第27話 縁(SIDE千波)
二日目は横浜みなとみらい観光と、両家の顔合わせ。
中華街の中華料理店で個室を取り、海晴の妻と息子も一緒に食事をした。
大きな問題もなく、和やかに顔合わせが終了した次の日。
耕平の両親と中尾夫妻は、日曜で仕事が休みの健史の案内で浅草観光へと向かった。
千波と耕平は別行動。
蒲田から、大船行きの京浜東北線へと乗り込んだ。
「胃が痛い」
「今回は、逃げていいよとは言ってやれないな。横浜のほうの親戚は問題ないんじゃなかったのか?」
「それは、耕平くんに衝撃を与えるかどうかが基準で、私の中の問題とは別だから」
「母方の親戚と何かあったの?」
「劣等感を刺激されるから苦手なだけ。最近は、正月にも顔を出してない」
母方の従兄姉たちは皆、自分の仕事に誇りを持っていたり、立派に家庭を築いている。
結婚していないのも、ちゃんと生きられていないのも千波だけ。「千波ちゃんは今、何をしてるの?」というお決まりの質問が、千波にとっては苦痛だった。
「それなら、これからは問題ないな。千波には俺がいる」
「私の相手ってだけで、きっとみんな興味津々だよ。絶対いろいろ聞いてくる」
「任せてくれて大丈夫」
「なんて頼もしい婚約者。……私、あそこでは借りてきた猫みたいになるけど、気にしないで」
「千波はどこでも大人しいと思うけど」
「……よく考えれば、確かにそうかも?」
顔を見合わせ、同時に噴き出し、笑う。
目的の駅に着くと、耕平のスマートフォンがメッセージの受信を知らせた。
「海晴さんとお義母さん、もう着いたって」
「うわぁ……いよいよ逃げられない」
「どうして、俺の親戚への挨拶より緊張してるんだ?」
「だって、耕平くんの親戚ってだけで不思議な安心感があったんだよ。でもこっちは、積年のトラウマまみれ」
「だから、何があった」
改札を抜け、千波の案内で手をつないで歩きながら、耕平は電車の中でしたのと同じ質問を繰り返す。
千波は深呼吸を一度して、子どもの頃の話だよと前置きしてから話しだす。
「従姉から仲間外れにされてたんだよ。私はお姉ちゃんたちに遊んでもらいたかったんだけど、一番上のお姉ちゃんが親たちに、千波のこと嫌いだから一緒に遊びたくないって言ってるの、聞いちゃって」
「嫌われる覚えは?」
「思ったことをズケズケ口にする子どもだったからかなぁ?」
「聞いた後は、どうしたんだ?」
「一切近寄るのはやめて、お兄ちゃんにくっついてた」
年始の挨拶以外でも、母に連れられ、よく遊びに行っていた。
いくら行きたくなくても子どもだった千波に拒否権はなく、兄の背に隠れ、大人しくやり過ごすということを覚えた。
「かわいいな、千波は」
千波が脳内で過去の嫌な思い出を反芻している隣では、耕平がとても愛しげに、柔らかな笑みを浮かべている。
「どこがよ」
「小さい千波が海晴さんの背中にくっついてるとこを想像したら、なまらかわいかった。他には?」
「あとは、おばあちゃん。のほほんとした、いい人なんだよ。世間知らずで、旦那さんに守られて生きてきた典型的な昔の専業主婦」
「途中から悪口みたいになってる」
耕平の指摘で、千波の口元には苦い笑みが滲む。
「うち、お父さんの浮気で家庭崩壊しかけたことがあるの。お母さんがね、ノイローゼっぽくなっちゃって。小学生だった私と中学生だったお兄ちゃんは二人で相談して、電車に乗ってここまで来て、おばあちゃんに、お母さんを助けてくださいって言いに来たことがある」
「助けてくれた?」
千波は、首を横に振った。
「夫婦の問題は二人が解決すべきで、周りが口出ししてもいいことはないって言われた。大人の正論だよね」
その頃の母は、父との口論の末ベランダから飛び降りようとしたり、包丁を手に持ちじっと何かと葛藤していたり……小学生だった千波から見ても、危険な状態だったのだ。
だから助けを求めた。
自分では助けてあげられないから、誰か母を救い出してくださいと願った。
結果学んだのは、血のつながりがあったって、他人は当てにならないのだという悲しい現実。
「結局、お兄ちゃんがお母さんを支えたの。私も、何もできなかった」
何もできなかったという負い目から、母との接し方がわからなくなった。
その頃の恨みが胸の中に燻っていて、父ともうまく、話せない。
「もしかしたら、千波の知らないところで連絡したり、助言したり、何かはあったかもしれないよな」
「そうだったらいいな」
