月灯

※今回のお話は第三部のネタバレを含みます。



 長い黒髪。白い肌。母や祖母に似て美しく整った顔立ち。年齢の割に背が高く大人びた雰囲気こそ纏っているが、当代の日本国天皇・月灯つきひは、まだ一二歳の少女である。

 即位したのは三年前、九歳の時。元々身体の弱かった母は子を生んだ後も一向に回復せず、ゆっくりと衰弱を重ね、若くして命を落とした。そして唯一の子である彼女が皇位を引き継いだのである。

 それ以前もけして平穏な日々だったわけではないが、即位後は幼い彼女にとってさらに辛い人生となった。何よりも嫌なのが、上院議員達が矢継ぎ早に「早くお世継ぎを」と急かして来ることである。

 理解はできる。皇室の血を継ぐ唯一の存在となった自分が子を残さず死ねば、彼等が今まで後生大事に守って来た日本国の伝統が一つ途絶えてしまうことになる。それを危惧しているのだ。

 でも、当時の自分はまだ九歳で、今もまだ一二歳。平均寿命が大幅に短くなり、早婚が一般化した現代であってもこの年齢で子を作るのは時期尚早だ。母胎への負担が大きすぎる。それゆえ彼等も口で言うだけで、強硬手段に出たりはしていない。

 しかし、候補として何人かの若者とは引き合わされた。いずれも上院議員の家系に連なる青年。やはり大事に引き継がれてきた異能や才能を発現した者達。そうやって皇室に次々特殊な血を混ぜていったから子が減り、とうとう自分だけになってしまったというのに、彼等はまだ懲りていないらしい。本当は皇室の存続など、とうの昔に諦めていて、より強い血筋を生み出すための実験動物としか考えていないのかもしれない。まあ、この過酷な時代で、自分達一族が血を残す以外に何の役にも立ってこなかったことは事実だが。

(子供なんて……欲しくないのに……)

 時期が来たら、きっと自分の意志など関係無しに、あの中の誰かと契らされてしまうだろう。その時が刻一刻と近付いていることを思うと心は晴れず、いつも重苦しい暗雲が立ち込めている。


 もはや、誰も彼もが敵のようだ。

 例外は一人だけ。まだ一人だけなら、心の拠り所が残されている。

 報せが届いた。そのたった一人が、ようやく北日本から帰って来てくれたと。


「陛下、ただいま戻りましてございます」

月華げっか様」

 目上の人間であるはずの月灯が唯一、様付けで呼ぶこの相手は、南日本を長年守護してきた偉大な女性。外見上は一〇歳前後の童女にしか見えない魔女・天王寺 月華。いつも通りボブカットで整えた黒髪の下で、にっこりと優しい笑みを湛えている。

 母は月華を、とても深く慕っていた。祖父もだ。そして月灯も、彼女を他の誰より敬愛している。

「おかえりなさいませ」

 こちらからも頭を下げた。今回も護国のため、わざわざ遠く秋田まで足を運んでくれたことに感謝する。御簾越しに会話していることがもどかしい。本当なら今すぐにでも、あの胸の中へ跳び込みたいのに。

「陛下、下々に頭を下げるのはおやめください」

「月華様は、私より下ではありません」

 いつもは気弱な彼女も、こと月華に関することとなれば話は別。諫めたはずの自分が叱りつけられ、現首相の長坂ながさか 伝馬てんまは苦い顔で頷いた。

「はっ……陛下がそのように仰せなら、いたしかたありません」

 何も仕方のないことなど無い。事実、月華はここ日本国で最も偉大な人物ではないか。二五〇年前の“崩界の日”に彼女と北の英雄・伊東 旭の二人がいなければ、日本国民は一夜にして死に絶えていたはず。いや、そもそも月華の場合、それ以前から人類に多大な貢献を行っていた。世間では“量子コンピューターによるシミュレート結果”ということになっている彗星の衝突予測だって、実際にはこの方が──


(月華様がおられなければ地下都市は造られず、誰も魔素に汚染された世界で生き延びることはできなかった。なのに、この人達はどうしてこんなにも、あの方を軽んじられるの?)


