ビビット
時津彼方
本編
「分かりました。少し『推理』してみましょう」
探偵のビビットは、実は探偵ではない。
探偵とは、その場の状況に基づいた論理的な推理を展開し、尾行や証拠によって真実を導き出す職業だ。
彼の父が刑事であるためか、たしかに彼の頭は切れる。
しかし、彼は犯人を導き出すためにその頭を働かせるのではない。
彼は、その場で起こったあらゆる出来事を、『見る』ことができる。
***
「盗難があったのは、今からおよそ三時間ほど前」
一人の刑事が、白い手袋をした手を、一つの側面が割れたショーケースの上に置いた。
「この中にあった、千年ほど前―――平安時代に書かれた歴史的書物が、何者かによって盗まれた。私達が来るまで誰もこの博物館を出ておらず、誰も入っていない。緊急装置が発動したため、抜け道は一切ない。つまり、この博物館にいる人間に、犯人がいる」
『この博物館にいる人間に、犯人がいる』という言葉から、どんな途方もない作業が続くのだろうと、思った人もいるかもしれない。しかし、今日の博物館の人の出入りは極めて少なく、従業員七人と客三人しか、この場に集まっていない。従業員はまずありえないとして、三人の客の中に犯人がいると考えるのが妥当だろう。
一人目の客は、鈴木という長身の男だ。この博物館の隅々まで知り尽くした、いわば常連客だ。そして、彼が初めて、書物が盗まれていることに気づいた。
二人目の客は、マークという、これまた長身の男だ。留学で日本に来ていて、ホストファミリーに進められて初めて来たとのこと。日本の文化に対する興味は、人並み以上にあるらしい。
三人目は、瀬谷という老婆だ。博物館に月に一回は来る、これまた常連客だ。今日は盗品の書物を見に来たらしく、盗まれたことに心を痛めている様子だ。瀬谷は、装置が発動する前に、館内に入った。
身体検査、事情聴取が行われている間、ビビットはいつものように、現場―――ショーケースの周りを『見』ていた。
すると、彼の目の前に現れたのは、黒いハットを被った男だった。長身とはいえないまでも、そこそこの背はあるようだ。
それは、博物館の研修生である、
***
彼は、現場を『見る』ことで、事のすべてを把握することができる。しかし、もちろん、彼の能力は非現実なため、信じる者はいない。彼が頭を働かせるのはこれからだ。その直観が、いかにも推理であるかのように、周囲に説明するための材料を集めて、論を組み立てることが、彼の探偵としての仕事だ。
まず、事情聴取を終えた石津谷を注視する。
石津谷はどうやらポケットの中で何かを触っているようだ。
ビビットは石津谷に近づく。
「すみません。ちょっといいですか」
「は、はい。なんですか」
「そのポケットの中にあるものを、見せていただけませんか」
「これですか」
そう言って、石津谷が取り出したのは、一つのカギだった。
「僕のロッカーの鍵です」
「少しロッカーの中身を見せていただいてもいいですか?」
「!」
石津谷は目に見えて動揺しだした。
それに気づいた刑事が近づいてきた。
「ビビット。どうした」
「いや、彼のロッカーを見せていただこうと思って」
「ロッカーがあるのか。じゃあ見せても……」
「すみません!」
石津谷は勢いよく頭を下げた。
「書物を盗んだのは僕です!」
石津谷は鍵と膝を地面に落とした。
***
石津谷は、自分の研究のために読みたいから、という自供をした。
実に人間じみたもので、周囲のほとんどはあきれ返ったが、館長の配慮によって、逮捕には至らなかった。
ビビットは、今日もコーヒーをすする。
『直感』した後では、眠気が来てしまうからだ。それに―――。
プルルルルルルル…………。
彼の一日は長いからだ。
ビビット 時津彼方 @g2-kurupan
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