第10話 雪だるまと写真(SIDE耕平)

 千波がベッドから出たのには気付いた。トイレに行ったのだと思った。

 うとうとと寝入り、ふと目を覚ますと、千波はまだ戻っていない。

 ベッドボードに置いてあるスマートフォンを手に取り時計を確認すれば、四時過ぎだった。

 窓の外は暗く、夜は明けていない。


 友人たちのせいで無理をさせてしまい、千波が疲れている様子だったから、早めにベッドへ入った。

 笑う顔がたまに引きつっているように見えたが、それは幻のようにすぐに消えて。何度か声を掛けに行ったが、千波は大丈夫だと言って、耕平を心配症だと笑った。


 驚くほどに、千波は耕平の友人の中に馴染んでいた。

 友人たちは口を揃えて「いい女性を捕まえたな。絶対に逃がすなよ」と告げて、帰って行った。


 一階に降り、千波の姿を探してトイレへ向かう。

 足元を照らす常夜灯以外、明かりは灯されていない。

 トイレの扉をノックしたが返事はなく、開けてみたが、真っ暗だった。


「千波?」


 嫌な予感が、腹の底から這い上がってくる。


 急いで明かりを付け、千波の靴の有無を確認した。

 靴は、ある。

 上着も、土間のハンガーラックに掛かっている。

 念の為窓越しに車があるかも確認したが、千波の車は、駐車場に停まっていた。

 普通なら、靴も上着もなく氷点下の世界へ踏み出すなど有り得ない。有り得ないが、千波ならやりかねない。


 まずは家の中を探して、外はその後だ。

 もし本当に薄着で外に出たのだとしたら、時間が経てば経つほど、手遅れになる。


「千波!」


 大声を出せば書斎から、小さな物音がした。

 耕平は書斎の扉へ突進して、壊しそうな勢いで扉を開ける。


 暗がりの中、小さな体が、隅のほうで蹲っていた。


「千波、どうした? 具合が悪いのか?」


 顔を上げない千波の肩に、触れる。


 鼻をすする音がした。


「泣いてるのか?」


 よく見れば、膝を抱えて小さくなった千波の手にはフェイスタオルが握られている。

 いつから、ここでこうして独りで泣いていたのか。千波が顔を押し付けている部分が、ぐっしょり濡れていた。


「ごめん、気付かなくて。どうしたんだ? 誰かに、何かを言われた?」


 千波の首が横に振られ、それは違うと主張する。


「具合が、悪いのか?」

「ごめ、なさい」

「何が?」

「せっかく、作ってもら、て……歓迎、されたのに、ぜんぶ吐いちゃ、た」

「そんなのいいよ。熱気と匂いに酔ったって言ってたもんな。なのに無理させて、ごめんな」


 震える体を抱き締めて、そっと背中を撫でる。

 耕平の腕の中、か細い声が、違うと告げた。


「ほんとは、わたし、すごく怖い。怖いの、人間が」


 ごめんなさい。いい人ばかりだったのに、嬉しかったのに、ごめんなさい。


 泣きながら謝りに続ける千波を腕に抱きながら耕平も、心の中で千波への謝罪を繰り返したが、声には出せないまま。

 泣き疲れた千波が眠るまで、抱き締めていることしかできなかった。

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