第4話 慣れない朝(SIDE耕平)

 朝日を感じて、目が覚めた。

 いつもと違う布団の感触に首を傾げる。

 目を開けた先に見えたのは、一階のリビングの窓。


「……雪投げねぇと」


 どうして一階で寝たのか思い出せないまま、耕平は呟いた。


「雪を投げるの?」


 背後から聞こえた女の声。


 慌てて服を着ていることを確認し、布団に行為の名残りがないか視線を走らせる。

 昨夜はワインを飲んだ後、どうした?

 寝起きのせいで記憶が混乱している。


「おはよう、耕平くん。もうすぐご飯できるよ」


 振り向いた先、体に合わない大きなエプロンを身に着けた女が、朝食の支度をしていた。

 名前は知らない。聞く機会を逃した。

 いつ出て行くかわからない相手だから、それでいいと思った。


 なのにどうして、彼女がそこで微笑んでいることに、ほっとするのだろう。


「寝ぼけてる? もしかしてお酒飲むと記憶なくすタイプ?」

「いや……覚えてる」

「本当かなぁ? 一瞬、私とやっちゃったのかなって思ったでしょう?」


 図星だ。

 寝癖のついた髪を乱暴に掻き回して、動揺したのを隠そうと試みる。

 記憶はなくしていない。昨夜は歯を磨いた後も話し込んで、そのまま眠ってしまっただけだ。


「私もね、朝起きて耕平くんの顔が目の前にあってびっくりした。昨夜、だし巻き卵が食べたいって言ってたから、作ったよ。ご飯どのくらいよそる?」

「自分でやる」


 意外とマイペースな彼女。

 壊滅的な食生活をしていたくせに、本当に料理ができるのかと疑いつつ、キッチンにいる彼女に近付いた。

 だし巻き卵は、焦げずに形になっている。

 鍋の中のスープからはおいしそうな湯気が立ち、炊飯器のご飯はちゃんと炊けている。


 耕平の視線と表情から思考を読み取ったらしき彼女は、口元に苦笑を乗せた。


「できるって言ったじゃん。納豆食べる?」

「食う」

「納豆には、ネギとゴマだっけ?」

「あと海苔」

「りょーかーい」


 朝から楽しそうにしている彼女と共に食卓を整え、席につく。


「いただきます」

「召し上がれ」


 まずはお椀を手に取り、根菜のスープに口を付ける。鶏ガラ出汁と生姜の風味。


「あ、うまい」

「よかった」

「野菜も煮えてる」

「久しぶりに誰かのために料理したから、張り切った」

「だし巻きも、好みの味付け」

「昨夜寝落ちする前にしたリサーチが生きてますかね?」

「うん。すげぇ」

「住み込み家政婦、食事は合格?」

「文句なしの合格」

「やったね!」


 顔をほころばせながら、彼女も自分のお椀に口を付けた。

 食事を終えて、彼女が後片付けをしている間に耕平は身支度を整える。上着を来て手袋をはめた耕平を見て、彼女が小走りで近寄って来た。


「出掛けるの?」

「いや。ちょっと雪投げてくる」


 彼女の表情を見て、言い直す。


「悪い。方言。投げるは捨てるって意味。要は雪かき」

「それは家政婦の仕事じゃないの?」

「あんたがやると、いつまで経っても終わらなそう。滑って怪我されても困る」

「一理ある。だけど、見ず知らずの他人を家に残して外に出ちゃうのはダメだよ。お互い不快な思いをしないために、私も出る」

「わかった。手袋はけよ」

「はーい」


 何かをしようとする度彼女が楽しそうに顔を輝かせるものだから、思わず耕平の頬も緩む。

 上着と毛糸の帽子と手袋で防寒した彼女を連れて外へ出ると、彼女は感嘆の声を漏らした。


「うわ! 雪! やば!」

「内地からここまで、車で旅して来たんだろ?」

「そうだけど。一人じゃないから、安心して楽しい」


 あんたも見ず知らずの男を手放しで信用するもんじゃない、と言いたかったが、楽しそうな様子に水を差す気になれず口をつぐむ。


「土間から続いてる物置、教えただろ? そこにもう一本じょんばがあるから、取ってきて」

「じょんば?」

「じょんば」


 耕平が手に持っている物を視線で示せば、彼女は頷いた。


「スコップね」


 上着を着込んでも細い女の後ろ姿を見ながら耕平は、無意識に出る方言に気を付けようとこっそり誓う。


 車の雪下ろしが終わる前に戻ってきた彼女は、鼻と頬を赤くして満面の笑み。


「耕平くん」

「どうした?」

「そっちも耕平くんの家の敷地なんだよね? 雪だるま、作ってもいい?」

「いいけど、ここの雪はさらさらだから作りづらいぞ」

「そうなの? 試していい?」

「俺の視界に入る所にいろよ。生き埋めになられたら困る」

