ルーカス・ブラウン
彼は米陸軍の一等軍曹で、たまたま日本語を話すことができた。祖父の友人に日本人がおり、少年時代、祖父に頼まれ彼から日本語を教わっていたからだ。いつか自分が夢を叶えて日本へ渡ったら、その時は通訳としてお前も連れて行く。それが祖父の口癖だった。
何故かは知らないが、祖父は
とはいえ借りたものは返さなくてはならない。そのためには働く必要がある。そして彼には頑丈な体と日本語を話せるスキル以外、これといって優れた才能も技能も無かった。金が無いのだからもちろん進学もできない。なのでハイスクールを卒業すると同時に軍に入隊して、数年かけて一等軍曹まで昇進した。
さて、その昇進直後である。
上官に呼び出され、彼のオフィスでこう言われた。
「ブラウン、日本へ行ってくれんか?」
「日本……ですか?」
「東京の赤坂プレスセンターで通訳をしていた曹長が妊娠した。彼女は子供のためにも両親の為にも一国も早い帰国をと望んでいる。で、君に彼女の代役をして欲しい」
「他には誰もいなかったのですか?」
「カタコトならともかく、君ほど流暢に日本語を話せる兵士はそうそういるもんじゃない」
まあ、そうだろう。あんな難解な言語、自分でもよく覚えられたものだと時々不思議に思う。日本人も英語に対して同じような感想を抱く人間が多いそうだが。
「もちろん君には拒否権もある。しくじったのは向こうなんだ。責任も連中に取らせてやればいい」
むしろ断ることを望んでいるかのような上官の態度に、思い出す。たしかこの人と非常に険悪な関係の少佐が日本にいたはずだなと。ということは、この一件で責任を引っ被るのはその人物なのかもしれない。
しかしルーカスは即決した。
「いえ、引き受けさせていただきます」
「そうか」
それならそれで構わないと上官も簡単に承認する。代役を派遣してやれば嫌いなアイツに恩を売れる。どっちみち損は無いと踏んだようだ。
ルーカスとしても、そんなお偉いさん同士の確執なんてどうだっていい。彼はただ、この機に乗じて祖父の夢を代わりに叶えてやりたかっただけである。永住するわけではないのだから、天国の彼が納得してくれるかどうかはわからないが。
──そして、こうなった。
「ああ、チクショウ……日本になんて来るんじゃなかった」
なんたってここは、あの有名な怪獣映画の聖地だ。夜の東京。そのド真ん中に出現した巨大なドラゴンを見下ろし、後悔の念を吐き出す。
彼等はついさっきまで地下都市にいた。多摩の地下に建造された超巨大シェルターに。だがそこへ突如大量の水が流れ込み水没してしまったため、慌てて脱出した。
地上へ出ると、地下以上の地獄が待っていた。次々現れる怪物。突発的に発生する災害。いったい何が起きているのか誰にもわからない。自分達のいた東京第二シェルターは完全に水没してしまったし、どうにか脱出できた者達もおそらく大半がすでに死滅している。なにせ武装していた自分達でさえ、ほとんどが横田飛行場まで辿り着けなかった。
生き残ったのは自分と仲間が一人。研究員一名。それにパイロット。この四人だけ。基地にあったヘリを無断拝借して空中へ逃げた。そして第一シェルターのあった新宿に赤い巨竜が現れる様を目撃した。
いや、もう一つ。
「な、なんだありゃ?」
光──銀色の小さな光が赤い巨竜と共に空中高く駆け上がる。そして、その両者に向かってやはり銀に輝く霧のようなものが吸い寄せられて行き、巨大な二つの渦を形成した。
その幻想的な光景にルーカス達が魅入った瞬間、機体がガクンと揺れる。
「うわっ!?」
「どうした、おい!」
「わ、わからない! 急に操縦がきかなくなった!? で、電気系統がイカレ──うああああああああああああああああああああああっ!?」
いつの間にか、パイロットの腕に小さなものがびっしりと貼りついていた。醜悪な小人──まさかグレムリン?
