伊東 光理

 父は英雄。母は学者。二人は王であり、王妃でもあった。

 あさひとドロシーの間に産まれた子、光理ひかりから見た両親は正反対の性格。かたや責任感が強すぎて、もう一方は楽天家。だからこそバランスが取れているのかもしれないと、子供の頃には思っていた。

 けれど、成長するにつれて二人の関係の歪さに気付き始める。そして疑念が湧いて来た。


 父は、母に操られてきたのではないか?


 母は非常に好奇心の強い人だ。自分も、その性質を少なからず継いでいる。知りたいという強い欲求。時折それに衝き動かされそうになる。

 ただ、どうも自分は父の方にこそ良く似たようで、勝手は許されないという意志もまた同居している。あの人は自制心が異常なまでに強いのだ。理由は一度も話してもらえなかったが、何かが父の心を固く縛り続けている。

 母はおそらく、そこにつけ込んだ。誰かの役に立ちたいという父の願いを刺激してヒーローに仕立て上げた。多分、自分がそれを見て楽しむだけのために。


「まあ、悪いことだとは思わないけれど……」


 一人、星を見上げながら呟く。短く切った、母親譲りの赤い髪。茶色の瞳。性格は両方に似たのに、外見上は母にばかり似た娘。もしかしたら、そのせいで捨てられたのではないかと時々思ってしまう。

 二年前、大きな地震が起こり、地下都市の一部が崩落して大勢の人が死んだ。犠牲者の中には母も含まれていた。

 父はひどく嘆き、しばらく母の──見つからなかった遺体の代わりに遺品を詰め込んだ棺に寄り添っていたけれど、あれは本当に悲しんでいたのだろうか?


 何年か前から、両親は不仲だった。


 民に心配をかけまいとして、父は秘密にしようとしていた。けれど、母があけすけに周囲に事実を語るものだから実際には公然の秘密。だからなのか、周囲にあれこれ言われた父は、いつからか母や一人娘の顔を正面から見られなくなり、母もそんな父に次第に愛想を尽かしていった。

 浮気したとか、そういうことがあったわけじゃない。むしろ、父はどこまでも母に一途だった。

 ただ、あの人は……周囲の期待に応えることが当たり前になりすぎていただけ。長年そうし続けて来たことで、もはや“英雄”としてしか生きられなくなってしまった。そこから外れた道へ進むことを極端に恐れていた。母が何度肩の力を抜けと言っても聞かなかった。近しい何人かが、もっと自分達を頼って欲しいと願っても信じることを拒んだ。


『彼は意固地にナッテいるノヨ。他人ヲ守り続けナイと、自分ニハなんの価値も無イッて思い込んでシマッタ』


 あの大地震の直前、最後に母と交わした会話。今の自分と同じように、地上へ出て夜空を見上げていた。

 光理からは顔が見えなかった。母はいったい、どんな表情をしていたのか。

 母方の祖父は天文学者だったらしい。星を見ること以外になんの興味も示さないような、どうしようもない父親だったと語っていた。とはいえ、そのおかげで彗星の接近に気付き、地下都市が造られて人類の一部が救われたのだから、彼はヒーローだとも言える。

 祖父も、そして父も人類を救った英雄。それは幼い頃の光理にとって自慢だったのだが、母にはそうではなかったようだし、今の自分も素直には誇れない。


「父さんも結局、私達を置いて行った」


 祖母を救うために。人類の天敵を倒すために。たった一人で旅立って、そして一年以上経過した今も帰って来ない。

 必ず帰って来る。その約束が果たされることは、きっと無いのだろう。

 光理は頭上に手を伸ばしてみた。空には、あんなにたくさんの星々が瞬いている。なのに一つも掴み取れやしない。

 触れることもできない星々を見上げて、何が楽しいのか。


「それでも私は、やっぱり父さん似なのね……」

「ここにいたのか」

「あら」


 声に振り返ると、今一番会いたくない相手の顔があった。

 安西あんざい 千里せんり。背が高くて細身のヒョロリとした青年で、父の側近だった四騎士の一人・安西 康平こうへいの息子。

 そして自分の婚約者。


「なんでアンタが来るのよ。他の誰かに頼めば良かったじゃない」

「なんだいお姫様、俺には会いたくなかった?」

「今はね」

 父と母の、最終的に破綻した夫婦関係を思い出している時になど顔を合わせたくなかった。自分はこれから、この男と結婚するというのに。

「まあいいわ。準備が整ったのね?」

「ああ、いつでも出発できる。とは言っても予想より時間が押したから、明日にした方が良さそうかな」

「そうするように皆に指示を。今日で別れるつもりだったけれど、思わぬ形で名残を惜しむ時間が増えたわね」

「昼の戦いはご苦労様。よりにもよって、こんな日に襲って来るんだもんな、あの竜。空気の読めないやつだ」

「まったくよ。設備以外、全く犠牲を出さずに済んで良かったけど」


 今日の昼、もう少しで出発だという時になって“竜”が発生し、地下と地上を繋ぐエレベーターシャフトを襲撃した。光理や千里は防衛戦に参加して、どうにか敵が維持限界を迎えるまでの一〇分間を凌いだのである。


