第15話 玲愛のお母さん
「見て見てー!」
玲愛は返された答案を誇らしげに見せてくる。
67点、72点、61点……
どれもお世辞にも高得点とは言えないが、全教科で赤点を免れたようだ。
「やったな。おめでとう」
「やれば出来る子だからね! 恐れ入った?」
「いや、そこまで威張る点数ではないだろ」
「これでちゃんとした料理が作れるよ! ここ最近手抜き料理でごめんね」
玲愛は嬉しそうにピースサインを向けてくる。
「そのことなんだけど」
「ん? なに? 食べたいリクエストとかあるの?」
「玲愛、一度実家に帰らないか?」
そう告げた瞬間、玲愛の瞳から喜びの光が消えた。
「……出て行けってこと?」
「そうじゃない。ただやっぱり高校生は親と暮らした方がいいと思うんだ」
「やっぱ、出て行けってことじゃん!」
「落ち着け。そうじゃない」
「迷惑なんだ? ふぅーん。分かった。じゃあ出て行くから」
「迷惑だなんて思っていない。玲愛がいてくれて助かってる。家事のこともそうだし、精神的にも助かってる」
「じゃあなんで追い出そうとするわけ?」
玲愛の瞳はみるみる涙で滲んでいく。
もっと怒ったり、図々しく居座ると開き直るかと思っていたので、このリアクションは焦った。
「ごめんな。追い出そうとしてたわけじゃない。だったらせめて玲愛のお母さんと会わせてくれ。三人で話をしよう」
「無理」
「そう言うなよ。玲愛がこの家に残るとしても、実家に帰るとしても、一度ちゃんと話し合わないと駄目だ」
玲愛はうつ向いたまま、口をギュッと結んで涙を堪えていた。
玲愛を苦しめるのは辛いが、この問題はやはり黙って見過ごせない。
一度ちゃんと話し合わなければならないだろう。
きちんと話し合い、玲愛がこれからもうちにいたいと言って、玲愛の母もそれを許すとして、そのとき俺はどう答えるのだろうか?
玲愛に指定された日。
俺は普段着ないスーツを着て玲愛と家を出た。
ちなみに場所は教えてもらってないので玲愛の指示で車を運転しなくてはならない。
玲愛が乗り気じゃないのは明らかで、助手席の上で膝を抱えて丸まって座っていた。
「あ、その角を右」
「えー? もっと早めに言えよ。自転車じゃないんだから」
「うるさいなぁ。曲がれたからいいじゃん」
玲愛は不服そうに顎を膝の上に置きベェーッと舌を出す。
小憎たらしいことこの上ない。
「住所教えてくれたらナビに入れるから。玲愛もいちいち説明するの、面倒だろ?」
「いいの。黙って運転して。あ、そこ左」
「あー、もう!」
住宅街から都市部を抜け、どんどん山の方へと向かっていく。
本当にこんなところに住んでいるのだろうか。
俺を連れていきたくないから嘘をついているのではないだろうか?
三十分ほど走ると、緑に囲まれた見晴らしのいい丘に到着した。
「ここだよ」
「えっ……ここって……」
看板には大きく『美ヶ丘霊園』と書かれていた。
「あたしのママはここで眠っているの」
玲愛は看板より、墓地より更に遠くを見る目で呟いた。
そして静かに生い立ちとこれまでの経緯をポツポツと語りはじめる。
玲愛が一歳になる頃、両親が離婚したので実の父親の顔を知らないらしい。
小学生になった頃から見知らぬ男が家にやって来るようになった。
玲愛が三年生になる頃には一緒に住んでいたとのことだ。
「その人の名字が浅海っていうの」
「なるほど。俺とキャンプ場で出会った頃はその人の名字だったんだね」
「そ。でもいきなり『新しいパパ』とか言われても引くよね」
玲愛は乾いた笑いを浮かべて話を続けた。
玲愛は懐くことなく、その男も懐かない玲愛に関心を持たなかったそうだ。
玲愛が中学校に上がった頃、その男は突然いなくなったらしい。
そこからまた母一人娘一人の生活に戻った。
「他の女を作ったのか、借金で逃げたのか、警察に捕まったのか、理由は教えてくれなかったから分からない。とにかくそれからママは塞ぎこむ日が増えた」
それでも生活は続いていく。
お母さんは朝から晩まで働き、玲愛は本格的に家事を担当した。
大変だったけど知らない人と暮らすよりはしあわせだったよ。
玲愛は柔らかい笑顔でそう言った。
しかし無理が続いたのか、玲愛が高校一年生の時に悲劇が起きた。
お母さんはスクーター運転中、不注意がもとで事故に遭ってしまう。
「急いで病院に行ったけど、その時にはもう……」
玲愛は顔を隠すように顔を埋めて丸くなった。
でも小刻みに震える肩を見れば、どんな表情をしているのかは確認するまでもなかった。
「そうだったのか。大変だったな」
俺は玲愛の肩を抱いた。
玲愛は俺に抱き寄せられるまま、体重を預けてきた。
「それから親戚の誰があたしの面倒を見るかで揉めた。あたしギャルだから見た目こんなんだし、ママも親戚の中で好かれてなかったから、どこも引き取りたがらなくて」
押し付けられるようにお母さんの兄の家に預けられたらしい。
そこには玲愛と同い年の娘がいて、その子は玲愛と違い成績優秀だった。
伯父さんは多少優しかったが、血の繋がりのない伯母さんは玲愛に冷たかったらしい。
「ここはあたしのいるべき場所じゃない。ずっとそう思って暮らしていたの。そのうえ受験が間近なのに、いとこの成績が思うように上がらなくてね。家中がピリピリしていた。だから邪魔なあたしは出ていくって言ったの」
「当てもないのにか?」
「男の家に転がり込むって言ったら形だけ引き留められて、最後は呆れるように『好きなようにしなさい』って」
玲愛は顔を上げ、涙の筋が出来た顔で笑った。
強がりの笑顔は見ていて痛々しく、心の傷口を癒すように玲愛の頭を撫でた。
「伯父さんたちもまさか転がり込む先の男がこんな年上だとは思わなかっただろうけど」
「悪かったな、おっさんで」
「おっさんなんかじゃないよ。優しい年上のお兄さんだから」
調子のいい奴だ。
「でも男のところに転がり込むなんて言ったら呆れられただろ? 本当は気を遣って出ていくのに」
「別にいいし。その方が伯父さん一家も追い出したって罪悪感なくていいでしょ」
「子どものくせに変な気を回すんだな」
「子どもじゃないし。それに一年くらいお世話になったんだから、それくらい恩返ししないと」
自分が嫌われることで丸く治めようとする。
不器用だけど玲愛らしい優しさに胸が締め付けられた。
「ほら、行くぞ」
車を降りて玲愛を促す。
「え? 伯父さん家に!?」
「まさか。お墓参りだよ。玲愛がこのまま俺の家に住んでいいか、お母さんに許しをもらいに来たんだろ」
「うんっ!」
玲愛は小型犬のような素早さで車を降りる。
急に元気になりやがって。
にやけそうな顔に力をこめて、玲愛のあとをついていった。
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