第28話 ジジとババの家(SIDE耕平)
首都高を走る車の中で、耕平は口を開く。
「父方の親戚って、そんなに変わってるのか?」
耕平の疑問には、運転しながら海晴が答えた。
「みんな個性的ではあるよ。比較対象が横浜の親戚だと、余計になぁ」
「ジジババとは、お父さんの弟とその娘が一緒に住んでるの」
「キョーコって今年でいくつだったっけ?」
「今は十七で、今年十八になるはず。お父さんの弟は、奥さんに逃げられたんだ。ちなみに、うちのお父さんとは絶縁状態」
「それ、挨拶に行って平気なのか?」
「私とお兄ちゃんは嫌われてないから、大丈夫」
電車の中では気が重い様子で胃痛を訴えていた千波が、今は気楽そうに笑っている。
それなら大丈夫だろうと、耕平は緊張を解いた。
*
昼食は途中で済ませ、コインパーキングに車を停めた。
「耕平くん、マスクしたほうがいいよ」
「なして?」
「昔と変わってなければ、あの家はホコリまみれで汚い。スリッパも持ってきてあるよ」
花粉症の症状が出ていない海晴もマスクを付けたということは、冗談ではないようだ。
素直に従い、耕平もマスクを装着する。
辿り着いた場所は、こぢんまりとはしているが、普通の家だった。
だがよくよく見れば手入れは行き届いておらず、玄関の脇にはガラクタにしか見えない物が積み上げられている。
横浜の家ではインターフォンを鳴らした千波が、迷うことなく敷地へ入り、玄関のドアノブを回したことを意外に思う。友人宅で耕平もしている行動だが、千波がそういうことをするイメージがなかったために驚いた。
「ジジババは耳が遠いから。インターフォンを押しても意味ないの」
耕平の視線に気付いた千波が、苦笑を浮かべながら教えてくれた。
「こんにちはー。千波と海晴、来たよー」
千波にしては珍しい、大きな声。
反応したのは二階から駆け下りてくる足音で、顔を出したのは、高校生ぐらいの少女だった。
「え? うそ! チィ姉?」
「久しぶりだね。キョーコ、私より大きくなった?」
千波が嬉しそうに、少女へと声を掛ける。
「うわっ、マジでチィ姉じゃん! びっくりなんだけど!」
裸足のまま玄関へ降りた少女が、勢い良く千波へと抱きついた。
少しよろけはしたが、自分より身長の高い少女を抱き止めた千波の両手が、少女の背中へ回される。
「高校生に、ちゃんとなったの?」
「なったよ! 今は毎日通ってる。学校、楽しいよ」
「そっか。偉い偉い」
「チィ姉、変わらず骨じゃん。死ぬの?」
「これでも肉が付いたんだよ。肋骨は浮き出なくなったし」
「体重何キロ?」
「秘密。ジジババと、
「みんないるよ。てかさー、あれ何? うまい物の詰め合わせ。ホタテカレーうま過ぎで、オヤジと奪い合った」
「人数分入れたでしょうに」
「あんなん早い者勝ちだよ」
目と目を合わせ、千波と少女が明るく笑った。
「実おじさんに今日来るって伝えておいたんだけど、キョーコは聞いてないの?」
耕平の背後から顔を覗かせた海晴の言葉に、少女は軽い調子で答える。
「聞いてなーい。オヤジ、多分まだ寝てる」
「起こしてきてよ。てか、上がるよ?」
「どーぞー」
千波が出してくれたスリッパを履き、家に上がった。
刈谷家とは全く違う雰囲気の家だが、事前情報ほど汚くはない。物は多いが、室内もごく普通の家だ。
キョーコと呼ばれていた少女は父親を起こしに行くことなく、千波の手を握った状態で廊下を先へ進む。
短い廊下の奥には狭い居間があり、そこには老人が二人、座っていた。
「バア、ジジイ。チィ姉とカイ兄が来たよ。あとなんか、でっかい人」
キョーコが大きな声を出すと、机に向かって熱心に書き物をしていた老婆が顔を上げる。
「あら! チィちゃんとカイちゃん、よく来たわねぇ」
とても嬉しそうに、笑顔になった千波の祖母。
「正月も盆も顔を出さねぇ薄情息子の子どもじゃないか。何しに来たんだ」
嬉しそうに、唾を飛ばしながら罵りの言葉を吐いた千波の祖父。
「実が言ってたでしょう、お爺さん。チィちゃん、結婚するのよね?」
夫には表情も声もきつくなる祖母は、千波には優しい微笑を向けた。
確かにこれは、少々癖が強い人物たちなのかもしれないと、耕平は心の中で感想をこぼす。
