星海 朱璃
では、どんな難問も瞬く間に解き明かしてしまえるのか?
NOだ。
なら、直感的だけで正解へ辿り着いてしまえるのか?
NO。彼女はそういう類の天才ではない。
朱璃は、努力を努力だと考えていない。目的があり、方法があり、実行可能ならやる。ただそれだけを繰り返すタイプ。言ってしまえば、愚直さこそが彼女の天賦。
たしかに頭はいいが、大きく突出しているわけではない。彼女がすぐに正解を導き出すように見えるのは、それ以前に膨大な情報を集積し、脳内できちんと整理を行い、いつでも引き出せるようにしてあるから。そういうことでしかない。
また、頭脳だけが人の価値でないことも認めている。
むしろ、そんな頭でっかちばかりでは危機感を抱く。世の中には様々な人間がいて、だからこそ上手く回っている。天才と呼ばれる自分も結局は歯車の一つに過ぎず、だからこそ必要だと思えば自身の命さえ賭けられる。
幸い過去のとある出来事が原因で恐怖心を失っており、命がけの行動に出る際にも躊躇せずに済む。
さて、そんな彼女が久しぶりに頭を抱えたくなる難問にぶち当たった。これまでの人生で知識も経験も収集して来なかった類の問題なので、どうしたらいいものかさっぱりわからない。
「結婚かあ」
特異災害対策局本部の私室。机の前に腰かけてひとりごちる。先日拾った人型記憶災害。アレを王都へ連れ込む見返りとして、結婚しなければならなくなった。相手はその人型記憶災害である。孫を化け物の嫁にしようというのだから、祖母も流石の人でなし。
婚約者の名はアサヒ。彼のオリジナル、すなわちこの国の初代王が
結婚自体は、別に構わない。相手は先祖みたいなものだが、いつも通り、必要なことだからやるだけ。
しかし、アレが素直にこの婚姻を受け入れるだろうか?
「失敗だったわね……」
思い返し、悔しがる。拾った直後、とんでもないお宝を見つけて興奮した自分は、ついついアサヒを拷問してしまったのだ。その後もあれこれやって泣かせたし、まず間違い無く嫌われている。
連れ帰る条件がアレとの結婚だとわかっていたなら、最初からなるたけ優しく接してやったのに。
「まあ、やっちゃったもんは仕方ないわ」
この切り替えの速さも彼女の持ち味。過去はどうしたって変えられない。なら、今からでも失点を取り返して気に入られる方法を模索した方が良い。
もしアレが結婚を拒否して力づくで逃走を図ってみろ。誰にも止めようが無い。
しかし、それ以上に問題なのは──
「恋愛知識を得ようにも、アタシの周りにゃロクな大人がいないのよね」
母には親子の縁を切られており、もう何年も仕事以外で会話してない。現在の保護者とも言える立場のマーカスは、なんというか色々こじらせてしまった大人の代表格みたいな男だ。恋愛経験は豊富らしいが、そのどれも失敗に終わっている。噂では若い頃の祖母にまでアタックし玉砕したそうな。
他にも何人か思い浮かべてみるも、結局、一番無難そうな相手だけが選択肢として残った。
「いる?」
早速その人物の部屋を訪れる朱璃。時刻は一九時過ぎ。今日は残業もさせなかったし、この時間ならすでに帰ってるはず。
ちなみに、ここはピラーと呼ばれる柱状集合住宅の一室である。建造された当初より人口が減ってどこも部屋は有り余っているので、大抵の人間は低層階に住みたがる。なのにこの部屋の住民はわざわざ最上階に陣取り、同じフロアの部屋全てを我が物顔で占拠していた。私物の銃火器コレクションを保管してあるのだ。
「なんや? めずらしな〜、朱璃ちゃんから来はるなんて」
怪しい関西弁と共に顔を出したのは、金髪碧眼巨乳の美女カトリーヌ。こちらが一人なのはわかっていただろうに、改めてそれを確認した後、来客を部屋に招き入れ、扉を閉めたところでやっと素に戻る。
「何か用か?」
態度も口調もガラリと変わった。このぶっきらぼうで男っぽい口調がカトリーヌの本性なのである。
自分の母親も同じタイプなので、朱璃は特に気にしない。部屋の中にも勝手知ったる我が家のように踏み込んでいく。
「アンタ、恋愛経験は?」
「いきなりだな。まあ、それなりにあるが……」
「どういう相手? 成功した?」
「なんだこれは尋問か? 意図を話せ意図を」
言われて、自分にアサヒを惚れさせるため、手練手管が知りたいと明かす朱璃。するとカトリーヌは盛大なため息をつく。
「お前、あれだけ酷い目に遭わせといて、今さら好かれようってのか……」
「あれだけやったから、アンタの知識とテクニックが必要だって言ってんのよ」
カトリーヌの本名は
「やれやれ、まさかお前と恋バナをする日が来るとはな」
リビングのカーペットにどかっと腰を下ろす彼女。引換札で交換してきた配給のホットドッグとピクルスを前に、コップに注いだ透明な液体をグビリと飲み込む。その匂いに顔をしかめる朱璃。
「アンタまた密造酒なんて飲んで」
「別にいいだろ、この一杯だけだ。私のささやかな楽しみに口を出すな。こっちの食事は侘びしいんだよ」
「そんなもん飲んでパーにならないかを心配してんの。まあいいわ、脳細胞が死滅する前に教えてちょうだい。アイツをアタシに惚れさせるとして、どんな方法がある?」
「う〜ん……」