家族も親戚も、簡単に切り離せないものだからこそ、重たく
大人になって上手く折り合いを付けるか、避けて距離を置くようになるかは、人それぞれだ。
「伸行ん家並みに立派な家だな」
「おじいちゃんの死後、長女が妹たちに相続放棄の書類を書かせて独り占めしたお宅が、こちらです」
「……千波の家って、いろいろ重過ぎないか? 大丈夫?」
「いろんなことでモヤモヤするから、私はここが嫌い」
「なるほど」
「お母さんは、お金のことでお姉さんたちと揉めるのが嫌だったんだって。だから、縁を切ったりってことにはなってない」
「コメントに困る」
「今なら返品可能だよ」
「しない」
「そう? じゃあ、行く?」
「おう」
インターフォンを鳴らして少しして、玄関が開いた。顔を出したのは、海晴だ。
「やっと来た。迷った?」
「幼い日の記憶を頼りに歩いて来た。あった物がなかったり、なかった物があったり」
「お前、いつから来てないんだよ」
海晴が顔を顰めるのを見ながら、千波は鉄製の門扉を開ける。
この家は数年前に建て替えられていて、千波が子供の頃に来ていた祖父母の家とは違う。真新しいその家に思い出は何もなく、それも、千波の足がここから遠退いた理由の一つでもあった。
「吉川家もみんな集まってるぞ」
「え、なんで?」
「千波の婚約者に会いに来たんだよ。あと、みんなの家に村の特産品を送ってくれたんだろ? そのお礼も兼ねて」
「うわぁ……」
吉川家というのは、千波の母の、二番目の姉家族のことだ。母の一番上の姉家族の姓は刈谷で、千波の母の旧姓は井田。
井田家は娘三人が嫁に行ったため、千波の祖母が亡くなれば、井田の姓は失われる。
特産品を贈ることになった時、宛て名を書きながら耕平にもその話をした。その時に耕平から、森野家の事情も教えてもらった。
耕平の父が森野家へ婿入りしたのは、森野の姓をなくさないためだったらしい。
各家庭により対応はさまざまなのだなと思ったその時のことを思い出して現実逃避しつつ、千波は、キリキリと痛む己の胃をさすった。
「胃が死ぬ……」
「午後は父方の親戚にも会うんだろ? やめるか?」
「ガンバル」
頑張れという言葉の代わりに耕平は、千波の背中に手を添えてくれる。
それが一番、心強かった。
靴を脱いで上がった先、広々としたリビングには、二十人ほどの老若男女が集まっていた。
千波の母はいるが、父はいない。何故か海晴の妻の美心と息子の雫の姿があり、千波のテンションが地の底まで落ちる。
雫はいい。だが美心は、何を言ってくるかわからない。
「彼が千波の婚約者の森野耕平くん。で、耕平くん。こっちが刈谷家で、こっちは吉川家。こいつらは、いとこの子どもたち」
海晴の紹介で挨拶が終わると、それぞれが、耕平が贈った村の特産品のお礼と感想を口にした。その間、千波は微笑を浮かべるだけで口を開かない。
わざとではないのだが、この家の中では千波の口は、とても重たくなってしまう。
「意外ー。私、千波は結婚しないもんだと思ってた」
「私も思ってました。一人が気楽っていう、今はやってる、結婚しない女子なのかなって」
一番年上の従姉の言葉に、美心が楽しそうに応じた。他の従姉たちも、その会話に加わる。
「美心さんの雑誌であったよね、その特集。私は結婚できないんじゃなくて、しないんだってやつ」
血のつながりのある千波よりも美心のほうが、従姉たちの中に馴染んでいるようだ。
その光景を横目に見ながら、千波は耕平の隣で、出されたお茶をすする。
「千波ちゃん、今は何の仕事してるの? 北海道なんて、お給料安いんじゃない?」
「牧場の一角にある工房で、事務をしてる。チーズケーキとか、牛乳を使ったスイーツの通信販売を手伝ってるの」
上の伯母からの質問に、顔に笑みを貼り付けて千波は答えた。
仕事について聞かれるのは、ここでの恒例行事。質問を重ねられないよう、先に詳細を話してしまうのが、これまでの経験から得た苦痛を長引かせないためのコツだ。
「森野くんは、大学はどちらだったの?」
耕平が、東京にあるそこそこ有名な学校名を答え、初めて聞いた千波は思わず驚きの声を上げた。
「どうして千波ちゃんが驚くのよ」
婚約者の出身校なのだ、知っていて当然のことだったのかもしれないが、学校名など聞いたところでわからないと、千波は耕平に聞こうとすら思わなかったのだ。
「東京の大学出て東京で就職したのは知ってたけど、耕平くん、やっぱり頭がいいんだなって驚いた」
