第20話 旅が終わって(SIDE千波)
しばらく乗ることのなかった中古車を運転しながら、道路の端に積み上げられた雪の塊を視界の隅で捉える。
緩やかに登っていく道の先。目的地は、雪に覆われた牧場だ。
耕平と共に一度来たことのある場所へ辿り着き、車を停めた。
「工房のほうだって、言ってたよね」
年末に案内してもらった時の記憶を頼りに広い敷地内を歩き、辿り着いた建物。扉を叩いてみたが、反応はない。
「こんにちは。倫子さーん。千波です」
温かな室内には、甘い香りが満ちていた。
「いらっしゃーい。上がって来てー」
「お邪魔しまーす」
雪のない季節には、牧場併設の売店になるのかもしれない建物。奥へ進むと厨房があり、そこにはエプロン姿の倫子が一人。
「いい匂い。もしかして、プリンですか?」
「桃ちゃんとゆかちゃんも後で来るけん、食べるかなと思ったんよ。プリン好き?」
「好きです!」
今日の目的は、雇用契約書の締結と女子会だ。
事務所へ通され、耕平から借りてきた大きめな鞄の中から封筒を取り出す。
「履歴書と、一応職務経歴書も作ってきました。住民票を移したりとかの手続きは、先週のうちに終わらせてあります」
「これで千波ちゃんも、正真正銘ここの村民になったんだね。あれ? まだ森野じゃないのね?」
「そのことでご相談というか、倫子さんたちに聞きたいことがあって」
「たち、ってことは、桃ちゃんとゆかちゃんもいたほうがいいのかな?」
「はい。できれば、皆さんのお話を聞きたいです」
「それなら、先に契約書のほうを終わらせようか」
千波ができることについては、正月の時に伝えてある。
仕事内容の確認と書類の記入が終わってから少しして、桃子とゆかもやって来た。
事務所ではなく売店のほうに茶の支度を整え、四人は腰を落ち着ける。
「千波ちゃんのお仕事はいつからなの?」
桃子から問われ、千波は、一日からだと答えた。
桃子の隣では温かなミルクティーを片手に、ゆかが首を傾げる。
「うちの旦那経由で聞いたんだけど、結婚式のことで意見が食い違ってるんだって?」
「うん。実は、費用のことで揉めてるの」
今の千波には金がない。貯金は、知床まで旅行をすれば、それで完全に使い果たすことになる。むしろ足りないかもしれない。
だからこそ仕事を始めるのだが、そんなにすぐに金は貯まらない。
「結婚式もそうだし、両家の顔合わせするにも、食事代だけじゃなくて交通費もかなりかかるでしょう? それを全部耕平くんが負担するって言うんだけど、それはどうなんだろうって私は思ってて。だからいろいろ提案してるんだけど……耕平くん、意外と頑固なんだよね」
「私も旦那の家におんぶに抱っこで始まった結婚生活だったから、千波ちゃんの気持ちはわかるよ」
そう言ってからゆかは、自分と伸行の結婚式がどうだったかを話してくれる。
「私ん家は母子家庭な上に貧乏だったから、費用は上地家が全額負担してくれたの」
「ノブとゆかは、高校卒業してすぐ結婚したんだよ。ノブがね、ゆかの母ちゃん含めて俺が全部面倒見るから、お前は安心して嫁に来いって言ったんだよね」
「私と旦那は中学、高校って一緒だったし、親同士も顔見知りだったから。全部がすんなり進んだな」
「ゆかもノブが大好きだから、ノブのためにキレイでいる努力をしてるんだよね!」
「桃子、さっきからニヤニヤすんのやめれ!」
「いいでしょやー。こういう話、楽しいしょ」
じゃれ合う桃子とゆかを見て、千波と倫子の表情も緩んだ。
桃子はどうだったのかと倫子が問えば、今度はゆかがニヤニヤ笑って、からかうタイミングを待つ。
「私とトモはね、結婚式の費用は親に助けてもらったよ。トモには大学の奨学金の返済があったし、まだ社会人二年目だったから貯金もそんなになかったんだよね。だから、私の親が結婚資金にって貯めておいてくれたお金を使ったの」
「桃子と智之は、村大好きっ子でさ。二人とも大学卒業したらすぐに戻ってきたんだよね」
「人生経験と思って東京の大学に行ってはみたけど、東京は肌に合わなかったんだもん。あそこで就職して一生生きるとか、私には無理~」
何でも揃っているが、何かが欠けている場所のように感じるのだという桃子の言葉に、千波が同意した。
「私も。東京よりも、ここのほうが好きだな」
父は東京、母は神奈川出身で、千波の親戚は全員関東にいる。
祖父母の家はすぐに遊びに行ける距離で、級友から田舎に帰省した時の話を聞く度に、羨ましいと思っていた。
「何でも便利に手に入らないほうが、他人とのつながりが強くなるのかな」
この村には、無関心がないのだ。
「でも、若い子は都会に憧れるみたい。同級生がこんなに村に残ってるのは、私たちぐらいのもんだよ」
「慎太郎とうちの旦那は跡取り息子だったから当然だけど、耕平まで戻ってきたのは意外だったな」
「高校の進学と同時に、札幌に行っちゃったしね。コウくんも確か、大学は東京だったんだよ」
大学時代を同じく東京で過ごした桃子だが、耕平が東京にいるのを知ったのは、大学を卒業して村へと戻って来てからだった。
「もう時効だから言っちゃうけど、私の初恋は、コウくんだったんだ」
幼い頃の淡い恋心だと、桃子は笑う。想いを伝えることもなく、すっかり忘れていたのだと。
「大学でいろんな人に会ったからこそ、地元に戻ってきてトモの良さに気付けたってところは、あると思うんだよね」
「桃子も私と同じで旦那愛が強いから。安心してね、千波ちゃん」
桃子と耕平がどうこうなることは有り得ないと言われ、千波は頷いた。
「耕平くんってすごく素敵な人だから、絶対にモテただろうなって、思ってた」
「千波ちゃんも旦那愛同盟の仲間入りだね! どんどんのろけていいからねー」
「私もゆかも、負けずにのろけるから!」
桃子とゆかから輝く笑顔が向けられて、千波も笑みを返す。
脱線しそうになった話を戻し、倫子と慎太郎の結婚式はどうだったのかを問い掛けた。
「ウチは社会人やったけん、半分こだったんよ」
「広島って、東京よりも遠いじゃないですか。顔合わせとかお式って、どうしました?」
「顔合わせは、ウチの親がここまで来たよ。観光がてらってことで、旅費は親が自分らで出してね。ウチがどんな場所に嫁入りするかを見たかったんだって」
結婚式は、倫子の祖母に飛行機での移動が負担になるからと、広島で挙げたらしい。旅費については慎太郎の両親は自費で、親戚へはお車代を包んで渡した。
「さすがに遠過ぎるけん、お互い友達は呼ばずに親族だけのお式。友達は、広島と北海道で別々に、会費制の二次会みたいのをしたんよ」
話を聞いてみてわかったのは、結婚式も十人十色。地域によっても風習の違いがあるようだ。
倫子が作ってくれたプリンを食べながら、それぞれが夕飯の支度で帰らなければならないギリギリの時間まで、いろんな話を聞いた。
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