「雪国、やばいね!」

「楽しそうだな?」

「楽しい!」

「軒下には絶対入るな。つららは触るなよ。死ぬからな」

「そうなの? 人様の家で死体になりたくないから気を付ける! あ、私の車も雪を下ろしたほうが良いのかな?」

「やっとく」

「自分でやるよ」


 一人で車中泊しながらここまで辿り着いただけあって、手慣れた様子で車に積もった雪を下ろしていく。

 その後は雪かきが楽しくなったようで、雪だるまを作る気は、完全に失せてしまった様子だった。


「体力ねぇなぁ。大丈夫か?」

「雪国、やばいね」

「同じセリフもそこまで変わるか」

「体力付けないと。死んじゃう」

「昼飯は、外に食いに行くか?」

「初日からサボるのは、やだな」

「楽に生きれば?」

「だって、耕平くんのうまいが嬉しかった。あ、部屋の掃除いつしよう?」

「今してきたら? このとおり、逃げ道は俺が塞いでる」

「やだ本当だ! 気付かなかった!」


 まったく戦力にならない雪かきの手伝いを諦めて、彼女は家の中へと戻っていく。

 案外騒々しい女だなと心の中で感想をこぼしつつ、それが不快だとは思わない。


 雪かきを終えて戻ると、彼女は風呂掃除をしていた。

 書斎で仕事をすると告げれば昼飯のリクエストを聞かれ、耕平は肉と答える。食材のストックはまだ余裕があるはずだから、買い出しは必要ないだろう。


 昼食は、豚こまとほうれん草を使ったビビンバ丼だった。


   ※


「忘れてた」


 ふと、昨夜の自分の発言を思い出し、書斎から出る。

 彼女の姿を探すと、リビングのソファの上で眠っていた。

 恐らく彼女の体は今、休息を求めているのだろう。

 目が覚めた彼女が心配しないようダイニングテーブルの上にメモを残し、外へ出る。


 彼女は喜ぶだろうか。


 チーズケーキを食べた時の反応を思い出しながら、わくわくしている己を、自覚した。


   ※


 発泡スチロールの箱を抱えて車から降りると、家に明かりが付いていることに気付いて足を止める。

 この家で、一人で暮らすようになってから四年。誰かが家で待っているのは初めてだ。

 自分の家なのに、鍵を開けるだけで緊張する。

 玄関を開けると、物音で耕平の帰宅に気付いた彼女が駆け寄ってきた。


「おかえりなさい」

「……ただいま」


 ただいまなんて言葉は、いつぶりだろうか。


「夕飯いらないってメモにあったから、もっと遅いのかと思った。私がいるから気を使わせた?」

「あぁ、違う。夕飯いらないって書いたのは、これを食わせたかったから。作らなくていいって意味」


 蓋を開けて見せれば想像通り、彼女の顔が輝いた。


「すご! でか! ホタテ?」

「なまらうめぇから。腹は減ってる?」

「今急激に減ってきた!」

「ビールは?」

「好き!」


 後ろをついて来る彼女の気配を感じながら、キッチンへ向かう。

 言葉を交わせる犬を飼い始めたみたいだと感じて、笑みがこぼれた。


「漁師の友達がさ」

「牧場の次は漁師」

「内地から親戚が来てるって話したら、いろいろ出してくれて」

「親戚?」


 自分を指差して、彼女は首を傾げる。

 耕平が頷けば、納得したようだ。


 彼女のことに関しての真実は、人には少し、話しづらい。


「漁の時期は終わってるんだけどさ」

「う、うにっ! いくら!」

「好き?」

「好き好き大好き! どうしよう? 何で払う? 体? 貧相な体だけど、使う?」

「ばーか」


 ちょっと揺らいだことは胸に秘め、彼女の小さな頭をコツンと小突く。


「歓迎会ってことで」

「……歓迎、してくれるの?」


 唐突な、真面目な声音。

 視線を向けた先。照れているのか頬を染めた彼女は、嬉しそうなのに今にも泣き出してしまいそうな顔をして、耕平を見上げていた。


――あ、やばい。


 動揺を悟られないよう、顔をそらす。


「飯、うまかったし。あんたと話すの、嫌いじゃない」


 久しぶりに、女性をかわいいと思った。

 触れたいと、手を伸ばしそうになった。


「私も、耕平くんといるの、好き。楽しい。……ありがと」


 自分は、とんでもないものを拾ってしまったのかもしれない。


 平時とは違う心臓の動きを自覚しながら耕平は、彼女の名前を知ってしまえば引き返せなくなる。

 そんな予感が、していた。

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