「やっぱり、お義父さんがいないと厳しいなあ」

 光理の父・旭がいたらあの程度の竜、瞬殺してくれただろう。けれど彼は二年前に失踪して、今は自分達だけで戦わなければならない。

「あんな“例外”を、いつまでもアテにしていては駄目よ」

 誰よりも、彼の娘である光理がそのことを理解していた。突然変異的に生まれた超人に頼りっぱなしでは駄目だ。自分達はそろそろ、自らの手で自らを守れるようにならなければいけない。

 長い道のりにはなるだろうが、それでも必ず“竜”を倒せるようになってみせる。そうしなければ、いつか人類は滅ぶだろう。

「昔の人達が羨ましいわ」

 地下へ戻りつつ、吐き捨てる光理。

 千里は苦笑い。

「旧時代だって人間同士で争ってたらしいよ」

「それこそ“平和”な証拠」

 人と人とが争える。そうするだけの余裕がある。自分達にそれは無い。今この瞬間にも絶滅してしまうかもしれない。いつかどこかの記憶が、誰かの空想が、実体化して命を奪う。


 魔素に汚染された世界とは、そういうものだ。


「まあ、秋田へ移れば多少は楽ができるさ」

「そうね」

 仙台はもう駄目だ。部分的にならまだ使えるが、とても北日本の民全員を養っていくことはできない。

 だから、残っている地下都市の中で最も状態の良い秋田に遷都すると決めた。

「もう、ここから地上に上がることは無いわ。すぐに仙台の全エレベーターシャフトと予備脱出口を完全閉鎖させなさい」

「了解です、お姫様」

「違う」

 この男は、いつまで自分を「姫」と呼ぶつもりだ。戴冠してからとっくに一年以上経っているのに。

「私は女王。この国を導く、星海ほしみ 光理よ」

「……わかりました、陛下」


 伊東いとうの姓は捨てた。

 オズボーンと名乗るつもりも無い。

 これからの自分は星海。


 地下都市に戻った彼女は、民がそうしているように自分も生まれ育った王城から街を眺め、故郷との別れを惜しんだ。

 まだ寝るには少し早い時間なので、たくさんの輝きが闇の中に見える。あの夜空の星々に比べれば数は少なく、けれども身近で触れることのできる星々。


 祖父や母は、届かない彼方の星々うちゅうに想いを馳せた。

 父や自分は、目の前にある小さな星々いのちを守りたい。


「どちらも星の海なのに、どうして私達は……こんなにもわかりあえないのかしらね」

 人間は不思議だ。獣や虫を見てみろ。多少の個体差はあっても、種によってそれぞれ同じ姿をしている。

 なのに人間だけは個体差が大きすぎる。一卵性の双子などを除けば、誰も同じ姿をしていない。

 彼女はこれを“考え方”が千差万別だからだと考える。時に理解が難しくなるほど人はそれぞれに価値観が異なり、かけ離れている。その思考の差が進化の過程で反映され、このような生物になったのではないだろうか?

 あるいは逆か? なんらかの偶然で個体差の大きい種に進化してしまったがため、価値観にも大きな差異が生じたのかもしれない。

 なんにせよ、人はそういう生き物だ。あまりにも一人一人が違い過ぎる。


 だからこそ激しく愛し、憎んでしまうのだろう。

 光理は俯き、涙を流す。玉座を継いだ以上、泣いていいのは誰の目も無い、この場所だけ。あの人だって、そうしていた。


「私、やっぱりまだ諦めてないよ……ここじゃなくてもいい。今じゃなくても構わない。だから、いつか必ず帰って来て……父さん」


 父に会いたい。

 母を許したい。


「だから……」

 だから彼女は涙を拭う。そして、もう一度自分の目の前にある無数の輝きを見据えた。

「私は繋ぐよ。父さんから託されたものを必ず、明日の誰かに繋いでみせる。あなたは約束を守る人だもの……なら、私もそう。人はそれぞれ違うけれど、共通点だってあるわ。親子なら、なおさらにね」


 自分ではなくても、いつか誰かが彼を迎え、そして彼女を許してくれる。そう信じ、今は前に進むだけ。

 星海の名は、そのために考えた。

 父と母、二人の血と想いを継いだ、自分なりの決意の証。





 そして──





「なによ、あれ?」

 遠い未来。星海の名を継ぐ少女は、一人の少年に出会った。

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