砦2031

水原麻以

仮想都市サハ


絶対に負けられない戦いがある。

綺麗事でも黴臭い精神論でも玉砕を期待する破滅願望でもない。

存亡の危機が掛かっている。

仮想都市サハの保護司マヤは己に言い聞かせた。

貧民窟で虐待が多発しており児童が毎日死んでいる。ただでさえ少ない避難民の出生率に歯止めがかからない。閉塞感や苛立ちを手近な子供にぶつけているせいだ。未曽有の危機が避けられないと判った日、人類は意識をアップロードした。

仮想人格アバターは忠実に人体を模倣するから殺されたら本当に死ぬのだ。

アバターにバックアップ機能はない。その仕様を知ってサハでも児童保護の仕事を続けようと決意した。そして地上よりも凄惨な現場に出くわして言葉を失った。アバターになった分だけ命も軽くなった。どうしようもない無力感に苛まれる。

誰にも言えない想いを抱えながら、心に蓋をする場所さえない。

マヤは思い出す。

自らの心の中で思い出す。

そして、自らの手の平で涙で汚れる自分の感情の全てを。

マヤは泣かなくなった。

自らの心に蓋をした。

デートを優先するあまり子供を死なせた保護者がいた。二日前の話だ。

「子供が共有部分に倒れている」

マヤは日付が変わった直後に近隣住民から通報を受け現場にかけつけた。既に警察が現場検証をしていた。

「さっさと再起動させろよ」

親は不可能を叫びながら連行されていった。防げなかった。マヤは無力感に苛まれて自宅の玄関口に倒れ込んだ。

無数の鉄拳と能面と怒号が渦巻いてマヤを飲み込んだ。

その時に見た夢は、きっと自分の人生であり、彼の過去である。


目覚めの悪さと後味は片頭痛を伴った。翌日も翌々日もマヤを苦しめた。

引きつった表情を作り笑顔で無理やりごまかしていると相談者に苦情をいわれた。

「なんだかうわの空ですね。本当はうちの子なんかどうでもいいって感じですね。貴方は虐待と無縁の家庭で育ったんでしょう?」

もちろんマヤは即座に否定した。そして付け加えた。「私は母に捨てられました」

その想いは、真実の愛は、彼の過去を否定したのだと言い訳になった。

「本当の愛を知らないまま仕事を続ける気かね。君もそろそろ守るべきものを見つける時だ」

所長に勧められて気乗りしないままマッチングサービスとやらに入会した。マヤのような変人に魅力を感じてくれる人が現れた。そして、家庭を築こうという気になった。

厳しい現実がそれを許さなかった。

だから、マヤは怒りにも似た悲しみを与えられた。

ミス・フォーチュンはいわゆる重たい人だった。喜怒哀楽のむらが極端だ。調子が良いときは生活保護を脱して就職する。だがすぐにオーヴァードーズとリストカットの日々に戻る。その繰り返しだ。マヤは一生懸命に支えようとした。