「え! そうなん? 聞いてない! 相手はそのでっかい人?」
祖父母の脇では、少女が再び千波へと抱き付き、立ったままで質問を開始した。
「そうだよ。彼は森野耕平さん」
「イケメンのジュンちゃんはどうしたの?」
「とっくに別れた。あいつ、浮気しやがったんだよ」
「クズじゃん」
「そういえば、家の中キレイじゃない? キョーコが掃除してんの?」
「違うよー。ジイバアが障害者のなんかで、最近はヘルパーさんが来て、一階だけ掃除してくれんの」
「ジイ、病気で足の指切ったんだったね。その後どうなの?」
「お前ん家は薄情もんの集まりだから、見舞いにも来やしねぇ」
「私とお兄ちゃんは病院まで行ったじゃん。ボケた?」
「もうお爺さんはボケボケで大変よぉ。おばあちゃんはこうして毎日頭のお勉強してるから大丈夫」
「ナンプレまだやってんだ。変わらないね、ババは。でもすっごい老けた」
「そりゃ老けるわよ。この間もまた救急車で運ばれてね」
「なかなか死なねぇんだ、このクソババアは」
「クソジジイも、さっさと逝っちまえばいいんだよ」
「ねぇちょっと、お客さんの前だって」
刈谷の家では海晴が主にしゃべっていたのに、この家では千波が率先して会話に参加している。表情も明るい。
祖父母の耳が遠いようで、全員の話し声が大きくなっていた。
「あの女の子はキョーコ。俺たちの従妹。漢字じゃなくて、片仮名でキョーコが本名なんだ。変わってるよな」
海晴から台所の椅子を勧められ、腰を下ろした耕平は、千波とキョーコと祖父母が会話する様子を眺める。
海晴は、慣れた様子で茶の支度を整えた。
「うわ、なんかでけぇのがいる」
「ズボン履けよ、クソオヤジ!」
トランクスと肌着姿で顔を出した中年男性が、キョーコに蹴られ、すぐに部屋へと戻っていく。
「今のが実おじさん。父さんの弟で、キョーコの父親だよ」
耕平にお茶を差し出しながら、海晴が説明してくれた。
「みーんな口が悪いだろ? 美心は寄り付かないんだ」
「千波は、ここが好きそうですね」
「そうかもな。千波は、この家に入り浸ってたから」
「平塚からは、結構遠いですよね?」
「父さんも母さんも寄り付かない場所だから、家出にはうってつけだったんだろうな。毎回、俺が迎えに行かされた」
「……千波が、人とこんなに話してる姿、初めて見ました」
祖父母は耕平の存在などお構いなしで、口々に千波へと話し掛けている。キョーコも千波にまとわりついていて、千波本人も嬉しそうだ。
「お式は北海道でやるんですって? おばあちゃん、飛行機に乗ったら死んじゃうから行けないわ。心臓にね、カテーテル入れたのよ」
「俺らが行っても、バカ息子がいい顔しねぇだろうよ」
「否定できないなぁ。でもジイだって、お父さんの顔を見ればケンカ吹っ掛けるじゃんよ」
「あいつは婆さんの連れ子で、俺の子じゃねぇ」
「最近のお父さん、ジイとそっくりだよ」
「ケッ」
思わず耕平が真偽を確かめる視線を海晴に送れば、苦笑を浮かべた海晴が、あれは嘘だと答えた。
祖父のお決まりのジョークだそうだ。
「横浜の皆さんは、どうなさるの?」
「あっちのおばあちゃんは健康体だから、みんなで来るって。写真、いるなら送るけど。いる?」
「送ってちょうだい。どうしようね、おばあちゃんお金ないから、何かあげられる物あったかしら……。チィちゃん、物置にいいお皿がたくさんあるのよ、好きなの持っていって」
「私、北海道に帰るんだよ? 持てないから、いらない」
「チィ姉、ウェディングドレス着るの?」
「着るよー。キョーコ一人ぐらいなら、私が交通費とか全部出すけど、来る?」
「え、でも……アタシ着る服ないし」
「高い物でなくてよければ、買うよ。お兄ちゃんが」
突然水を向けられ、お茶をすすっていた海晴がむせる。
「俺かよ。いいよ、買ってやるよ」
「おーい。お前ら久しぶりに顔を出したと思ったら、何うちの娘甘やかそうとしてるんだよ」
スウェットだけ履いて戻ってきた中年男が短い足を伸ばし、海晴が座る椅子を横から蹴った。
「海晴、俺にはビールな」
「寝起きの飲み物じゃないだろ。てか、相変わらずみんな自由過ぎだから、耕平くん引いちゃうだろ!」
「いえ、俺は大丈夫ですよ、海晴さん」
