第40話 仕事はじめ

 正月気分が抜けきらない状態のまま仕事はじめの日がやって来た。

 社内では新年の挨拶と共に気だるい空気が漂っていた。


「あ、古泉さん。新年明けましておめでとう。今年もよろしく」

「あ、明けましておめでとうございますっ……」

「ん? どうしたの?」


 古泉さんは明らかにバツが悪そうな様子だった。


「すいません、茅野さん。年末は大変失礼しましたっ!」


 古泉さんは今や懐かしいガラケーを彷彿させるくらい身体を二つ折りにして頭を下げていた。


「ど、どうしたの?」

「私、酔っぱらってしまって、すごく迷惑をお掛けしましたよね?」

「別に迷惑とかはなかったけど……」


 仕事納めの夜に二人で飲みに行ったときのことだろう。

 タクシーで家まで送った翌日に古泉さんからは謝罪のメールが届いていたが、まさかここまで反省しているとは思わなかった。


「本当にすいません。私めちゃくちゃなこと口走ってませんでしたか?」

「いや? そんなことないよ」

「私は昔から酔うと飛んでもないことを要ってしまうらしくて……友だちによく注意されていたんです」

「へ、へぇ……」


 確かにあの夜の古泉さんはすごかった。

 すぐに『夜の夫婦のなかよし』について熱く語っていたのを思い出す。


「ほら! 今なんか変な間がありましたよね!? やっぱりなんか言っちゃったんですね!」

「大丈夫。仕事の愚痴とかだよ」

「本当ですか?」

「ああ。嘘じゃない。だから安心して」

「そうですか……」


 古泉さんはほっとした様子でうつむく。

 これはついてもいい嘘だ。

 真実を知ったら恥ずかしさで会社を辞めてしまうかもしれない。



 新年早々ということもあって店を開けている客先もわずかだ。

 配達もすぐに終わり、書類整理などの事務処理を行っていた。


「年末年始はゆっくり出来ましたか?」


 古泉さんがお茶を持ってきてくれる。

 今朝の取り乱し振りはもうないようだ。


「ありがと。お陰さまでのんびり出来たよ」

「実家に帰られなかったんですよね?」

「ん? あ、まぁ」


 どうやらそこは覚えていたらしい。


「お一人で寂しくなかったですか?」

「いや、まあ、気楽だよ。実家にいると親戚とかやって来るし。離婚のこと聞かれたり、お年玉せびられるよりましだから」


 まさか大晦日にJKとカウントダウンしてたなどとは言えず、慎ましやかな年越しだったことをアピールする。


「あ、そういえば前にお会いした姪っ子ちゃん元気ですか? あの、レイアちゃんでしたっけ?」

「ぶほっ!」

「きゃ!? 大丈夫ですか!?」

「ごめん。気管に入って噎せた」


 いきなり玲愛の話になり、思わず動揺してしまった。

 ハンカチで拭いていると古泉さんがフキンを持ってきてくれる。


「料理上手でしたよね、玲愛ちゃん」

「そ、そうだね」

「また教わりたいなぁ」

「こ、古泉さんほ実家に帰ったんだよね? どうだった?」

「早く結婚しろばっかりですよ。まあ両親の気持ちも分からなくはないですけど、急かされてするものじゃないですよね。どう思います?」

「ははは。俺に結婚のアドバイスをもらうのは酔っぱらいに禁酒のやり方を教わるようなもんだよ」


 我ながら上手いことを言ったと思ったが、古泉さんは眉をしかめた。


「茅野さんが結婚を失敗されたのはパートナーの方の問題です。茅野さんが悪い訳じゃないです」

「ま、まぁ、それもあるかな」


 あまりの勢いに思わず怯んでしまう。


「それしかないですよ! 結婚当初から浮気していたなんてあり得ないです!」

「そ、それは覚えてるんだね」


 二人で飲んでいる時に元嫁のことを聞かれて、つい浮気について話してしまっていた。

 自らの発言は忘れてしまっているようだが、俺の話は覚えていたらしい。


「一度相手のせいで結婚生活が破綻したくらいでそんなに自分を卑下しないでください」


 似たような台詞を玲愛にも言われたことがあるのを思い出した。


「ありがとう。でも自分が結婚に向かないと落胆しているというよりも恋愛に興味を持てないということの方が大きいかも」

「どういうことですか?」

「離婚を経験して、なんか落ち着いたというか。恋愛よりも平穏に毎日を暮らしていきたいって気分なんだよね」

「三十歳前でそんなに枯れてどうするんですか」

「枯れる、か」


 確かに恋愛に関しては枯れてきたが、毎日の生活という意味では以前より潤いを増している。

 それはもちろん玲愛のお陰だ。


「恋愛はもういいとか、そんな寂しいこと言わないでください」

「寂しいかな? 」


 男とか女とか意識せずに人と付き合って、変に気負いせずに気楽に生きるのはむしろ楽しい気がする。

 玲愛も彼氏だとかからかってくるが、いわゆる男女の仲に踏み込もうとしてこないように見えた。

 だから玲愛との生活はうまく行っているのだろう。


「寂しいですよ。そ、それにもしかしたら本当に結ばれるべき『運命の人』とはもう既にであってるかもしれませんよ?」


『運命の人』と言われて真っ先に思い出したのは、元嫁の浮気が発覚したあの日の朝に観たいい加減な星占いだ。

 あの占いで俺は運命の人と出会うと言われた。

 そして出会ったのが玲愛だ。


「ないない! それはない! 運命の人だなんて、そんな馬鹿なこと!」


 頭の中に浮かんだ玲愛を慌てて振り払うように否定する。

 そんな俺を見て古泉さんはむすっと唇を尖らせる。


「そんなに否定しなくてもいいじゃないですか」

「え、あ、いや。ごめん」


 古泉さんは俺を心配して励ましてくれているのだ。

 それなのにあまりに否定する俺を見て呆れてしまったのだろう。


「でも運命の人とか、そういうのはないと思うよ。あはは……」

「もういいです」


 古泉さんは怒りながら席に戻っていってしまった。

 また今度フォローしておかないとな。

 職場をギスギスした空気にはしたくない。


 そんな俺の心境など知らずにスマホがメッセージ着信を伝える。

 送ってきたのは玲愛だった。


『お仕事はじめおつかれさまー!今夜はカレーだよ!早く帰ってきてね、だーりん♥』


 馬鹿っぽい文面に思わずにやけてしまう。


『誰がだーりんだ。帰りは早いと思う』


 素早く返信してスマホをしまう。

 なんだか早く家に帰りたくなってきた。




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 読者の諸兄、ダーリンの皆様、こんばんは!

 お酒を飲んで記憶なくすというのは本当にあるのでしょうか?

 私はあまりお酒を飲まないのでそんなことなったことがありません。


 創作のなかで記憶をなくす描写をするときはいつもこんな感じかなぁとビクビクしながら書いてます。


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