夏祭り



「暑いな・・・・」


 もうもうとソースの匂いがたちこめる。ジメジメとした夏の空気に混じったその匂いは、辺りそこらじゅうにある沢山の食べ物の匂いと合わさり、より一層、広がり続ける。彼女が言っていた祭りの雰囲気とはこういうことなのだろうと、少し納得した。


「はあ、早く来すぎた・・・・」


 腕時計が指す時刻は五時四十分。約束していた時間よりも二十分近く早く着いてしまった。残念ながらこの短い人生で一度も女性とお付き合いをしたことのない男なので、早め早めに行動しようと思って結果待つことになった。


 不思議と暖かいこの空気のせいなのか、眠気がゆっくりとやってきた。


「ふあ・・・・」


「おうおう、大きいあくびだね〜」


「ぎゃあ!?」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。彼女の吐息が首筋に掛かる。


「結構待った?」


「い、いえ、そんなことは・・・・」


 氷のように固まった首を動かす。後ろを見ると、当たり前だが、彼女がいた。


「うーむ、いい返事だ。君のことだから、もしかしたら『待ちましたよ〜』とか言いそうだしね。」


「そんなことは言わないし、声真似が全く似てない・・・・」


 彼女は僕の言ったことに返しもせず、どこぞのクイズ番組の司会者のように言った。


「この勢いでもう一つ質問だっ!私の服はどう?」


 そう言われて、初めて彼女の格好に気づいた。


 朝顔か何かをモチーフにした花が、青い藍染の生地に咲いている。たくさんのその花は下の方に、どこかの花畑を連想させるようにあしらわれている。茎から細く長く伸びたつるは他の茎と合わさり、不定形な文様を作り出している。


 一方彼女の髪型はその落ち着いた美しさとは対照的に、荘厳華麗と言うべきか、また違う美しさを放っていた。普段の長いストレートの髪は後ろで纏められており、艶やかな黒色のおかげなのか金の髪刺しが映えている。


「え、と・・・・いいんじゃないかと、思います・・・・花みたいなやつとか・・・・」


「なんだよー、その反応。まあいいや、ちゃんと褒めたところは認めよう。ただし、気の利いたことを言うときには恥ずかしがらないように。」


 しょうがないじゃないか、と言いたかったが恥ずかしさが勝って言い出せなかった。普段見ている彼女とは別人のようで、思うように言葉が紡ぎ出せなかったのだ。


「ま、いいや。ほら早く行こ!」


「おわっ・・・・」


 半ば無理やり手を引かれた。


「ほら、射的だよっ!」


「はあ、そうですね・・・・射的・・・・」


 彼女は普段よりも声が高かった。時々大人びる顔をする彼女に驚くこともあるのだが、今日はそんな素振りも見せずに無邪気な子供のようにはしゃいでいる。彼女は祭りが好きと言っていたが、本当に大好きなんだと目で分かるほどに嬉しそうだ。


 愛想の良く笑う射的屋の店主に金が渡された。先程のはしゃぎようは何処へやら、いつになく集中した目をしていた。何か獲物を見るような目で景品を一つ一つ見定める姿はさながら野生動物のようであった。


「っ・・・・!」


 パァン、と空気銃の乾いた音が響き渡った。すぐさま落としたであろう景品に目を向ける。


 さらに彼女は続けざまに三発放った。


 結果は――――


「なーんーでー!」


「えぇ・・・・」


 見事に大はずれ。落ちた景品などなく、さっきの表情からは見当違いの腕だった。なんだかおかしくなって笑ってしまう。


「フフッ・・・・」


「ちょ、なんで笑うの!そんな自信あるんだったらやってみてよ!」


 目の前に一発のコルク弾がある皿が置かれた。大見栄を張った訳ではないが、たしかにからかってしまった以上、僕もやらなきゃいけない。またもし僕が外しようものなら彼女は僕を嗤う。それだけは御免である。


「じゃ、やってみますよ・・・・」


「お!案外乗り気だねぇ!ほらほら、早く撃った撃った!」


 銃にコルク弾を詰めてしっかりと装填した。見た目よりズッシリと重い銃は、思った以上に体にピッタリだった。引き金に指を入れて、ゆっくりと息を吐いた。


 やり方は知らないけど、当たるか・・・・


 想像以上に大きい破裂音が耳に鳴り響いた


――――――――――――


―――――――


―――


「ほらー、そんないじけないでよ〜」


「・・・・いじけてなんかいません」


 にゃはは、と嗤う彼女を尻目に、僕は先程の失敗の原因を考えるつづけた。狙いは悪くなかったし、構えも良かったはずだ。それともそこにはない別の何かが原因だったのだろうか。まあ別に悔しいわけではない。


「いや〜、あれだけ笑っといてね?君がドヤ顔で銃構えてね?外すとはね?もう笑うしかないじゃないか!」


「あーもうやめてください!」


 言われれば言われるほど恥ずかしくなってきたのですぐに考えることを放棄した。


「ほらほらまだ買いたいものあるんだから、早く行こ!」


「まだ時間たっぷりありますし焦る必要なんてないですよ。」


「違うの〜、私はあの上で食べたいの〜。」


 そう言って彼女は坂道の上にある丘を指さした。


「あそこ?何もありませんよ?」


「違う違う、私はあの上で花火を見たいの!」


「花火、ですか。」


 花火なんて小学生以来だろうか。今は亡くなった祖父母の家に行った時、ちょうど今のような夏祭りがあった。そのときに見た花火は、規模は小さかったが祖父母と見れたことが一番嬉しかった。けれど友人と見にいったことなどなく、かと言って恋人と一緒に行ったことなどない。


