第10話 雪だるまと写真(SIDE千波)

 一歩村へ足を踏み入れただけなのに知り合いが一気に増えるのは、田舎あるあるなのだろうか。

 耕平は「千波を見たくて集まっちゃったみたいで。みんな俺の友達。本当にごめん。すぐに帰らせるから」と言っていたが、女性たちは強く、強引だった。

 写真を撮るなら化粧は任せろと、大量の化粧道具と共に現れたのは、伸行の妻である上地ゆか。


「千波ちゃん、ほんと顔ちゃんこいね。素材がいいと化粧のしがいがあるわ。でも肌が荒れてるよー。後で、いい基礎化粧品分けてあげるね」


 ちゃんこいってなんですか。

 後で耕平に聞こうと、千波は心の中にメモをした。

 ゆかの趣味は美の追及らしく、三十路に見えない美しさだ。


「腰細っ。大丈夫かい? コウくん、ちゃんとご飯食べさせてくれてるの?」


 大丈夫です。東京にいた時とは比べようもないほど、しっかりした食事をとらせてもらっています。


「あぁ、ごめん。化粧されながらじゃ、しゃべれないよね」


 千波の食生活を心配した後で、千波が今話せる状態ではないことに気付いて苦笑したのは、大内桃子おおうちももこと名乗る女性。

 耕平の幼馴染だという彼女は、千波の生理痛について耕平から相談されたよと、隠れてこっそり教えてくれた。

 とても愛されてるねと言われ、思わず赤面したのが三十分ほど前の出来事。

 桃子はゆかと共に現れ、衣装は任せろと大量の衣服を持ち込んでいる。


 ちなみに、カメラマンと伸行と耕平を含めた男性陣は、何故か庭で大きな雪だるまを製作中。

 千波がいるのは寝室で、一階では、雪だるま製作に参加中の男性陣の妻と子が料理をしている。

 千波の歓迎会の準備らしい。


 耕平の友人はこれが全てではないと言うのだから、もしかしたら耕平にとっての友人とは、村人全員なのではないかと千波は疑っている。

 みんな俺の友達だと耕平は言ったが、年齢層は様々だ。二十代から四十代の男女が、わらわらと集まり続けている。


 引きこもりの作家先生ではなかったのか。


 身元不明の、どう考えても不審者である千波を拾って、世話して、挙げ句にプロポーズまでした男のコミュ力が低いわけがないと思い知る。


「年賀状に使う写真なのに、一人じゃ嫌しょ。耕平も着替えさせるからね」


 ゆかの笑みを見て千波は、耕平のような優しい人の周りには、桃子やゆかや伸行のような優しい人間が集まるものなのだろうかと、考えた。


 羨ましい。


 東京でよく感じていた他人を妬む気持ちが、チリリと胸を焦がす。

 息の吸い方だけは忘れないようにしようと、己へ言い聞かせる。

 あと、笑顔。

 恋人の友人に囲まれても動じない、幸せな誰かになりきれば、誰にも迷惑を掛けずに乗り切れるはずだ。


 完成だと言われ、鏡を見せられる。


 鏡の中の自分を見て千波は、意識的に作った、はにかんだ笑みを浮かべた。


「耕平くん、褒めてくれますかね?」

「当たり前っしょ! 化けたねー。さすが私」

「コウくん、見惚れて顔が真っ赤になりそう」

「ちょする?」

「ちょすちょす」


 桃子とゆかの楽しげな会話。だけど千波は、言葉がわからず、首を傾げる。


「ちょす?って、なんですか?」

「あぁ、ごめんね~。からかうって意味。千波ちゃんに見惚れるコウくんをからかってやろうねって、ゆかと話してたの」

「なるほど。ちなみに、さっきゆかさんが言ってたちゃんこいは、どういう意味ですか?」

「ちゃんこいはね、小さいってこと。うちの旦那がよく使うから、ついつい移っちゃったのよね」


 三人一緒に階段を降りて、一階にいた名前も知らない人たちにかわいいと、キレイだと褒められる。

 誰かが呼びに行ったようで、耕平がカメラマンと共に庭から戻ってきた。雪まみれの耕平が、千波を見つめて静止する。


「化粧しなくてもかわいいのに、化粧すると、すごくキレイだ」

「ありがとう」


 微笑んだ千波を見下ろして、耕平が首を傾げた。


「なした?」

「なした?」


 千波が耕平の言葉をそのまま返せば、耕平は恥ずかしげに、髪をかき乱す。


「あいつらといるとダメだな、言葉が戻る。――どうかしたか、千波。疲れた?」

「急に人がたくさんで、目が回るけど、大丈夫だよ。年賀状の写真一人じゃ嫌だから、耕平くんも着替えて来て」

「え、俺も撮るの?」

「そうだよ、だって、今この人といますっていう報告でしょう?」


 明るい笑みを作った千波が、耕平の背中を押した。

 カメラマンが近寄って来て、千波に声を掛ける。名前は聞いたはずだが、一日で多くの自己紹介をされたせいで、どれが誰だか、千波にはもうわからない。

 桃子とゆかと伸行だけは、個別で接したおかげで覚えられた。


「耕平さんを待ってる間、練習がてら、何枚か撮ってもいいですか?」


 練習、というのは、千波の緊張をほぐす目的だろう。

 二十代後半に見える若いカメラマンは、人を撮り慣れていそうだ。

 雪景色の庭が見える、リビングの大きな窓辺に立つよう言われて、千波は素直に従う。


「千波さん、撮られ慣れてます? 何かそういうお仕事されてたんですか?」


 皆が皆初対面で名前呼びという距離感なのは、千波が、耕平の恋人だと紹介されたからなのだろう。


「バイトで、広告に載せる写真のモデルとかはしたことあります」

「へぇ! 次、座ってみましょうか」


 ざわざわ。がやがや。人の声。

 誰かが何かを話していて、物音や足音であふれている。

 目が回る。気持ちが悪い。

 息をしないと。うまくやらないと。耕平に、迷惑が掛かる。


「千波」


 彼の声に、呼ばれただけで、ほっとした。


「耕平くんが、ちゃんとした服着てる。素敵だね」


 照れて赤くなるかと思ったが、想像と違う反応が目の前にある。

 耕平は、千波の顔をじっと覗き込んでいた。


「本当に、大丈夫か?」

「……本当は、熱気と匂いに酔ってる」

「外、行くか?」

「うん。雪だるま、見たいな」


 外に出て、大きな雪だるまと共に写真を撮った。

 耕平の友人たちも入った賑やかな写真。耕平と千波が二人並んだ写真。リビングに戻ってからも、何枚か撮った。

 それから歓迎会をしてもらい、千波は女性陣の中で、会話と食事を楽しんだ。

 耕平は千波を気にしていたが、友人たちが連れて行ってしまう。ここしばらくは千波が独り占めしていたのだから、仕方のないことだ。

 耕平は、千波だけのものではない。


 存分に、食べて、飲んで、騒いで。きちんと片付けを終わらせてから、耕平の友人たちはそれぞれの家へ帰って行った。

 撮った写真は、カメラマンが確認した後で明日、データで送ってくれるらしい。



 その日の深夜。

 千波はトイレで、食べた物を全て吐いてしまった。

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