星海 開明(2)

「こ、ここが……秋田の地下都市!?」

「そうです!」

 月灯つきひと共に馬に跨り、地下都市・秋田を駆け抜ける開明かいめい。地下都市間連絡通路の出口では驚いた兵士に呼び止められたが、口から出まかせでどうにか誤魔化し突破してきた。ここまで数時間、どういうわけか南日本からの追跡の気配は無い。かなり無茶な話だと思ったのに、想像もしなかったほど事がすんなり運んでいる。

 彼は天皇を誘拐した。明らかな大罪だし国際問題にもなるだろう。捕まったら、どんな処分が下るかわからない。

 でも、彼の中の星海ほしみの血が騒いだのだ。この少女を秋田まで連れて行ってやりたいと。

 月灯は状況を理解しているのかいないのか、無邪気に歓声を上げた。

「建物がとても色鮮やかです! どれもとっても綺麗!」

「年に一回、全ての建物を塗り替えるんだよ! 地下でずっと同じ景色だと気が滅入ってしまうだろう? 京都ではこういうことはしていなかったのかな?」

「わかりません! 私、ついこの間まで皇居から出たことが無くて……」

「そうか」

 なら、めいっぱい楽しませてやろう。目的地へ行く前に、開明は様々な場所へ立ち寄った。すでに労働時間は終わっており、街には市民が溢れ返っている。危険かもしれないが、自分はあの父を打ち倒したのだ。女の子一人くらいなら守ってみせよう。


 本屋に立ち寄ってオススメの古書をプレゼントした。髪飾りも買ってあげた。非合法に密造されているお菓子を二人で食べた。月灯は初めて食べるそれを喉に詰まらせ、慌ててシイタケ茶で流し込んだ。店の看板娘と開明は大笑いした。


 街の広場にも連れて行った。初代王の像を見て目を輝かせる月灯を住人達は温かい目で見つめた。どこぞの田舎娘だろうかと考えているに違いない。

 それから再び馬に跨り王城の前まで一気に駆け抜けると、護衛隊士がズラリと左右に並んで二人を待っていた。奥に立つ二人の人物の姿を確かめ、開明だけが両手を挙げる。

「降参、降参です。抵抗はしません。元々、僕の目的は彼女をここへ連れてくることだ」

「やってくれましたね、開明……」

 深く嘆息する大叔母・ほむら。合図を出して開明を拘束させる。

「いたたたたたた、左手はまだ生身だってば!?」

「申し訳ございません。女王陛下の御命令ですので……」

「開明様!?」

 ここへ来て、ようやく自分の行動の重大さに気付いた月灯はうろたえた。開明は精一杯笑顔を作り、安心させようとする。

「大丈夫、ちょっと叱られるだけだよ。それより、君は君の使命を果たすといい」

「開明様……」

 そうだった。そのために自分はここまで来たのだった。思い出した月灯は彼から離れ、北日本の女王と、そしてもう一人──月華げっかの前に進み出る。

「申し訳ございません月華様、私……」

「釈明は後になさい。せっかく彼が体を張ったのだから、無駄にしないであげて」

「はい」

 頷き、今度は焔の両目をまっすぐ見据える月灯。

 胸を張り、堂々と名乗りを挙げた。


「日本国天皇・月灯です。北日本王国の女王陛下とお見受けします。突然の訪問、申し訳ございません。本日はご挨拶と、二つの地下都市をお譲りいただけたことに対する感謝を、我が国の代表として申し上げたく思い、参上仕りました」


「……そうですか」

 女王は睫を伏せ、そしてその場に片膝をつく。自分達の王が示した最大限の敬意に驚き、護衛隊士達も慌ててそれにならう。

「ようこそいらっしゃいました、天皇陛下。我が国への御来駕、心より感謝いたします」




 月灯は謁見の間ではなく女王の私室へ通された。両腕を手錠で拘束された開明も護衛隊士に両側を挟まれて共に入室する。女王と共に最初に扉を潜った月華は窓際に立ち、小畑に茶の温度に関してリクエストを告げた。小畑が承知して頷いたところで、焔は隊士達を下がらせる。

 月灯には椅子を奨め、馬鹿をやらかした開明は立ったままにさせておく。自らもソファに腰かけ、月華には自分の横か月灯の横か、どちらかを自由にと促す。月華は保護者としての立場から焔の横を選んだ。月灯とは正面から相対する。