難問だ。困り果てるカトリーヌ。普通なら、もう取り返しようのない失点である。
が──
(余計なことをしてしまったな……)
先日、彼女はアサヒを連れてある場所へ行った。それ以来、徐々に彼の朱璃を見る目が変わりつつある。
つまり、取り返しようのない失点をカバーして取り返せるレベルに復帰させてしまったのである。こんな相談を持ちかけられた今となっては、とんだナイスアシストだ。
(正直もう何もしなくても勝手に惚れてくれそうだが……)
もう一口、市民がこっそり食品廃棄物から作って売っている密造酒を喉へ流し込み、考え込む。
適当なアドバイスでは朱璃は納得すまい。この娘は探究心の鬼だ。だからつまり、要望通り真摯に相談に乗ってやることが自分にとってもベストだと言える。怒らせたら何をするかわからない。
とはいえ、勝手に勘違いしているようだが、自分とて恋愛経験豊富なわけではないのだ。
(術師隊は女社会な上、戸籍上は全員家族だからな……なまじ梅花の名を継いでしまったせいで、私は一般市民との接触の機会も少なかったし)
何度か義妹や義弟達から告白されたことはあるものの、流石にあれは恋愛経験にカウントできない。全部断ったし。
「そう……だな……」
言葉を濁し、頭をフル回転させて朱璃を納得させられそうな回答を探す。やはり歳上としてのプライドがある。この年齢で経験値がゼロに等しいことは知られたくない。
すると天啓が閃いた。そうだ、あれを参考にしたらいい。
「まずは約束することだ」
「約束?」
「そう、たとえば毎日どこそこで会いましょうと決める。お前らなら、研究のため研究室に何時に出頭しろとか言えばいい」
「なるほど、そうやって自然に接触の機会を増やすわけね?」
「そうだ。あと、絶対に相手より早く待ち合わせ場所に行け」
「なんで? 待たせた方が、こっちが格上だって示せるじゃない」
「その帝王思考は一旦捨てろ。男なんてのは甲斐甲斐しく尽くしてくれる女が好きだ。お前にそこまでしてやれとは言わないし、いきなりそんなに態度を変えられたらアサヒも困惑するだろう。だから、こういう些細な部分で得点を稼いでいけ」
「ふむふむ……」
きちんとメモを取る朱璃。若干罪悪感を覚えたが、酒の勢いもあり、カトリーヌはさらにペラペラと語る。
「それから普段着ないような服も着るといいぞ。髪型も変えたりな。男はギャップにも弱い。頼られるのも好きだから、何か適当な仕事をさせて褒めてやると、それだけで墜ちたりもする」
「へえ〜」
「それから、アサヒは母性に弱そうだ。なるべく、おおらかな気持ちで接してやれ」
「それは保証できないけど、まあ、わかった」
パタンとメモ帳を閉じる朱璃。それからニヤリとほくそ笑む。
「アンタがアタシと同じ恋愛初心者だってことは、よくわかった」
「んぶっ!?」
咀嚼中のホットドッグと流し込もうと口に含んだ酒を一緒に吹き出すカトリーヌ。げほげほと咳き込みながら「なんで……」と問う。
「アンタね、今の全部小波の持ってる少女漫画からの受け売りじゃない」
「読んだのか!?」
「そういう文献から得られる知識は真っ先に当たってみたの。だから今度は実体験に基づく証言が欲しかったんだけど、まあそういうことなら仕方ないわ。無駄足にはならなかったし」
続く言葉は、聞かずとも予測できた。
「これでまた、アンタの」
「弱味を握れた、か。このクソガキめ」
「ヒヒヒ、その歳になるまで恋の一つもしなかった自分を恨むことね。じゃあ、アタシはこのへんで。ゆっくり晩酌を楽しんで」
──さて、あれからまたしばらく経った。今日に至るまで彼女なりに色々試してみたものの、どれもさっぱり手応えが無い。
なので、やむなくカトリーヌの、というより少女漫画のアドバイスに従ってみることにした。
「本当にこんな派手な服で喜ぶんでしょうね?」
「そのギャップの大きさがええんやって。これなら間違い無くイチコロや」
「お似合いですよ班長」
市街の店で買った、いかにも少女らしいデザインの服。こんなもの王国の式典や祭事以外では着たことが無い。
「ま、信じてあげる。いいかげん、あのバカにもその気になってもらわないとだし」
珍しく不安そうな顔を見せた彼女の背後で、部下の二人は囁き合う。
(班長のいじめに耐えて三ヶ月も王都に残ってくれてるんだし、もう十分好かれてるんじゃないですかね?)
(しっ、黙っとき。その方がおもろいやん)
明日、アサヒを外出へ誘うことにした。名目は違うのだが、実質は初のデート。
きっと大谷もついてくるだろうが、仕事なのだから仕方ない。
(仕方ない?)
気付いた朱璃は、買うことにした服を持ち上げたまま、フッと笑う。
どうやら自分は、あのバカと二人だけで出かけたかったらしい。向こうから惚れさせるつもりだったのに、これではむしろ──
「ま、それもいいわ」
事実は事実。天才少女は素直にそれを認め、この服を見せた時の彼の反応を予測し、賭けをしようと言い出した二人の提案へ乗っかった。
ちなみにその賭けは、小波が勝った。
「まったく、あの唐変木」
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