「ほら行こっ!」


「は、はい・・・・」


 屋台の上に設置されている提灯は、沢山の人を照らす。けれど、僕にとってその光は彼女を照らすスポットライトのようにしか見えなかった。


 髪に刺さっている後ろの簪がキラリと光る。チラチラと見える横顔が眩しい。カラカラと鳴る下駄の音は、僕の歩く音よりも小刻みで、少し歩きにくそうだ。


 彼女先輩は僕のことをどう見ているのだろう。


 後輩は彼女のことをどう見ているのだろう。


 夏の蒸し暑さのせいなのか、考えがうまくまとまらない。頭に濃霧がたちこめたようにどうも深く考えられないのだ。


 グッと体を引かれた。


「ほら、始まっちゃうよ!」


「は、はあ・・・・」


 丘まで続く階段は長かった。登り続けると先程の食べ物の匂いはどこへやら、涼しい風が穏やかに吹き、代わりに木々の匂いを蓄えてやってきた。汗ばんだ服を冷やすように通り過ぎていく。


「はー、やっとついたぞー!」


「ええ、ほんと遠かったですよ・・・・」


 ゼーゼーと肩で息をするのも束の間、今度はその息すらをも呑んだ。


 白い月がどこまでも続く澄んだ夜空に浮かぶ。周りには銀の粉を塗したように、視界いっぱいに星が広がっている。人間じゃ絶対に届かない遥か遠くにあるのに、手を伸ばせば引き寄せられそうなほどに近かった。


 美しかった。


「綺麗だなあ〜!ほら、下も見てみなよ!」


 言われた通りに下に目をやる。眼前に広がる階段の先には屋台と人が埋め尽くしている。遠くて見えないが、多分その顔は皆笑っているだろう。さっきまであそこにいたのだから、尚更よく分かる。


 さらに遠くへ目をやると、僕の住む街が見えた。あの無数の明かりにはたくさんの家族がいて、それぞれの人生があって、それぞれの関わりがあって。そう考えるとより一層ここから見る景色が綺麗に見えた。


「・・・・僕たち、あの街に住んでいるんですね。」


 ふふっ、と彼女は優しく笑った。


「そう言う気持ち、分かるよ。面白いよね。私たちは毎日あそこのいる。でもここから見ると不思議に思っちゃう。普通のものが、ここへきたら普通じゃなくなる。だから私は君をここへ連れてきたんだ。」


 彼女も僕と同じ考えをしていたようだ。またも心を覗かれているように思えたが、そんなことはどうでもよくて、この景色にただただ見惚れ続けていた。


 突然、眩い光が僕らを覆ったと思ったら、ヒューっと生き物の鳴き声のような音が届いた。


「すごいー!あっちからもこっちからも!」


 強く光ったあとに遅れて音が届く。夜空に光る花火であった。


「ええ、本当に綺麗ですよ・・・・」


 テレビなどで見るそれとは全く別と言っていいほど、美しく壮大だった。尾を引いて昇った花火は一瞬消えたかと思った瞬間、弾けるように大きく爆発した。そこから生まれた小さな火の玉はやがて円の輪郭をあやふやにする。あっという間に消えたと思ったら、他の花火がまた咲き始める。


「ほら、あっちには彼岸花みたいなやつ、ほらこっちにはハマナスみたいなやつも!」


「ハマナ・・・・?」


「花の名前だよー。栽培委員入ってるんだったらそれくらい分からないとダメじゃないか。」


 偉そうに話す彼女だったが、その豆知識はどうでもよく、花火に夢中にようだ。目を輝かせながら、柵に身を乗り出していた。


「君は花火嫌いなの?」


「別に、そういうわけじゃ・・・・」


 ふーんと何か意味ありげに言う。


「なんか楽しくなさそうだなあって。」


「・・・・こういう行事にあまり慣れてないんです。人混みとか昔から苦手で。今日は何故か来てしまったんですけど。」


「ふーん、じゃあ私のおかげってことかな?」


「・・・・多分、そうですよ。」


「ふぇっ?」


 彼女は素っ頓狂な声を上げた。


「そ、そっか、ならいいんだけど・・・・」


 口籠る彼女の声は最後には聞こえなくなった。やがてお互い話すことがなくなり、あとは静かに花火を見上げ続けた。静かな丘の上には草木から鈴虫の音が絶えず鳴り続ける。


 少しして彼女がまた口を開いた。


「ねえ・・・・もし、私が・・・・」


「・・・・?」


 途端に彼女は黙った。


「いーやなんでもない。やっぱいいや。」


「はあ、そうですか。」


 なんだかうやむやにされた気分だが、詮索しようとする気分も勇気も生憎持ち合わせていなかった。目の前で満開に咲き誇る花火が止めたのだ。


「私は、これでいいのかな・・・・」


 不安げで、細くか細い声は花火の音で掻き消された。


 花火は今も、咲き続けている。

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