 最初に口を開いたのは月灯だ。

「此度の一件、私から頼みました」

「ちょっ」

 自分のために泥を被る気かと慌てる開明。しかし、話に割り込もうとした彼を月華が制す。

「大丈夫、全てわかっている。というより、本当に私を出し抜けると思ったの? 坊や?」

「ええとまあ、勢いで……」

 らしくないことはわかっているが、実際そうとしか言えない。他にもいくつかの合理的な選択肢は脳裏に浮かんだのだが、どういうわけか最も不合理な行動を選んでしまった。なのに月華は、それこそが道理だとでも言うように大きく頷く。

「実に彼の子孫らしい行動だわ」

 半分呆れて、半分楽しんでいる様子。思ったより怒っていないのかもしれない。

 だがやはり、大叔母はそうもいかなかった。

「仮に天皇陛下のお言葉通りだったとしても、開明、お前は諫めなければならない立場。ましてや、実際にはお前の発案だったとすると、流石に軽い処分では済まされません」

「はい」


 勢い任せの行動ではあったが、そうなる覚悟は固めてあった。

 悔いは無い。目的はきちんと果たせたのである。


「何故、このような真似を?」

 訝る大叔母の、その言葉に即答する。

「秘密です」

 今この場で真実を明かすことは憚られた。不都合だからというか、単純に格好悪い。

(僕はね、大おば様。この子の笑顔が見たかったんです。助けになってやりたかった。そういうことです)

 内心では本音を吐露する。


 あの時、月灯が本当は芯の強い子なのだとわかった。

 ただ、一歩も皇居の外へ出たことが無かったという彼女には、きっと京都から仙台までの旅だって大きな心身の負担になっていたのだろう。その長旅を終えたばかりで、さらに秋田の、敵国の女王に謁見に赴く勇気は出せなかった。

 きっかけさえあればいい。彼女の決意を目の当たりにした開明にはそれがわかった。何か、ほんのちょっとの後押しがあれば彼女は天皇としての役割を果たせる。それによって、きっと心が少しは晴れる。あの華奢な肩に乗っかった重石が一つ下りる。

 そう思ったらもう、足が、心が、勝手に走り出していた。

 祖母はまた嘆息する。本当はもう、こちらの心などお見通しなのかもしれない。けれど女王として、彼女は公正に罰を下さねばならない。そうすべきだと開明も思う。

 けれど──

「わ、私が悪いんです! 開明様は私のわがままを聞いて下さっただけで!」

「わがまま!?」

 月灯が立ち上がり、月華が素っ頓狂な声を上げたものだから、焔はせっかく厳罰を下そうと勢い込んだ、その気勢を削がれてしまった。

「なんです、月華殿?」

「いやなに、月灯陛下がわがままなどを申されたのは、何年ぶりのことだったかと思いまして」

 心底嬉しそうに立ち上がり、彼女は宣言する。

「このように喜ばしいことは久しぶりです。蒼黒の打倒が成ったあの時以上。これは我等日本国の民一同、開明殿下にお礼をいたさねばなりません。殿下を拐かした今回の一件、我が国としては不問にいたしましょう」

「月華様!」

 顔を輝かせた月灯は自分よりずっと小さな体の、その胸に飛び込んだ。

「ありがとうございます……!」

「ふふ、この婆が陛下の悲しむようことをするはずないでしょう。短い間でしたが、開明殿下との旅は楽しかったですか?」

「はい、とても!」

「でしたら、いいのです」

 優しく月灯の背中を叩き、髪を撫でる月華。どうやら噂通り、この魔女は天皇陛下にだけは無条件に甘くなるらしい。

 自分はそういうわけにはいかない。しばし考え込んだ焔は、改めて又甥を見据え、決定を下す。

「開明、お前には高校を退学してもらいます」

「え?」

 それだけかと驚く開明。

 ところが、重大な問題だと勘違いした月灯が再びうろたえる。

「ま、待ってください! ですから、開明様は何も悪く──」

「陛下」

 そんな彼女を止めた月華は、立てた人差し指を唇に当てた。少し黙って聞いていなさいと窘められ、月灯はやむなく口を閉ざす。

 二人がそれ以上口を挟んでこないことを確認し、焔は告げた。

「重ねて、お前には働いてもらいます」

「あの、できれば研究職あたりに……」

「いいえ」

「ぐ、軍ですか?」

「お前に武の道へ進むことは期待しておりません」

 陸軍出の元訓練教官として残念な話だが、開明には剣や銃を握って戦う才能は無い。

 とはいえ、人の心なら掴めるようだ。

 だから──

「お前には大使を命じます」

「えっ……それって」

 驚いたが、同時に理由も察したようだ。落ち着きを取り戻す開明。

 まったく、朱璃といい賢しい子供達である。

「北と南は物理的に以前より近くなりました。しかし、精神的にはまだ大きな隔たりがある。朱璃やアサヒ殿達のような一部の者だけがかの国の人々と心を通わせただけで、他の大半はそうではない。私自身、彼女達を苦難を乗り越えるための協力者として信用していますが、けっして信頼できたわけではない」

