第9話 行方不明(SIDE耕平)

 最近、耕平のスマートフォンが騒々しい。

 サイレントモードにしているため、千波には気付かれていない。

 友人たちに事情を話していいものか、耕平は迷っていた。

 千波は、耕平以外の人間と接触しても大丈夫だろうか。心の負担にならないだろうか。


 生理が終わり、千波の体調は元通り。

 中々肉付きは良くならないが、目の下の隈は薄くなり、彼女が纏う空気も柔らかなものへと変化してきている。


「そろそろ年末だけど、湘南の実家はどうするんだ?」


 朝食の席で切り出すと、まるで忘れていたというように、千波が小さく「あぁ」と呟いた。


「お父さんと、お兄ちゃんの奥さん。私は二人と反りが合わなくて、ここ何年かは正月でも帰ってないんだよね。お母さんとお兄ちゃんとは、あけましておめでとうのやりとりはしてたけど」


 味噌汁をすすった後で、千波が首を傾げながら、耕平に視線を向ける。


「そういえば、携帯を解約する前に、いろんなアカウントを全部削除したんだよね。ライン上で私の名前が消えてることに、もう気付いてたりするのかな?」

「行方不明者届、出されてたりして」

「いやいやまさか。ハハハ」

「あんたが住んでた家の場所、親は知ってるのか?」

「うん。お兄ちゃんも、甥っ子連れて何度か遊びに来た」

「ラインの一覧から消えたことに気付く。携帯番号への電話やショートメールを送ってみる。連絡が取れず、家に行く。引き払われたことを知る。警察へ向かう、って流れか?」

「受理されたら、どうなるのかな?」

「とりあえず電話したら? 俺のスマホと固定電話、どっち使う?」


 仕事でファックスを使用することもあるため、書斎には電話機能付きの複合機が置いてあるのだ。

 千波が来てからはまだ電話が鳴ったことはないが、リビングには子機が置いてある。


「携帯電話の番号なんて、覚えてない」


 耕平が拾わなければ、千波は一体どうなっていたのだろうと、よく考える。

 一人旅に満足して実家へ戻ったのだろうか。それとも……。


 何もかもを捨てて、何の連絡手段も持たず、家族の携帯番号すらメモしていない。

 何気ない会話の中、千波の覚悟の重さを知る。


「実家の固定電話は?」

「使わなくなって、何年も前に置かなくなった」

「住所は覚えてる?」

「うん。たぶん」

「手紙出せば?」

「私は元気です。探さないでくださいって?」

「……事件の気配がするな」

「だよね」


 たくわんをぽりぽり食べながら、耕平は考える。

 もうすぐ年末だが、今はクリスマス前。


「年賀状、書こう。二十五日までに出せば、元旦に届くだろ」

「ナイスアイディア!」

「元気だって証明するために、写真付きにするか。ここの固定電話の番号も書いてさ」

「結婚しますって、書くの?」

「お。嫁に来る決意が固まったか」

「ま、まだ! まだだよ! 失言!」


 顔を真っ赤に染めた千波が、慌てて否定する。

 耕平は、それを眺めてのんびり笑った。


 年賀状を出すことは決定事項となり、耕平もそろそろ取り掛からなければと考えていたから、千波の実家に出す分も一緒に作成することが決まる。


「写真撮るのはいいけど、化粧品がないや」

「すっぴんでもかわいいぞ」

「だって、お兄ちゃんの奥さんも見るじゃん!」


 お義姉さんとは言わないんだなと耕平は思ったが、口には出さないでおく。


「買いに行くか?」

「……行く」


 化粧品を手元に置くということは、外へ出る意思があるということだ。


「もし千波が嫌じゃなければ、村で買い物するか。いろんな奴らに話し掛けられることになると思うけど」


 しばしの沈黙。


「する」

「俺の友達に紹介しても、いい?」

「私たぶん、耕平くん相手みたいには話せないよ」

「いいよ、全然。フォローするし」


 千波は、こくんと頷いた。


 朝食の後片付けと洗濯と掃除が終わってから耕平の車へ乗り込み、二人一緒に買い物へ出掛ける。

 車を十分ほど走らせ、ついでに村を案内することにした。

 村役場、歯医者、病院に、最近できたパン屋。


「ここが俺の通ってた小学校。隣に、中学校がある」

「思ったより、キレイで大きな校舎だね」

「中学校も見る?」

「見る!」


 一通り案内してから、村唯一のスーパーマーケットへ向かった。


