第28話 ジジとババの家(SIDE千波)
帰りは、海晴の車でスカイツリーを目指す。
文子たちと合流して、スカイツリーに上って夕陽と夜景を見るのだ。
「しばらく足立の家には行ってなかったって言ってただろ? どうして行かなくなったんだ?」
後部座席で隣に座る耕平から問われ、千波は、当時を思い出して苦く笑う。
「都合の悪い本心に、気付いちゃったからかな」
「それは、何?」
「あそこは生活水準が一緒だから、劣等感を感じずに済んだんだよ。それで、もしかしたら……キョーコを気に掛ける私の気持ちって偽善なのかもしれないなって」
「俺は、キョーコちゃんは千波のこと、本心から好きなんだなって思ったよ」
「……私、あの子のこと途中で見捨てたみたいになっちゃって。もう昔みたいに話してもらえないんじゃないかって、怖かったの。それで、ぐずぐず悩んでる間にどんどん行きづらくなっちゃって。あそこに近付けなくなった」
「千波の元カレを知ってるんだな、キョーコちゃん」
「うん。動物園とか水族館とか、一緒に行ったの。あの子が小学生の時のことなのに、覚えてるもんなんだね」
遊園地にも行ったなと、思い出す。
七つで親が離婚して、父親の実は仕事で家を空けることが多かった。毎日、祖父母と共に過ごしていた、十五も年下の従妹。
祖父母は口が悪く、ケンカが絶えない家だった。
千波の母にとってキョーコは他人で、千波の父は実と仲が悪い。兄は就職したばかりで忙しそうだったから、千波は一人で様子を見に行ったのだ。
少し話して宿題を見てやるだけだったが、「また来てね」と寂しそうに見送る幼い少女を、放っておけなかった。
「あいつが……元カレが、別れの間際に言ったの。千波は偽善者だよなって。キョーコをかわいがるのは、いい人ぶって自尊心を満たすためなんじゃないかって。そんなつもりなかったけど、なんか……よくわかんなくなっちゃって。ちょうどその頃、実おじさんにも言われたの。キョーコのことはお前が背負う必要のないものだって。それでなんか、足が遠のいた」
「おじさんも不器用っていうか、言葉足らずだよな。余計なことはベラベラしゃべるくせに」
海晴が運転席から呆れたように告げた言葉に、千波は、ゆるゆると首を横に振って否定を示す。
「今思えばおじさんは、私が押しつぶされないようにって考えてくれたんだろうね」
当時のことを思い出す。
時間が立ち、冷静に考えられる今だからこそ、気付けたことがあった。
「あの時の私は、荷物を抱え過ぎていたから」
なのに勝手に突き放されたような気になって、すねて疎遠になった。
成人していても、千波は子どもだったのだ。
「千波のこと、不幸にはしないでくれって、頼まれた」
「実おじさんに? 耕平くんが?」
頷く耕平を見て、鼻の奥がツンと痛む。
泣きたくなかったから、口元に力を入れて、笑顔を作った。
「なにはともあれ、親戚への挨拶回りはこれで無事に終了したね。終わってみればなんか……すごく、スッキリ」
京浜東北線の中ではあんなに痛かった胃も、今はなんともない。
「こういう機会がなければ、距離を置いたまま終わってた。だからね、きっかけをくれてありがとう、耕平くん。そばについててくれてありがとう、お兄ちゃん。二人とも、大好きだよ!」
運転席から聞こえたのは、鼻をすする音。
千波の隣では耕平が、嬉しそうにくしゃりと笑う。
「結婚式やばい。絶対ぐちゃぐちゃに泣くよ、兄ちゃん」
「スポーツタオル持参で参加する?」
「そうしよっかなぁ」
千波が踏み出したのは、後ろ向きな一歩だった。
だけど停滞から抜け出せたのは、その一歩があればこそ。
生きていればいつかは巻き返せるなんて、夢物語だと思っていた。全く想像できなくて、不可能としか思えなかった。
けれど、今ならわかる。
背中を押してくれる力があれば、谷底に落ちた石ころだって坂を上っていけるのだ。
「耕平くん」
耕平が支えてくれたから、千波は動きだせた。
「スカイツリー、楽しみだね!」
「そうだな。母ちゃんたち、浅草散策満喫したみたいだぞ」
「写真、送られてきた?」
「見るか?」
「車の中だと酔っちゃうから、後で見せて欲しいな」
「わかった。夕飯の時、きっと土産話たくさん聞かせてくれるよ」
「ふふっ。楽しみだなぁ」
未来が楽しみだと思える明るい気持ちを胸に抱き、千波は満面に、笑みをにじませた。
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