星海 開明(1)

※今回のお話は第三部のネタバレを含みます。



 南日本が憎い。父の告白を聞いて以来、開明かいめいの中のその感情は着実に育ち続けていた。あの人を言葉巧みに誑かし、霊術というおもちゃを与え狂気の道へ走らせた。そのせいで母までも死に追いやった敵を根絶やしにしたい。

 しかし彼は、三年間も父への叛意を隠し通した男。もちろん、そんな感情を表に出すはずもない。一度だけ仇を前に本音を漏らしてしまったことはあったが、すぐに蓋をした。

 理解している。今は北と南が手を取り合うべき時期なのだと。東京に巣食う“ドロシー”という災厄。あれを打倒して生き延びるためには両国の協力が不可欠だ。

 だが、この戦いが終わったなら、その時には必ず──


(報いを受けさせてやる)


 密かに誓った彼の前で、目の前に立つハトコの朱璃あかりが問いかけた。

「で、調子はどう?」

「ああ、いいよ」

 内心を見透かされたわけではない。これは彼女につけてもらった、この右手の話。

「動く動く。これなら箸も使えそうだ」

 言葉通り、開明の意思に反応して肘の曲げ伸ばし、手首の回転、五指の開閉を行う義手。朱璃が先日完成させた魔素動力式パワーアシストスーツDA一〇二の技術を流用したもので、装着者の意思に反応して膨張・収縮を行う液体が水圧式シリンダーを動かし、各関節を動作させる仕組みになっている。DAシリーズと同じく人工の高密度魔素結晶体を動力源としているが、それを収めた筒は腕の中に骨の代わりとして収納されてあった。戦闘に用いると一本での連続稼働時間は二〇分前後だそうだが、日常生活に使用するだけなら一ヶ月は保つらしい。エネルギー切れを起こした場合も自分で義手を外し、中からカートリッジを抜いて新しい物と入れ替えれば再び動く。

「軍事技術というやつは、やはり他の分野でも活かされるものなんだね」

「昔からそうでしょ」

 戦争は兵器を進化させ、その過程で生み出された技術は他の分野へ転用される。よくある話だ。もちろんその逆も。結局、どんな技術だって何に使うか、誰が用いるかが重要で、悪しき技術なんてものはこの世に存在しない。

「霊術も組み込んだって?」

「まあね」

 朱璃はつい先日、南日本へ渡って霊術を学んで来た。こちらで主流の疑似魔法学で天才と呼ばれる彼女は、霊術においても飛びぬけた才能の持ち主だったらしい。あらゆる知識を貪欲に吸収し、今も急速に術士として成長を続けている。

 それが少し心配だ。

「父さんのようには、ならないでくれよ」

「当然」

 自分はあんな風にならない。朱璃には確固たる自信があるようだ。

 その根拠はと問いかけようとしたところへ、別の人物が顔を出す。

「開明、来てるって?」

「やあ、アサヒ」

 義手の点検を受けていた朱璃の研究室へ、彼女の夫・アサヒが戻って来た。シャワーでも浴びて来たのか、髪がまだ湿っている。

「相変わらず大きいね君は。久しぶり。最近忙しく動き回ってるって聞いたけど?」

「うん、ほら、南日本からの護送には参加させてもらえないし、かといって何もしないでジッとしてるのは苦手だから、朱璃の研究の邪魔になりそうな時は海軍の仕事や建物の補修作業なんかを手伝ってるんだ」

 彼、というか彼のオリジナル・伊東いとう あさひは地下都市建設に携わった作業員の一人だ。機械が使えないので昔とは色々勝手が違うはずだが、それでも地下都市の建築物に対する造詣は深い。おまけに重機以上の活躍が可能だし、工事現場の者達からすると心強い助っ人である。

 実際、気さくに手伝いに来て文句一つ言わず働く彼は市井でも着実に評価を高めている。たまに漁を手伝ってもらう海軍も大喜び。海中の生物には“ドロシー”も干渉できず、それゆえ変異種や竜も本能的に彼を恐れ漁業艦へ近寄って来ない。アサヒが手伝うようになって以来、人的被害は皆無だと言う。彼がいない時でもそうなのだから、おそらくこのあたりの変異種はここが彼のナワバリだと覚えてしまったのだろう。おかげで食用魚は例年より繁殖しており、豊漁続きでもある。