だが彼女は自分を殴って殺そうとした。出会ったときは森の小動物を思わせる眼に魅かれた。

しかし、思い返せば彼女は自分を殺しかねないほどの力を得ていた。自傷行為を止める時、好きだと言って腕を組む時、怪力を発揮する。

しかもそれが、彼女が生まれた時から持っていたものだった。

一度など同意を得て医者に診せた。アップロード症候群という仮定の病気に該当するらしかった。病名があいまいな理由はまだ未知の部分が多いからだ。


医者の一言が余計だった。「フォーチュンさん。自傷行為が過ぎると本当に死んでしまいますよ。アバターは無敵じゃないんだ」


その言葉は彼女を強い衝撃を与えにした。

だからこそ、彼女は死と言う死を理解できなくなった。


「死にたい」と泣き叫ぶ人間を放っておけないマヤだった。後ろ髪を引かれる思いで退職し介護に専念した。

自傷行為は減ったが矛先がマヤに向き始めた。

それは彼女が『自分の献身が報われない』と思ったからだ。

一生懸命に愛されようとしているのにあなたの心から冷気が漂ってくる。

そんな我儘なのか承認欲求なのかわからないドメスティックバイオレンスにマヤは笑顔で応えた。なんというか、アルコール依存症や薬物中毒者は自己矛盾した言動をとる。

彼女は己を愛すためなら他人を殺すことも守ることもいとわない、とさえいう。

もし、彼女を殺すことが出来る者がいれば、彼女は誰の手の平も傷つけずに死に、彼女が自分の為に犠牲にならないよう願っただろう。

だが、彼女には許されない。

彼女自身には愛が無い。

だから彼女は殺されなくてはならない。


そんな捨て鉢なフォーチュンにかける言葉がみつからない。マヤは痛感した。


有り金を叩いて欲しいと言ったものを買ってやり、美味しいと言ったレストランに日参した。そしてある程度フォーチュンが元気になったところで決まり文句を処方するのだ。

「自分をもっと大切にしろ」

マヤの期待は粉々に打ち砕かれた。


フォーチュンはいう。

自分の人生は、自分を愛することではない。

彼女は知っていた。

そこまで言われてマヤはしばらく距離を置くことにした。


彼女は愛がなければ生きれないと知っていた。

自分勝手な愛でなくなり、愛と言う概念が確立したら人生は生きている意味も無くなる、と。

それは、彼女を支えてくれる人がいたからこそ、彼女は知った。

彼女が初めて愛するものは愛ではない。

愛と言う概念や概念を知ったからこそ、彼女は愛を持たないと生きていけなくなる。

それが彼女を苦しめる。

彼女も誰かの助けを借りるより自分の幸せって言うモノを理解した方がいいと思った。

自分の幸せが自分の為に犠牲になってくれるなら、彼女は自分の幸せを犠牲にしよう。

そう決心する。

彼女は、本当に愛が欲しかった。

何も無い、ただそれだけの人間であるために、彼女は自分で幸せになれるよう自分で思っていた。

彼女は、何もいらなかった。

彼女が欲しいものは何も無いから、彼女は愛してもいい人間に自分で選ばれ、幸福のためだけの人生を歩んでいた。

それが、彼女の人生を壊す。

だから彼女は狂った。


失恋を多忙で上書きするためにマヤは児童保護の仕事に戻っていた。


大至急来てくれ、一般人男性から通報が入り駆け付けるとフォーチュンがいた。

連れ子を壁に叩きつけていた。


自分の愛を持たないから、誰かの幸せになりたかったから、自分の愛を持たないから、何も不幸になりたくないから、だから彼女は狂う。

愛は、自分で自分の幸せを望む権利を持つ。

その権利は誰でも持つはずだ。

そのために、彼女は必死に愛を持った人間を守ろうとした。

彼女は自分が誰よりも幸せに生きたいと思ったから、自分の世界に行った。


交際相手に実子がいると知った時、フォーチュンは壊れた。

協議が長引いてなかなか切り出せなかった、と男はわびた。

いや、わびるポーズだ、とフォーチュンは見抜いた。

彼女は自分が幸せになるのを知っていたから、不幸である人間は他の不幸そうな人間だと思ったから、幸せを持とうとした。


「私には無限の寵愛が、不滅の慈悲が約束されているの」

正体不明で根拠のないパワーを崇拝していた。

彼女は自分がそういう人間である事を知っていたから、不幸そうな人間に私が幸せになれるようにと必死だった。

「だから、私は、私は、私は、私だけはただ、愛を抱きたかった。」

彼女は狂っていた。

男を元カノの呪縛から解放してあげようと主張する。その為には「彼女さんの置き土産」である養女をリセットしなくちゃいけないとまでいう。

それはマヤの心情と寸分たがわない・

幸せを望むばかりに自分を支配して、不幸になる時でも、自分の不幸には自分の幸せを抱えたかった。

マヤはむかし虐待親から没収した危険グッズを警察に引き渡さず、隠匿していた。

漠然と将来の必要性を予見したからだ。

アバターデータ非常停止ボタン。押せば相手はたちどころに死ぬ。どこかの違法組織が輸入したものだ。元の持ち主(容疑者)がどうやってこれを入手したかわからない。口を割る前に舌を噛んだからだ。

マヤはボタンをじっと睨んで逡巡した。

ただ、不幸そうな人間が幸せになれる気配を春風に感じたから、私は彼女を殺せなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砦2031 水原麻以 @maimizuhara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