 大好きな月華が議員達に悪しざまに言われ、軽々な扱いを受けるたび、悔しい思いを噛み殺している。今だって月華は大阪で八万もの人々を守り続けてくれていて、それが結果的に京都の安全にも繋がっているのに、本当にどうして……。


 ──後々、二人きりの場で本音を吐露したところ、月華は涙で濡れた月灯の頬を優しく撫で、いいのですよと頭を振った。

「私の扱いなぞ、気にせずともよろしい。むしろ、そんな些細なことで陛下が御心を痛めておられる方が悲しゅうございます。仰せの通り、私は偉大なる魔女。あのような若僧共に何を言われようと痛痒など感じません。だから大丈夫、この婆は見た目に反して面の皮が厚うございますから、陛下は心安らかに時をお待ちください」

「時、とは?」

 小さな月華の膝に頭を預け、心に溜まった淀みを晴らしてもらいつつ訊ねる。

 すると童女姿の魔女は、唇に指を当ててしーっと音を出した。

「今はまだ申せません。けれど、一言だけなら」

 そう言って月灯の耳に唇を寄せた彼女は、素の口調で囁きかける。


「……必ず、自由にしてあげるからね、月灯」

「……はい」


 ああ、やっぱり、この人と一緒にいる時が一番心安らぐ。どうせなら月華様と結ばれることができたらいいのにと、月灯はそんな益体も無いことを考えながら、丁寧に髪を梳かれ、やがて微睡の中に落ちていった。




 ──それから、二ヶ月ほど後のことである。上院議員達の支配から解き放たれ、日本国民の一部と共に北日本王国の領土へ渡った月灯は、新たな皇居となった仙台の屋敷で一人の少年に出会った。


星海ほしみ 開明かいめいと申します」

「……はじめまして」


 何故だろう? どういうわけか彼女は、目の前の少年に月華と似たような雰囲気を感じた。隻眼らしく左目は楕円形の黒い眼帯で覆われている。表面には桜色の糸で美しい模様が刺繍されていた。少女のように、というより、先日お会いした王太女・朱璃あかりに瓜二つの顔で体格も華奢。聞くところによるとまだ学生で、かの星海の血筋でありながら武芸の類は苦手としているらしい。当然霊術も使えない。

 なのに、どうしてかこのか細い少年が、幾多の修羅場を潜り抜けて来た戦士のように思える。おそらく、だから月華に似ていると思ったのだ。彼女も見た目は可憐な童女なのに、誰よりも強い人だから。思えば朱璃に対しても似たような印象を抱いた。あのアサヒ少年と仲睦まじくする様子が微笑ましくて、すぐにそのことを忘れてしまったが。

「申し訳ありません、本来なら祖母か王太女が来るべきところなのですが、二人とも冬が明けた後の戦いの準備に奔走しておりまして、代理として僕がご挨拶に」

「お気になさらず、お話は伺っております。お忙しいところ、ここまでご足労いただき、こちらこそ感謝いたさねば」

 そもそも、ここは本来彼等の領土。迎え入れられた側としてこちらから出向くのが筋。なのに、今日まで勇気を出せずこんなところでまごついていた自分が悪い。そのせいで相手を警戒させたかもしれないと考え、月灯は深く反省する。

(こんなことでは駄目だわ)

 上院議員達が亡くなり、以前より自由に近付いたとはいえ、今の自分はまだ日本国の代表。今度は、改めてこちらから女王陛下の元へ挨拶に参らなければ。

 決意を固めた彼女を見て、開明は何故かきょとんとした表情を浮かべる。なんだか驚いたように。

「あの、何か?」

「あ、いえ」

 こほんと咳払いした彼は、改めて問いかけてきた。

「ここには御簾が無いのですね」

「ええ」

 あれは邪魔だと思ったので、こちらでは設置させなかった。自分は人と対話する際、間に物を挟むのが好きではない。正直言えば、現人神として扱われることも嫌いだ。一応、術士としては高い才を持っているそうだし、他にもいくつかの異能を受け継いでいる。けれど自分はあくまで人間だと月灯自身はそう自覚していた。月華という遥かに規格外の存在が身近にいることも、その理由としては大きい。

 さて、彼にとって御簾の有無とは何を意味するのだろう? 探るような視線を送っていると、やがて開明は微笑む。

「陛下、今から散歩に出かけませんか?」

「散歩?」

「ええ、秋田まで。いかがですか」


 彼は何を言っているの?

 月灯は大きく目を見開き、思考停止してしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る