて、狼星には薬を盛って、朝起きる時に起こしに行ってやりましょう。それなら雛菊様のお気持ちも無駄になりません……どうですか?」

「そう、なの……? でも……」

「わかっております。狼星の為にと思って言われたのでしょうが、雛菊様はもう十六歳ですから……人と寝るのは……」

「……そっか、もう、子ども、じゃない、もん、ね……四季降ろしの時はね、みんなで、ほら……大広間で……」

「ああ、布団を並べてお喋りしながら寝たこともありましたね。しかし今は立派な淑女になられていますから……」

「じゃあ……雛菊、さくら、とも、もう寝ないほうが、いい……?」

「いやそれとこれとは話が別ですよ」

「さくらは、いいの?」

「さくらは良いんです」


 一騒動起きたが、日付が変わる前には春の代行者も冬の代行者もそれぞれ別室で就寝した。凍蝶はさくらが寝る前に、廊下で声をかけた。


「さくら、おやすみ」


 五年ぶりに聞いた彼の『おやすみ』にさくらは一瞬呆けた。

 何か憎まれ口を叩こうかと思ったが、恐らくこの男が一晩中雛菊とさくらが眠る廊下を守るつもりなのは分かっていたので素直に返した。


「……おやすみ、凍蝶」


 事件の夜はこのようにして過ぎていった。


 同じ帝都内ではあるが、離れた場所に存在する病院ではあやめが瑠璃の細い足を見ていた。百合の花の神痣がはっきりと印されているのを確認する。

 これがどういうことを意味するのか、今は彼女しか知らない。


――結婚、どうなっちゃうんだろ。


 あやめが把握している前代未聞の事柄は明日にでも夏の里に知れ渡るだろう。そうなれば里に激震が走るのは間違いない。あやめと瑠璃が結ぼうとしていた縁談にも影響が出ることは想像に難くない。

 つい暗い気持ちになる。頭を振って、様々な恐れを消した。

 今日はもう寝たほうがいい。


「……ちょっとつめてよ」


 あやめは狭いベッドに無理やり入り込み、たとえ神様になっても妹を護衛官として守らなくてはと決意して眠りについた。




「撫子、さすがにもう寝ないと……眠くないですか?」


 同じく病院残留組の秋主従は、寝台の上で共に寝転がりながらお喋りをしていた。

 両親の訪問やら何やらですっかり目が冴えてしまった撫子を寝かしつける為にそうしているのだが、撫子の目はぱっちりとしている。


「寝たらりんどう、いなくなっちゃうでしょう?」

「いえ、廊下で待機していますよ」

「みえるところにいてほしいの……」

「しかし電気を消しますから……今も消灯してないのは看護師に許しを得ているからで……」

「このままいっしょにねて。わたくしとりんどうならそんなにせまくないわ」


 竜胆は考える。PTSDになってもおかしくない傷害を受けた少女だ。彼女の言うことを今は何でも聞いてやりたい。しかし、自分も寝てしまいそうな気がした。

 撫子の身を案じるあまり不眠が続いている。柔らかで温かい体温、自分の秋を取り戻したという安堵、それが竜胆に睡魔となって襲いかかっている。


「……撫子とくっついてると本当に寝そうなので……警備が……」

「ほかのひともいるじゃない」

「俺が撫子を守っていたいんです」

「りんどうはわたくしの王子様だから……?」

「そう、俺は撫子の王子様で……」


 言いながらうつらうつらとしてくる。撫子はそんな竜胆の頭を撫で、毛布をよいしょよいしょと引っ張って彼にかけた。


「撫子……」

「りんどう、おやすみなさい。助けにきてくれて、ありがとう」

「……なでしこ」

「あした、いっしょにあさごはんたべましょうね」

「……」


 やがて竜胆が三分だけ目を瞑ろうと観念すると、撫子は満足した顔で微笑み、消灯した。布団に潜り込み、竜胆にぴったりとくっつく。そうしていると彼の呼吸音が聞こえる。吐息も、心臓の音も、何もかもが撫子にとって一番の子守唄だ。


 ――りんどうがそばにいる。


 撫子にとって、久しぶりに訪れた安息の夜だった。

 必ず守ってくれる王子様が傍に居れば、もう何も怖くない。


「りんどう、すきよ」


 内緒で竜胆の鼻と頬に口づけを贈ると、撫子にもようやく眠気が訪れて目を閉じた。




 大和というこの国で、四季達が眠りにつく頃。


 とある土地で生きる暁の射手が山を登っていた。

 あと数時間もすれば朝を司るその現人神が空に矢を放ち、夜の天蓋を切り裂く。

 四季の代行者もまた、誰かの恩恵を得て生きる者の一人だ。


 どんな困難と悲しみが訪れても朝は来る。夜の帳がまたかけられる。


 春も。


 夏も。


 秋も。


 冬も巡る。


 大いなる神の力を受け継いだ現人神だけではない。

 人々の努力や犠牲、積み重ねられた知恵により村や街が今日も息づいていく。


 傷ついた者達を受け入れてくれた病院も、安眠をくれた宿泊施設も、夜遅くまで開いていたファストフード店も、誰かが齎してくれた恩恵であり、そうして生かされた人が居る。

 いつも傍に居てくれる誰かもまたそうだろう。


 現人神も人間も、誰かに頼って生きている。


 そこは同じなのだ。




 今日も誰かが役目を果たす。





 かくして世界は続いていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る