 二五〇年も反目し合い、互いの腹を探って来たのだ。個人や、それに準ずる小さな単位でならともかく、国同士で簡単に友情を育むことはできない。

「だからこそ、その垣根を簡単に飛び越えたお前が適任です。北と南、両国を繋ぐ架け橋としての役割を期待します」


 もちろん拒否権など無い。拒否する理由も無い。

 開明は頭を下げ、主命をありがたく賜った。


「感謝いたします陛下。それとも、大おば様に対して述べるべきでしょうか?」

「王に対してでよろしい。贔屓と取る者もありましょう。その上で公私混同だとまで思われては、それこそ私の沽券に関わる」




 ──というわけで、また開明は仙台に戻って来た。肉親とも友人達とも別れ、当面は自由に故郷へ戻ることができない。それを思うと、たしかにこれは罰でもあるのかもしれない。

 ただ、そんなことなどどうでも良くなるくらいに心が浮足立っていた。

(まさか僕が、南日本の天皇陛下に懸想してしまうとは)

 父との三年間の戦いといい、どうにも茨の道を選んでしまう性分なのかもしれない。いくら焦がれても相手は敵国の天皇。そう簡単に実る恋ではないだろう。

 ただ、彼女おかげで憎しみに曇っていた目を晴らすこともできた。父を誑かし、狂気に走らせたのはたしかにこの国の人間。けれど、それが全てではない。

 北も南も同じだ。ほとんどの人々は、今を生き延びるために必死に戦っている。そして国を動かす者達も、そんな民を守るために死力を尽くしているに過ぎない。

 あのまま憎しみに囚われていたら、きっと自分は、いつか父と同じ道を歩んでいた。月灯の純粋さは道を明るく照らし出し、そんな空しい結末に到ることを防いでくれたのだ。本当に感謝している。


 開明は皇居の中に住まうことになった。


 彼は北日本の裏切りを防ぐための人質でもある。そして同時に、北が南を信用するための刃でもある。

 クーデター阻止のため自らの父さえも殺めた男。そんなものを天皇の傍に置くことを許しているのだ。それ自体が、南の誠意や覚悟を示す行動になっている。

(もちろん、あの魔女がその気になったら僕なんて一瞬で殺されてしまうのだろうけれど)

 せっかく懐に飛び込んだのだ。せいぜい上手く立ち回ってやろう。南日本全体への復讐心は晴れたものの、まだあの魔女個人に対する恨みまで消えたわけではないのだ。

 それに、なるべく月灯の傍に長く留まりたくもある。

 などと与えられた部屋で机に向かって思索に耽っていたら、いつものように彼女が遊びに来た。

「開明様! また、お話を聞かせていただいてよろしいですか?」

「もちろんです」

 微笑み、来客を迎え入れる。月灯はただ同世代の人間と話ができるだけでも嬉しいらしく、足繁くここに通って来る。

「さて、それでは今日は去年の今頃、学校であった出来事をお話ししましょう」

「ふふっ、そんな、本当ですか?」

 開明が北日本での思い出を語ると、月灯はめまぐるしく表情を変えた。月華曰く、彼が来てから明らかに笑顔が増え、感情表現が豊かになっているという。こちらとしても嬉しい話である。

 やがて戻る時間となり、部屋から出た彼女は、見送りに戸口に立った開明を見上げ、問いかける。

「あ、あの……一つ、お願いしたいことが」

「なんでしょう?」

「お……」

「お?」


「お兄様って、呼んでいいですか!?」


 開明の頭の中は真っ白になった。だが、持ち前のトークスキルが自動的に働いて返答する。

「構イマセン。僕ハ、オ兄様デス」

「やった!」

 喜んで飛び上がる月灯。誰が、こんな笑顔を曇らせられようか。

「おやすみなさい、お兄様! また明日!」

「おやすみなさい」

 笑顔で手を振り、月灯の姿が見えなくなったのを確認してから、その場に蹲る開明。


「兄かあ~!!」


 ひょっとしたら相思相愛なのではと期待していたのに、月灯にとっての自分は兄のようなものらしい。年齢差を考えれば、しかたのないことではある。


「……父さん、母さん、道はまだまだ険しいよ」


 とりあえず異性として意識してもらえるようにならなければ。作戦を練りつつ、彼もまた部屋の中へ戻るのだった。

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