「ここで大抵の物は揃う。コンビニは、海のほうに一軒。ここにない物はネットでポチる」

「村、って感じ」

「それどんな?」

「ドラッグストアじゃないんだね」

「薬局はあるよ」

「生活するの、大変じゃない?」

「二週間と少し、うちで暮らしてみた感想は?」

「特に不便は感じてないかな」

「それはよかった」


 暖かな店内に入り、耕平が差し出した手を千波が握る。

 化粧品が売っている一角に辿り着き、思っていたより種類があると言いながら見繕う千波の後ろ姿を、耕平は見守った。


「――耕平!」


 唐突な暴力。

 背後から尻を蹴られ、耕平はたたらを踏んだ。

 耕平の目の前では、千波が驚いて目を丸くしている。


「てぇ……何すんだ、伸行!」


 振り向けばそこにいたのは友人で、漁師の上地伸行かみちのぶゆきだった。


「耕平がライン無視するから、探ささった。車で村徘徊して、何してんだ?」


 ラインと聞いて、耕平は慌ててスマートフォンを取り出す。

 通知が数十件。現在も、増え続けている。

 恐る恐るグループラインを開けばそこに書かれていたのは、耕平の目撃情報。



 耕平の車発見! @役場勤め人。

 助手席に女性が見える。@自宅の主婦

 うちの店の前で停車して、楽しそうに会話中。@パン屋の看板奥さん



「なまらめんこい女の子連れって目撃情報、ホタテの子だべや。桃子からベタ惚れって聞いた。親戚って嘘かよ! ――あ、その子かい?」


 伸行の視線が、耕平の背後に立つ千波へと向けられた。

 耕平は、慌てて千波を背中へ隠す。


「うは。耕平、顔真っ赤!」

「本当だ。照れてる?」


 伸行からは、指を差されて笑われ。千波は耕平の顔を覗き込んで、からかいたくて堪らないというような表情を浮かべている。


「もしかして、ホタテとウニとイクラの漁師さん?」

「やっぱりホタテの子か! どーもー。耕平とは中学からの親友の、上地伸行っていいます」

「及川千波です。すっごくおいしかったです。ありがとうございました」

「チナちゃんは、いつまでいるんかい? うちの村でしか食えない物があってさー、ホタテの刺し身もなまらうめぇんだ。秋には鮭がのっこし獲れる」

「春まで、耕平くんの家でお世話になる予定です」

「春までかぁ」


 言い終わってすぐ、伸行がスマートフォンを操作する。



 耕平の彼女はオイカワチナちゃん。春まで滞在予定。顔がちゃんこい。@漁師ノブ



 耕平が自分のスマートフォンへ視線を落とし、直後に伸行の頭を思い切り叩いた。


「情報を即座に流すな!」


 気付けば、買い物中の村人と店員まで寄って来て、瞬く間に情報は広まっていく。


「例の湘南の車、女の子って本当だったのねぇ」

「耕平の所に内地からお嫁さんが来たんですって」

「ゆるくない環境で驚いたでしょう? 困ったことがあったら、何でも言うのよ」


 口々に話し掛けられるも、千波はそつなく対応している。

 人付き合いが嫌いでも、できないわけではないようだ。むしろ、千波のコミュニケーション能力はかなり高いということが判明した。


「写真を撮るなら、小野田さんに頼むといいわよ」

「協力隊の男の子。カメラマンなんですって。おばさん、連絡してあげるわ」


 笑みを浮かべつつも千波が困っていることに気付き、耕平は割り込む。


「いいっていいって! ありがと、おばちゃん。全部俺がやるから。それより買い物の途中しょや。俺らも、もう行かないとだからさ」


 耕平の言葉で集まった村人たちは散って行き、化粧品を選び終わっていた千波の手から、耕平が商品を奪う。

 買ってもらうことに恐縮した後で、千波が、耕平の名を呼んだ。


「ゆるくない環境って、厳しい環境って意味?」

「あぁ。まぁ、そんな感じ」

「のっこしは、いっぱい?」

「そう」

「なまらは、とても?」

「うん。想像以上で驚いただろ。大丈夫か?」


 千波は頷き、はにかんだ笑みを浮かべる。


「意外と、楽しかったよ」


 耕平はほっとして、よかったと微笑んだ。


「小野田のケンちゃん、連絡しておいたさ。いつでもいいって」

「まだいたのか、伸行」

「ひでぇ!」


 年賀状の写真は、愛知からの移住者だというプロのカメラマンに撮ってもらうことが決まった。

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