「けっこうけっこう。この国では、働かざるもの食うべからずだからね」

「そういうアンタはどうなのよ?」

 アサヒが開明の隣に腰かけたタイミングで朱璃が問う。

「ん?」

「こうして右腕も付けてやったんだし、そろそろ本格的に働いたら? 聞いた話じゃアンタ、アタシ達が南へ行ってる間もぐ~たら学生してたそうじゃない」

「酷いな、学生は勉学に励むのが本分じゃないか」

「どうせもう学校で教わることなんて無いくせに」

「え、そうなの?」

「そんなことはないって」

 驚くアサヒに苦笑を返す。たしかに半分は朱璃の言う通りで、知識としてならもはや教師に教わることなど何も無い。けれど学校という場では集団の中における人間関係の機微や上手な立ち回り方を学べるではないか。

 ──というような言い訳を述べたところ、あっさりと論破された。

「そんなもん、学校より働いていた方がよっぽど実用的なスキルを身に着けられるでしょうよ。学生なんてのは結局、何もかも遊びなの。普通の子ならその遊びに全力で熱中していてもいいけど、大阪へ発つ前にも言ったじゃない。アンタは普通じゃないんだから、アタシ達がいない間は頼むわよって」

「たしかに言われたけど、あれは何かがあったらのことだと思ってね……」


 嘘である。朱璃が言いたかったことは理解しているし、期待通りの働きもしたつもりだ。

 仮にあの時、月華の持ちかけた提案が罠だった場合、アサヒという大きな戦力が不在の北日本は守りが手薄になる。父・剣照けんしょうは霊術を学ぶ対価として王国を売り渡すつもりだった。敵が強引な統合を諦めていなければ、こちらを油断させ、改めて寝首を掻こうとする可能性は十分に考えられる。月華げっか自身にそんな意図が無かったとしても、別の誰かが画策しているかもしれない。向こうも一枚岩ではないはずだから。

 そういった推察を踏まえ、開明は軍や対策局と協力し防備を固めた。父も流石に霊術に関する資料を簡単にわかるような場所に隠してはいなかったが、人斬り燕とアサヒの戦闘から判明した断片的な情報を繋ぎ合わせて分析を行い、対術士の戦術を構築。もちろん元からそういった研究は行われていたが、アサヒが引きずり出してくれた“トップクラスの術士の手の内”と開明が発案したいくつかのアイディアにより、さらなるバージョンアップが実現した。想定では五人以上の兵士が組めば術士一人と渡り合えるはず。

 さらに彼は父の動向を探るため使っていた諜報網を東北各県の地下都市に広げ、南日本が工作活動を行う気配が無いかを探らせた。幸いにもそのような動きは無かったものの、副次的な効果として何名かの工作員を特定することには成功している。南北の協力が決まった今も彼女達は名乗り出る気配が無い。つまり南日本はまだ、腹に一物を抱えたままだ。

 まあ、どちらの作戦も主導していたのは大叔母やそのアドバイザーとなった緋意子、そして各組織のお偉方。自分は多少手伝ったに過ぎない。それでも一介の学生の働きとしては破格ではないか。これ以上、何を求める?


「まったく、今日だって僕は大おば様や君の代理で宮城まで行くのに」

「宮城……って、仙台? 開明が?」

 またしても驚くアサヒ。彼のリアクションは素直で実によろしい。

「天皇陛下にご挨拶さ。地下都市を二つも譲ったんだぜ、本当なら向こうからこっちに挨拶に来るのが筋だ。大おば様もそう思ってるから、これまで待ってたんだろう。なのに、いつまで経っても来る気配が無い。そこで王族の中で一番暇な僕に白羽の矢が立った。国王ではないけれど、仮にも王族だ。そんな僕が出向くことで向こうの面子を立ててやるんだよ。そしたらあっちだって、少しは新参者の王様に礼儀を尽くしてやろうって気になるかもしれないだろ」

「な、なるほど?」

 早口の説明を完全には理解出来なかったのか、若干の疑問形で頷くアサヒ。それから、なんだか楽しそうに笑う。

「なんだい?」

「いや、開明も何かを説明する時に生き生きしてるなって。流石は親戚だよ、朱璃に似てる」

「おいおい、だとしたら君が元凶だろ。ご先祖様なんだから」

「まあそうなんだけど、そういうところは俺の血じゃないと思うな。母さんも頭の良い方じゃなかったし」

「ま、アンタを見てると、たしかにそんな気がするわ。うちの一族は二代王の頃から頭脳派に転向したって話だし、多分ドロシー・オズボーンからの遺伝でしょ。この髪と瞳も彼女から受け継いだ形質だし」