「やめ、やめろ! 来るな! やめてくれっ!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああっ!?」
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃはは!」
小人達はルーカスらパイロット以外の三人にも群がって来た。牙や爪を立て容赦無く肉を削る。激痛に顔を歪めながら振り払おうとする同僚。しかし離れない。それを見たルーカスは機体に手足を叩きつけて小人達を潰す。
直後、恐怖に耐え切れなかった研究員がヘリの外へ飛び降りた。
「ウィル!?」
必死に手を伸ばしたルーカスの、その指をすり抜けて落下して行く彼。
瞬く間に遠ざかる姿が、彼方からの眩い光に照らされた。
轟音が迫って来る。自身もまた恐怖で心臓を握り潰されそうになりながら、ルーカスは顔を上げ、そして見てしまった。
上空で発生した核爆弾にも匹敵する眩い閃光。それが膨れ上がり、眼下にあるもの全てを飲み込みながら巨大な球体と化す。
幸い、ここまでは届かない。けれど、目には見えない衝撃波があっという間に到達してヘリをバラバラに引き裂く。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
やはり何が起きているのかわからぬまま、彼はその波に飲み込まれた。
そして不思議なものを見た。
『死ぬな』
『生きろ』
『頑張るのよ』
──日本にいるはずのない両親が。そしてとっくの昔にこの世を去った祖父が目の前に現れて盾となってくれた。
何故?
涙を流しながら、ルーカスは地上へ落下して行った。
「……生き、てる」
何時間も気絶していたらしい。目が覚めると夜明けが近かった。瓦礫の上に倒れていた彼の体には、多少の打ち身や擦り傷があるくらいで大きな外傷は無い。
守られたのか? 衝撃波に翻弄されながら見た家族の幻のことを思い出す。まさかとは思うものの、そもそも昨夜起きた全ての出来事が異常事態だったのだから、そんな奇跡の一つや二つ起きてもおかしくない気がした。
立ち上がって歩いていると、やがて他の生存者達が彼を見つけて集まって来た。ルーカスの腕の中にはいまだ小銃が握られており、服装も軍服。この状況下では頼りたくなってしまうのもしかたがない。
どうも自分達の現在地は東京の西端らしい。ということは、この人々は第三シェルターの生存者かもしれない。
東の方では、あれだけたくさん立ち並んでいた高層ビルが軒並み消滅していた。あの光の真下にあったからだろう。向こうにいた人々は、おそらくすでに……。
ともかく彼は、皆に一刻も早く武器を持たせるべきだと判断した。まだ異変は続いていたから。
「いやああああああああああああああっ!?」
「走れ! 走れ皆! 行け!!」
突如現れた自分よりでかいカマキリという異常な怪物を銃撃で牽制し、他の皆を先に逃がす。
横田飛行場だ。あそこまで戻れば、きっと銃が手に入る。皆で武装して立ち向かえば敵を倒せる。生き延びることができる。今はそう信じるしかない。
他の生存者達を守りながら逃げ続けるうち、彼は一つの事実に気が付いた。
こいつらにはタイムリミットがある。
とても現実のものとは思えない怪物達。そのどれもが、種類に関係無く一定時間の経過によって消失する。腕時計のストップウォッチ機能で計測してみたところ一〇分でそうなった。正確かはまだわからないが、およそそれだけの時間が経てば敵は勝手に消失する。
それに気付いてからは下手に攻撃せず、隠れてやり過ごすことを優先した。他の生存者達にも方針を徹底させた。
そして横田飛行場へ戻ると、幸いにも武器がたっぷり残っていた。在日米軍も自衛隊もロクな反撃ができないまま壊滅してしまったのだから当然と言える。
武装した途端、日本人達は強気になった。普段銃なんて触ったことが無いのだから気が大きくなるのは理解できる。しかし危険だとルーカスは思う。
奴らは銃では倒せない。
銃弾を弾く強固な皮膚や外骨格を持つ生物が大半だし、ダメージを与えられたとしても何故か瞬く間に再生してしまう。あんなもの戦車砲やミサイルを使ったって倒せるかわからない。
