第25話 葉月グリル

 春から玲愛が働くという『葉月グリル』は繁華街の山手にあった。

 古い住宅と新しく出来たマンション、お洒落な店や昔ながらの商店街、色んなものが混在した雑多なエリアだ。

 変わることを拒んでいるようにも、変わろうとして変われなかったようにも見える地域である。


「ずいぶんと入り組んだところにあるんだな」

「そうなの。知る人ぞ知る名店だよ」


 職業柄、レストランの立地は気になってしまう。

 繁華街は遠くないが、傾斜のきつめな坂道を上ってこないといけないし、一方通行も多い細い道なので車でのアクセスは難しい。

 お世辞にも立地条件に恵まれているとは言えなかった。


「ここだよ」

「へぇ、趣があるな」


 かなりの築年数がありそうな雑居ビルの一階にその『葉月グリル』はあった。

 店の入り口付近にはいくつかの植木鉢が置かれ、木製の扉は緑色に塗られている。

 落ち着いた雰囲気のある可愛らしい店だった。

 夜のピーク時を避けて来たけれど店内はそれなりに賑わっていた。


「いらっしゃいませ。あ、玲愛ちゃん。いらっしゃい」


 ホールの初老のおばさんは玲愛の顔を見るとニッコリと笑った。

 シェフの奥さんなのだろうか、人柄の良さが顔に滲み出たような人だ。


「やっほー、おばさん」

「こら、玲愛。これからお世話になる人に失礼だろ」

「いいのよ。玲愛ちゃんはこんな小さな頃から知ってるんだから」


 案内されたのは窓際のテーブル席だった。

 メニュー表は最近ではほとんど見ることのない革張りのもので、そんなところからもこの店の歴史を感じさせられた。

 ハンバーグやミックスフライ、ミンチカツにオムライスと昔ながらの洋食屋のメニューが並んでいる。


 目移りしているとおばさんが水を持ってやって来た。


「まさか本当に玲愛ちゃんが彼氏を連れて来る日が来るなんてね」

「あ、いや、彼氏じゃないんですけど」

「あら、そうなの? 彼氏連れていきますって玲愛ちゃんから聞いていたのに」

「玲愛。変な嘘つくなよ」

「まー、いいじゃん。細かいこと気にしないの」

「細かくねぇだろ」


 相変わらず玲愛は俺を彼氏だと吹聴して回っているのか。

 困った奴だ。

 そんなやり取りをする俺たちをおばさんは優しい笑顔で見守っていた。


「玲愛ちゃんは昔から彼氏が出来たら連れて来るって言ってたのよ。やっとその時が来たと思っていたのに」

「ご期待に添えずすいません」

「いいのよ。そのうち事実になるかもしれませんし」

「そうそう」

「調子に乗るな」


 俺はミックスグリルを、玲愛は看板メニューだというハンバーグを注文した。

 店内には家族連れの客が目立つ。

 普段からそういう客層が多いのか、子供用の椅子や食器を提供していた。

 こういう気配りができる店はいい店が多い。


 前掛けエプロンをケチャップでベタベタにしながらナポリタンを食べる子どもを、玲愛が目を細めて眺めていた。

 慈愛に満ちたその顔は、はじめて見る玲愛の表情だった。


「素敵なお店でしょ? ここに来るとみんな笑顔になるの」


 自慢げに語る玲愛を見て、なんだか俺も嬉しくなって頷いた。


「じゃあ玲愛も春からは頑張ってみんなを笑顔にしないとな」

「出来るかなぁ? 楽しみだけどちょっと不安でもあるんだよね」

「大丈夫。玲愛なら出来るよ」

「そうかな? あたし結構ドジだし」

「玲愛は失敗しても一生懸命やるだろ。その根性があるなら心配ないよ」

「でも空回りしそうじゃない?」


 玲愛は苦笑いしながら首をかしげた。

 お調子者の玲愛にしては珍しい。

 気合いが入っている分、不安もあるのだろう。


「そんなに気負いすぎるなよ。少なくとも俺は実際に玲愛に笑顔にしてもらってるから」

「えっ……マジ?」

「考えてみろよ。嫁に自宅で浮気され、しかも財産寄越せ的なこと言われたんだぞ? そのあと許してくれとか頭下げに来たのを追い返し、しかもその浮気相手はニュースになるような事故を起こした。普通に考えてこんな状況だったら落ち込んだり嫌気が差したり、何もかもが嫌になって人間不信に陥ったりするだろ? でも今の俺は舞衣と結婚していたときよりずっと毎日が楽しいよ」

「それってあたしの影響?」

「そりゃそうだろ。一人でいたらあの家を速攻で売っ払って適当なワンルームに引っ越して飲んだくれてるんじゃないのかな」

「お酒飲めないくせに?」

「飲めない奴ほどこういう時アルコールに嵌まったりするんだよ」


 お世辞じゃなく本心で玲愛には感謝していた。

 玲愛は恥ずかしそうに「そっかぁ」と呟いてモジモジしていた。

 厚かましいくらいグイグイ来るくせに、誉められると照れる。

 玲愛らしいリアクションだ。


「玲愛は人をしあわせにするのが上手だ。だから心配せずに精一杯やればいいよ」

「うん。ありがと、茅野さん」


 ニパッと笑った笑顔がいつもよりもあどけない。

 その愛らしい笑顔に俺はまた癒されていた。





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 いつも読んでいただき、ありがとうございます!


 思い出のレストラン、皆さんにはいくつあるでしょうか?

 私も幼い頃親に連れられて場所も名前も覚えていないけど忘れられないレストラン、はじめてのデートで利用したレストラン、アルバイトをしたレストラン……

 色んなレストランの思い出があります。


 玲愛ちゃんにとってこの葉月グリルは年に一度だけ訪れられる夢のような場所でした。

 そんな聖地に茅野さんと来られたことは感慨深いものだったようです。


 さて、皆様のお陰で入れ替りの激しいランキングでも本作品はなんとかしぶとく頑張らせてもらえてます!

 しばらく週間三位をキープできており、驚いております。

 これからも頑張りますので、応援よろしくお願いいたします!


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