第5話 楽しいことを考えて暮らす

 俺の仕事はレストランなどの飲食店に割り箸やら弁当箱、食器などの消耗品や備品を届ける営業だ。

 食材以外のものを納入する、いわば飲食店向けの便利屋みたいなものだ。

 そんなに激務というわけじゃないが、お客さんからの注文は夜遅くでも来る。

 常に携帯電話を気にしておかなければならない。


 翌日、仕事から帰るともはや当たり前のように制服にエプロンをかけた玲愛が待っていた。


「お帰り。今日は早かったね」

「まぁいつもこんなもんだよ」


 夕飯はリクエスト通りハンバーグだった。

 食費や生活費として玲愛にお金を渡したから買い出しまでしてくれたようだ。


「いまから焼くからちょっと待っててね」

「え、今から?」

「せっかくなら焼きたてを食べて欲しいじゃん」


 玲愛は慣れた手付きでパンッパンッと空気を抜きながらハンバーグを整形していく。


「ありがとう。もしかして玲愛も食べてないのか?」

「そうだけど? 当たり前じゃない?」

「気にせず先に食べてていいよ」

「え、無理」

「お互い気を遣わず暮らそう」

「そういう問題じゃなくて。一人で食べるとか寂しすぎでしょ? せっかく茅野さんいるんだから一緒に食べたいし」

「そ、そうか?」


 出ていった妻の舞衣は、大概俺のことなど待たずに食べていた。

 なんか時おりさらっと心に刺さることを言うよな、玲愛。


 玲愛が料理をしている隙にテーブルの下でスマホを確認する。

 やはり舞衣からの連絡は来ていない。

 このまま消えるつもりなのだろう。

 それで構わないが、ちゃんと離婚だけはしておきたかった。



 相変わらず玲愛の料理は絶品だった。

 ハンバーグはかなり厚めなのにしっかりと中まで火が通り、割った瞬間に肉汁が溢れてきた。

 付け合わせの野菜も、コーンポタージュスープも非の打ち所がない出来だ。


「ごちそうさま。玲愛は本当に料理が上手いな」

「誉め上手だね。ありがとう」

「おだててる訳じゃない。本当にそう思う」

「あんまハードル上げないでよ? 明日はマズイかもしれないし」


 そう言いつつ玲愛は嬉しそうに微笑んでいる。

 最初見たときはギャル丸出しで苦手だったが、こうして見ると可愛らしい顔立ちをしている。



 玲愛が風呂に入っている間に舞衣へメッセージを打つ。

 何度送っても既読すらつかないけれど。


『とにかく一度会って話をしよう』


 その一文だけだ。

 よりを戻したいとか、そんな気は俺にも毛頭ない。

 浮気を見つけたときは腹が立っていたが、今は怒鳴り付けてやろうという気すらなかった。

 まあもちろん嫌味の一つくらいは言うだろうけど。

 とにかく離婚の手続きを進めたい。


「お風呂上がったよー」

「お、早かったね」


 隠すようにスマホをしまうと玲愛は目を細めて俺を睨んだ。


「茅野さんってずっとスマホいじってるよね。感じよくないよ?」


 まさか女子高生からそんな指摘をされる日が来るとは夢にも思っていなかった。


「仕事だよ」

「ウソ。仕事のケータイはスマホじゃなくてパカパカフォンの方でしょ」

「ガラケーのことパカパカフォンって呼んでるんだ?」

「話逸らさないで」


 ずいっと玲愛が顔を寄せてくる。

 湯上がりの体温が感じるくらいの距離にドキッとしてしまう。

 そのうえ襟首が緩いTシャツを素肌に着ているからたちが悪い。


「まだ奥さんと連絡が取れてないの?」

「まぁな」

「こっち見て!」

「な、なんだよ」

「人と話すときはちゃんと目を見るの!」

「近すぎるんだよ」

「いいから」


 玲愛は俺の頬を両手で挟んで無理やり前を向かせる。

 ぽにゅっとした谷間が丸見えだ。


「スマホみてる時の茅野さんの顔、怖いよ。あんま好きじゃない」


 そう指摘されてはじめて自分が険しい顔でスマホを弄っていたと知った。


「連絡がつかないなら放っておいたらいいじゃない。嫌なこと考えて暮らしてても仕方なくない? そんなことより楽しいこと考えてた方が絶対いいって。あたしバカだからよく分かんないけどさ」

「なるほど……確かにそうかもしれないな。ありがとう」


 未練があるならいざ知らず、きっぱり別れようと思ってるのだからこの先どうなろうが知ったことではない。


「茅野さんが悪いなら悩むのも仕方ないけど、一方的に向こうが悪いんだから。そんな人のために悩むなんてバカらしいよ」

「それもそうだな」

「茅野さんは優しくて、真面目すぎるんだよ。そこがいいところでもあるんだけどさ。もっと気楽にいこ」

「ありがとうな、玲愛」


 普段はウザ絡みばっかりだけど、たまには良いことを言うんだな。ちょっと見直した。


「元気出た?」

「ああ。お陰さまで」

「もうちょっと慰めてあげる?」


 玲愛はTシャツの襟元を人差し指でくいっと下げて更に谷間を見せてくる。

 ノーブラだって自覚あるのか、こいつ……


「……追い出すぞ?」

「なんでよ! 人が心配してあげてるのに!」


 本当にこいつはなにを考えているんだろう。

 見直しかけたのに損した気分だ。


「そうだ玲愛。明日、学校休みだろ? 俺も休みだ。買い物に行かないか?」

「え、マジで?」

「玲愛、服をあんまり持ってないだろ? 買ってやるよ」

「うそ!? ラッキー!」

「あんまり高いのは無理だからな」

「分かってるって! ありがとう、茅野さん!」

「ちょっ!? キスしようとしてくんな」

「えー? キスくらいいいじゃん。これは恋愛感情とかじゃなく、感謝の気持ちのキスだから」

「どっちの方であろうがキスはキスだ!」


 なんだか玲愛といると疲れるし、ウザい。

 でもなんだかちょっと楽しい。

 調子に乗るだろうから、それは伝えないけど。



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