第26話 東京ふたたび(SIDE耕平)

 ホテルの部屋へ一歩入った途端、それまでキリリとした表情で酔っている素振りなど微塵も見せなかった千波が、膝から力が抜け落ちたというように、へたりと座り込んだ。


「千波?」

「飲み過ぎた……」


 座り込む千波の前でしゃがんで顔を覗き込めば、顔は赤くないが、アルコールの影響で瞳が潤んでいるのがわかる。


「だから、ペース早くないかって聞いただろ」

「だってなんか……緊張しちゃって」

「タケ兄、いい人だっただろ?」

「桃ちゃんから事前に聞いたとおりのお人柄でした」


 耕平の父方の従兄である健史は、長期休みに遊びに来ることがよくあったため、耕平の母方の祖父母とも交流があった。だから、耕平の幼馴染とも顔なじみなのだ。


「てか、耕平くんの親戚は皆さん気さくないい人ばかりで、明後日の挨拶回りで耕平くんが衝撃を受けないか不安が増したよ」


 座り込んだまま立つ気配のない千波を抱き上げ、耕平はソファへ腰を下ろした。

 フォーマルファッション用に買った、ワンストラップのパンプス。耕平の手が足首のストラップを外すのを眺めながら、千波は言葉を続ける。


「横浜のほうは問題無いの。足立にある父方は全員、かなり癖が強いから」


 靴を脱がせ、ブラウスのボタンも、外していく。


「私、何年会いに行ってないんだろ……。そのことにも多分、文句を言われそう」


 スカートのホックを外したことで、やっと千波は耕平を見上げて首を傾げた。


「何してるの?」

「こんなに鈍くなるなんて、相当酔ってる?」

「飲み過ぎたって、言った」

「そっか。風呂入れてやるよ」

「シャワーだけでいいよ。……ねぇ、ちょっと?」

「谷間からいい匂いがする。香水?」

「ゆかちゃんが練り香水くれたの。やだ! 汗かいたから嗅がないで! シャワー浴びてくるから離してよ」

「だから、洗ってやるって。千波酔ってるんだから、滑って転んだら危ないだろ?」

「お化粧も落とすから、耕平くんには無理」

「どれ使うの?」

「……もう眠い」

「まだ寝るなー。後悔するぞー」


 自力で立ち上がった千波が、ほとんど脱がされていた服を脱ぎ捨て、下着姿でバスルームへ向かった。

 耕平がブラウスとスカートを拾ってハンガーへ掛けている間に、シャワーの音が聞こえてくる。


 千波の機嫌を損ねないために大人しくテレビを付けて待っていると、体にバスタオルを巻き付けた千波がバスルームから出てきた。


「パジャマがない……」


 耕平は苦笑を浮かべて、客室備え付けのナイトウェアを細い肩へ掛けてやる。


「千波は酔うと、ぼんやりになるんだな」


 二人で晩酌はよくするが、千波は飲んでも三杯ほど。自分の許容量を理解して飲んでいる。

 ここまで酔っ払った状態を見るのは、初めてのことだ。


「化粧水塗らないと、ゆかちゃんに怒られるー」

「髪も乾かさないと。やろうか?」

「できるよー。耕平くんも、さっぱりしておいで」


 呂律は回っているし、足取りもしっかりしていた。

 耕平も風呂を済ませてしまうことを決めて、バスルームへ向かう。

 洗面台を見れば、アメニティの歯ブラシが一本、使用済みになっていた。


 歯磨きまで済ませてからバスルームを出ると、千波はクイーンサイズのベッドの端で丸くなっている。

 髪は乾いていて、化粧水も塗り終わっているようだ。


 ドライヤーを使って耕平が髪を乾かしていると、背中から柔らかな温もりに抱き締められた。


「千波? 寝たのかと思ってた」

「待ってたの」


 千波の小さな両手が耕平の髪へと差し込まれ、乾いたかどうかを確認している。


「もう少しだねー。貸して」


 素直にドライヤーを渡せば、優しい手付きで髪を梳きながら、千波が耕平の髪を乾かしてくれた。

 それが心地良くて、だんだん眠たくなってくる。


「さ、寝よー」


 家にあるのよりも小さなベッドへ並んで横になると、千波が耕平の腕の中に潜り込んできた。

 幸せそうな笑みを浮かべてすぐに、寝息を立て始める。


 規則正しい千波の寝息を子守唄にして、耕平もいつの間にか、眠りに落ちていた。

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