 ポニーテールを掴んで先っぽを振る朱璃。開明も前髪をつまんで視界に入るまで引っ張り下ろす。

「不思議だよね。かなり代を重ねているのに、僕らの一族はいつまで経っても髪が赤い」

「カトリーヌみたいに先祖返りで異人種の形質が顕れた例や、マーカスの家みたいに男児は必ず黒人になるってケースもある。これも魔素が関係しているのかもしれないわ」

「マーカスさんって、そうなんだ」

「もう亡くなったけど、お姉さんはアジア系だったそうよ」

「へえ」

「ま、とりあえず」

 開明の義手を調整しつつこまめにメモを取っていた朱璃は、クリップボードを机の上に置いて自分にそっくりなハトコを見つめた。

月灯つきひに会うなら、よろしく言っといてちょうだい。こっちから会いに行く暇は無いんで、用があるならそっちから来なさいってね」

「つきひ?」

「知らないの? 開明が会いに行く天皇陛下の名前だよ」

 アサヒに教えられ、開明は二重の意味で虚を衝かれた。何故か今まで、天皇に人としての名前があるなどと考えたことも無かった。さらに目の前の二人がやけに親し気にその名を呼ぶことにも驚かされた。南日本で謁見したとは聞いていたが。

「優しくしてあげてね。ちょっと、気の弱い子だったから」

「馬鹿。あれは油断してると喉笛に喰らいついて来るタイプよ」

 何故かそれぞれ、全く異なる評価を下す。得体の知れない不気味さを感じる開明。

 はたして天皇・月灯とは、どのような人物なのか──




星海ほしみ 開明と申します」

「……はじめまして」

 仙台の、新たな皇居となった屋敷。身体検査やら禊やら、様々な手順を経てようやく目通りを許された開明が目の当たりにした少女は、なるほどアサヒの言う通り気の弱そうな娘だった。こちらの顔の傷や隻眼であることに対し、若干怯えを抱いているようにも見える。自分で言うのもなんだが、とても男には思えない顔立ちと華奢な体型なのに。

 なんて儚い姿だと、そう思った。一六の自分と同じ年頃に見えるが、実際にはまだ一二歳らしい。南の連中は、こんな幼子を天皇だなどと呼んで崇めているのか。内心侮蔑の感情を抱く。

 しかし、不思議だ。そんな彼女の姿をじっくりと観察できる。何故ならここには御簾が無い。

 どういう意図だ? 天皇は易々と外部の人間に姿を晒さない、そう聞いていたのに。アサヒ達だって最初は御簾越しの対面だったと聞いた。

 なるべく疑念も感情も面に出さず、慎重に相手の出方を伺う。とりあえず「申し訳ありません、本来なら祖母か王太女が来るべきところなのですが、二人とも冬が明けた後の戦いの準備に奔走しておりまして、代理として僕がご挨拶に」と釈明してみせると、さらに予想外の事態が起こった。


 天皇が、敵国の王子に頭を下げた。


「お気になさらず、お話は伺っております。お忙しいところ、ここまでご足労いただき、こちらこそ感謝いたさねば」

 深々と、まるで目上の人間を相手にするかのごとく、躊躇無くだ。

 驚愕している開明の前で少女はさらに変化を示す。

 力強く、何かを決意して唇を真一文字に引き結んだ。まっすぐこちらを見据え、そして首を傾げる。

「あの、何か?」

「あ、いえ」

 こほんと咳払いして、そして無意識に──問いかけてしまった。

「ここには御簾が無いのですね」

 言ってしまってから自分に詰問する。どうしてだ? 今ここで、どうしてそんな率直な問いを投げかけた? これではまるで考えなしの馬鹿みたいじゃないか。

 そんな馬鹿みたいな質問に、やはり少女は不思議そうに頷く。

「ええ」


 それがなんだというのだろう?

 そう問いたげな顔。


(ああ、そうか……そうなのか)

 合点がいった。彼女はそういう人なのだ。きっと、人と話す時には相手の目を見て話したいのだ。御簾など邪魔なだけだと考えていたから、取り払ったことになんの疑問も抱かないのだ。

 アサヒが良い子だと評し、朱璃が油断するなと言ったのも頷ける。こういう邪念の無い人間は、いとも容易く人の心へ斬り込んで来る。お互いの間に壁があっても、それに全く気付けないから。

 彼女はまだ幼いのだ。だからこそ、自分や朱璃のようなひねくれ者には恐ろしい。

 恐ろしいのに、気が付けば開明は微笑んでいた。

 自己分析はすでに済んでいる。

 どうやら自分は──

「陛下、今から散歩に出かけませんか?」

「散歩?」

「ええ、秋田まで。いかがですか」

 とんでもないことを口走り、そして実行しようとしていることを自覚しつつ、それでも開明は、そんな自分を止められなかった。

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