「チィと彼じゃ、大人と子ども並みの体格差じゃん。営めるのか?」
「おじさんッ!」
「こわ。チィ~、お前の兄ちゃん怖ぇんだけど。お小遣いちょーだい」
両手を広げて歩み寄ってきた叔父へ、千波が吐き捨てるように告げた。
「クズが」
あからさまな嫌悪だった。
だが、それが逆に珍しい。
千波は両親に対しても言葉を選んでいる様子だったから、辛辣な言葉を吐くのは無意識の信頼のように、耕平には思えたのだ。
「いまや三組に一組が離婚する時代だかんな。チィなんてかわいげないから、すぐに捨てられてしまえ」
「それは絶対にないと誓います」
耕平の返答に、叔父の実がニタニタ笑う。
「そう言ってられるのは最初だけだぞー。俺の嫁さんなんて、子ども置いて金だけ持ってとんずらだよ?」
「オヤジがクズだからじゃん」
「一人娘も辛辣で、人生つらたん」
「若者ぶんなよ。しかも古いから、それ」
「えー? マジー? 海晴、腹減ったー」
自由に振る舞ってだらける実の言動には耕平も驚いたが、何より驚いたのは、実に対しても我関せずの祖父母が、それぞれ別々の話を千波に振り、千波がそれを上手いこと捌いている姿だ。
しかもそれにはキョーコも参加していて、千波にピタリと身を寄せ、割り込む隙を狙っている。
聖徳太子みたいだなと、耕平は心の中で感想をこぼした。
「放置されて寂しいか、婚約者くん」
「いえ。……申し遅れました。森野耕平です」
「この家の人間の話をまともに聞くのはチィだけなんだよ、大男くん」
「そうなんですか?」
「海晴はスルースキルが高くてつまんねぇんだよな」
「会話に嘘を混ぜてくるからいけないんだろ。ほら、食パン。これ高級食パンじゃん。何が金がないだって、思うだろ? 物置部屋にも無駄な物がたっくさん積み上げられてるし」
トースターで焼いた食パンを皿に乗せ、海晴が実へと差し出す。
「食は婆さんの楽しみだからな。まぁ、だからこそ糖尿病で、棺桶に片足突っ込んでるわけだ」
ジャムが欲しいなと言って冷蔵庫を開けた実の背後からちらりと見えた庫内には、奥の壁が見えないほどに、食材が詰まっていた。
「チィは、嘘だと決めつけねぇんだぜ? バカだよなぁ。受け止めて、頭悩ましてさぁ。要領悪ぃんだよ。――なぁ、熊男くん」
「耕平です」
「結婚は夢物語じゃねぇ現実だから、病める時も健やかなる時もって短い言葉じゃ見えてこねぇ、ドロドロぐちゃぐちゃが満載なわけよ。まぁそのドロドロで、俺ぁ捨てられたわけだけども」
ブルーベリージャムをたっぷり乗せた食パンをかじり、緑茶をすする実。絶対に合わないだろうなと頭の片隅で考えながら、耕平は実の言葉を聞いていた。
「チィは、生き方ヘタクソで、他人に勘違いされやすいんだ。でもいい子なんだよ。メチャクソいいヤツなんだ。嫁さん出てった後、キョーコを心配して、よく様子を見に来てくれたんだ。だからさ、なんつぅか……不幸には、しないでやってくれな」
照れ臭そうに鼻を擦り、実はパンを口の中へと押し込んだ。冷めたお茶で流し込み、乱暴な仕草で口元を拭って立ち上がる。
「チィ~、おっちゃんとも遊ぼうぜー」
「オヤジ、歯ぁ磨けよ! 臭い!」
「愛娘が反抗期。かーわいー」
娘にじゃれつき蹴られている実を眺め、海晴がぽつりとこぼした。
「あの人、まともなこと言えたんだ」
「千波は、大事に思われてるんですね」
「知らなかった。実おじさんの離婚は十年ぐらい前のことで、その頃の千波は役者の勉強で忙しかったはずだ。あいつがここに来てたことなんて、俺、知らなかった。きっと母さんも知らない」
千波は、高校卒業後すぐに一人暮らしを始めたらしい。
海晴も社会人になってすぐ、実家は出ていた。
「千波、救急車で病院に担ぎ込まれたことがあるんだよ」
「生理痛のやつですか?」
「いや、その前にも。過労で倒れた。レッスン費と生活費のためにバイト掛け持ちして、レッスンにも通って、オーディション受けて。その上ここにも通ってたとか、そりゃ倒れるよな。……バカだなぁ」
海晴の「バカだなぁ」はまるで、「愛しい」と、言っているようだった。
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