「森野くん、どうして大学は東京にしたの?」
千波の伯母たちは、予想どおり耕平に興味津々の様子。
質問攻めににされる耕平を、千波には見守ってやることしかできない。
「母方の祖父が、元々はこっちの人だったんです。戦後開拓で北海道に来たらしくて。みんな空襲でやられたから親戚は誰も残ってないし、爺さんのいた頃とは何もかもが違ってるけど、爺さんが育った場所に行ってみたいと思って。俺、おじいちゃん子だったんですよ」
「お祖母様は、北海道の人だったのかしら?」
「ルーツは会津らしいですけど、祖母は北海道生まれの北海道育ちです。東北からの移住者同士が結婚して産まれた子どもの子どもが、うちの祖母だって聞いてます」
「へぇ! 自分の家のルーツを知ってるなんて、さすが歴史好きな耕平くんだね」
耕平の祖父母の話を聞くのが楽しくて、思わず千波の頬が緩む。
ホテルに帰ったら、文子と義光も交え、詳しく聞いてみたいなと思った。
「それで、今は作家さんなのよね? 美心さんから聞いたけど、あなたの名前と小説、知ってるわ」
今度は耕平の仕事へ話題が移り、耕平はそつなく質問に答えていく。
「それで、千波ちゃんは今、北海道のどこに住んでいるの?」
会話が途切れたタイミングで、のんびりとした口調で千波の祖母が尋ねた。
「よかったら、写真見ますか?」
すかさず耕平がタブレットを取り出すと、二人いる伯母と祖母と、千波の母が楽しげに身を乗り出す。
興味をひかれたのか、従兄姉たちも集まってきた。
「これが千波さんの職場で、こっちはその牧場。これは、今一緒に暮らしてる俺たちの家です」
「やだ。本当に北海道にいるのね」
「今クリオネいなかった? これ、もしかして流氷?」
「はい。二月に二人で知床に旅行して、流氷の上を歩いてきました」
「あら、千波ったら楽しそうに笑ってる」
「この漁師さんは?」
「俺の友人です。流氷が沿岸から離れて、漁に出られるようになった初日に見学に行って撮りました」
「ねぇ、千波が抱っこしてるこの女の子はどこの子?」
「新菜ちゃん。友達の子。この子のお母さんが、私の雇い主なの」
「あ! これ、旭山動物園じゃない?」
「俺の父の実家が旭川なんです。この子たちは従姉の子どもです。一緒に行ったんですよ」
写真を見終わった後は、結婚式のことについて話をした。
「会費制って、ご祝儀とは違うの?」
「ご祝儀はいらないよ。旭川までの交通費とか宿泊費を自分達で払ってもらうことになっちゃうから。無理しなくていいけど、来てくれたら嬉しいなって」
「うちは行く。北海道には行ってみたかったし。おばあちゃんも行くよね?」
「えぇ。行きますよ」
「うちも全員参加で。こんなこともなければ、家族旅行なんてなかなか行けないしね」
「じゃあ、みんなの家に、正式な招待状を送るね」
宿泊先や航空券についてなどの細かな話も終わらせてから、千波はこっそり安堵の息を吐く。
「おばあちゃん、千波ちゃんのドレス姿、楽しみにしてるからね」
「うん。ありがとう、おばあちゃん」
仏壇に線香を上げてから、昼前には暇を告げた。
雫がまだ遊びたいと言うから美心は残り、海晴と母と千波と耕平は、海晴の運転する車へ乗り込む。
「やっぱりお兄ちゃんの奥さん、足立のほうには行かないんだね」
ぽつりと落とした千波の言葉に、海晴が苦笑を浮かべて答えた。
「あっちには結婚の挨拶で一度行ったきりだけど、無理に行かせる必要もないだろ。母さんも、駅まで送るだけだよ」
「今日、お父さんは?」
「家にいる」
「そっか」
父は両方の家と折り合いが悪いから、余程のことがなければ顔を出さない。千波の結婚は父にとって、余程のことではないらしい。
最寄り駅に着くと、助手席に乗っていた千波の母が車を降りる。
「一緒に行ってあげられなくてごめんね」
「いいよ。足立のおばあちゃんたち、お母さんのこと嫌ってるでしょう」
「海晴がいれば、機嫌が良くなるはずだから」
「大丈夫。私は足立の家のほうが話しやすいし」
「耕平くんも、ごめんなさいね。明日は羽田空港まで見送りに行くから」
車内で繰り広げられた会話と、やたら心配そうにしながら車から降りる千波の母の姿。一体これから行く場所には何が待っているのかと、さすがの耕平も、不安そうにしていた。
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