それに、どうやらそれら強力な兵器の大半は使用不可能に陥ったようだ。生存者の一人が無事だったジープを動かそうとしたことで別の事実も理解できた。昨夜のヘリと同じように無数のグレムリンが現れて彼を八つ裂きにしてしまったからだ。どうやら怪物達は電力をトリガーに発生してしまうらしい。ならば、それが必須な現代兵器の大半は使えるはずも無い。
その事実は、もう一つの絶望的な現実を彼等に突き付ける。
「乗り物が使えないんじゃ……どうやって脱出したらいいんだ……」
東京は今、巨大な銀色の雲の壁で囲われていた。その壁の近くでは昨夜見たものよりは遥かに小さいが、まるでファンタジー映画に出て来るワイバーンのような怪物達が無数に飛び交っている。あれでは近付くことさえ難しい。
しかし、それに関してはすぐにアイディアが閃いた。
「地下鉄だ」
ルーカスの提案に、全員が目を輝かせる。
「地下鉄のトンネルを使って壁の外に出よう」
「それだ」
「それしかない、そうしよう」
他の皆も賛同してくれたため、路線の集中している東へ移動することになった。あの謎の爆発の爆心地に近付いて行くわけだからもちろん恐怖心はあったが、同時に、東京の中心がどうなったのかを確認してみたいという好奇心も抑え切れなかった。こちら側に親しい友人や家族がいた人間もいるのかもしれない。
そして彼等は、そんな自分達の選択を後悔した。
「な、なんだよあれ!?」
「怪獣!?」
やはり彼等は西側の第三シェルターの生き残りだったらしい。誰一人として奴の姿を見ていなかった。
ルーカスだけが知っていた。ヘリに乗って空中から見下ろした巨体。あの赤い竜が徐々に再生しながら昨夜の爆発で生じたクレーターの中心で立ち上がろうとしている。パニックに陥った何人かが銃撃した。しかし距離が遠すぎて届かない。届いたところで、あんな一〇〇m以上ありそうな化け物に通じるはずが無い。単に注意を引き付けてしまうだけ。
「やめろ!」
ルーカスの声も恐慌状態の人々の耳には届かない。さらに音を聴きつけたのか他の小型の怪物達まで集まって来た。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああっ!?」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
再び地獄絵図が生じる。怪物に蹂躙される人々。さらには体内から発火して炎上する者もいた。
電気──まさか、この現象は神経に流れる電気パルスでも引き起こされてしまうと? だとしたらもう人類に生き残る術など無い。
彼が、そう考えた瞬間、
否定するかのように光が走った。
「オォッ!」
少年だ。日本人らしき少年が全身から銀色の光を放ち、それで推進力を生んで超高速移動しながら圧倒的なパワーを発揮し怪物共を打ち砕いて行く。銃でさえ全く通じなかった敵を粉々にして銀色の塵と変える。
誰もがその姿に魅入った。敵も味方も否応無しに惹きつけられた。
人類が記憶災害の脅威を知ってから二日目、彼等は自分達の中にそれに対抗しうる可能性が眠っていることを知った。
一人の英雄の登場によって。
「今なら抜けられます! 皆、急いで!!」
「そ、そうだ! 今なら逃げられる!」
彼の言葉で我に返ったルーカスは人々を先導して地下鉄駅の入口へ向かって走り出す。振り返ると、あの謎の少年に一人の少女が近付いていく姿が見えた。
それが後の北日本王国の初代王と王妃の出会い。
そして四騎士の一人に数えられるルーカス・ブラウンと彼等との出会いでもあった。
ルーカスは日本人の女性と結婚し、その子もやはり日本人と結婚し、彼が先祖から受け継いだアフリカ系アメリカ人としての遺伝的形質はどんどん薄れていったが、魔素の影響によって先祖返りを果たした子孫が奇しくも旭の子孫と彼の模倣体との出会いに立ち会うことになったのは、二五〇年後のことである。
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