アサヒ(2)
「今日はアンタの魔素吸収能力が周辺の環境に及ぼす影響を調べてみるわ」
「せめて朝の挨拶をしようよ。おはよう」
「おはよう」
地下都市・福島の外れ。かつては倉庫として使われていた建物に一人軟禁されているアサヒの元へ、今日も悪魔が、もとい朱璃がやって来た。赤い髪をポニーテールにした一五歳の女の子。可愛らしい顔立ちをしているものの、中身は凶暴なマッドサイエンティストである。
一方、高身長で筋肉質な体付き。さらに目付きが鋭く、一見すると怖そうなのに、中身は気弱で大人しい。生まれたての子鹿程度の攻撃性しか持ち合わせていないアサヒは、疲れた様子でため息をつく。
「今日も実験?」
「今、そう言ったじゃない」
「昨日、延々と走らされたばかりなんだけど……」
「あれは持久力と耐久力のテスト。今日のは別」
「俺に休みは……」
「無い」
はあ……と、また嘆息。いくら無いからと言っても、ここまで遠慮無く人権を無視されるといっそ清々しく思えて来る。
「そもそもアンタ、疲れなくなったんでしょ?」
「いや、まあ、そうなんだけど」
頭を掻きつつ立ち上がった。地上で宿敵シルバー・ホーンと戦って以来、薄々そんな気はしていたのだが、昨日の実験で確定したのである。今の自分はどうやら疲れ知らずの肉体らしい。怪我をしても体内の高密度魔素結晶体から放出される魔素のおかげですぐに治るわけだが、おそらく疲労も同じ理屈で回復しているのだろうと目の前の朱璃に言われた。肉体を常にベストコンディションに保とうとする性質が備わったようなのだ。
「でも気疲れはするよ。丸一日走り通しだったんだから」
冗談抜きで二四時間走らされた。一昨日の夜から待機して日付が変わると同時にスタート。昨夜また日付が変わった時点でようやく終了。そしてついさっきまで寝ていた。
実を言うとこの体には睡眠も必要無い。でも眠ろうと思えば眠れるので、精神衛生のためにある程度は寝ておくようにしている。
「開始は三○分後の予定だから、早く支度なさい」
「じゃあもっと早く起こしに来てよ」
「アタシはアンタのママじゃない。早起きくらい自分でするのよ!」
「まだ五時だし!」
「はい、というわけで実験場に到着」
「おはようさん、アサヒ君」
「……」
朱璃に先導されて到着したその広場には、すでに金髪美女カトリーヌと無口な巨漢ウォールが来ていた。
「おはようございます。他の皆は?」
「今日はうちらだけや。マーカスはんと友之君は地上の火災現場の調査。門司先生は福島駐留部隊の定期検診があるもんで、そっちの手伝いに駆り出されたわ」
「なるほど」
納得したアサヒが頷くと、急に横合いからビシッと鋭い音が響く。
「はい、ちゅうもーく」
朱璃だ。ホワイトボードを前にポインターを握って立っている。教師みたいだと思うアサヒ。彼女は手にした棒の先端でボードの文字をついっとなぞる。
「ここに書いてあるように、今日はアンタの魔素吸収能力が周囲に及ぼす影響を調べるための実験です」
「えっと、いまいちわからないんだけど、それってつまりは?」
「アンタ昨日渡した宿題やってないわね?」
「すぐに寝たから……」
「はい減点。今日の食事はたくあんだけよ」
「やめて」
食べなくても死なない体だが、食べたくないわけではない。
「ったく、説明の手間を省こうと思ったのに。しゃあないわね、ここでレクチャーしたげるわ。とりあえず問題よ。アンタが魔素を吸収する時、アタシらが近くにいるとどうなる?」
「え?」
そういえば今まで全く意識したことが無かった。周囲から膨大な量の魔素を吸い寄せる自分の力は、もしかしたら朱璃達の体内の魔素にも影響を与えているのかもしれない。
「そうか、そういう実験か」
「察しは良いみたいだけど、とりあえず答えなさい」
「あ、うん」
回答を促されたアサヒはこれまでのことを思い返した。何度か他の人間の近くで能力を使ったはずだが、特に彼等に影響を受けた様子は見られなかったと思う。現代人は体内の魔素が枯渇すると最悪の場合、死に至る。そのくらい魔素は大事なはずなのだが。
「えっと……影響は無い?」
「そうね。これでアンタの記憶力が鶏よりは優秀だと証明されたわ」
「証明するまでもないよ!」
「いちいちジョークに噛み付かない。じゃ、次は考察力のテストよ。なんでアタシ達はアンタの力の影響を受けないと思う?」
「え〜と、それは……」
腕を組んで考え込む。朱璃達は特に何も言わない。ノーヒントで答えを導き出してみろということのようだ。
(いや、今までに教わったこと自体がヒントってことかな……?)
思えば筑波山からここへ来るまでの道中、そして福島へ辿り着いてからも色々なことを教えてもらっている。朱璃にいたっては、わざわざ教材を取り寄せたりプリントを作ったりして宿題を出す始末だ。本当にマメな性格をしている。子供ができたら意外と良いお母さんになるのかも───
(って、いやいや、そうじゃなくて)
朱璃の性格を考察する時間ではない。大気中を漂っている魔素を吸収できるのに、彼女達の体内の魔素は吸い寄せられない理由だ。ようは両者の状態の違いを考えればいい。
「あっ」
とっかかりに手をかけたら、あっさり答えが導き出された。やはり以前に習っていたのだ。
「水? 水と結合してるから……?」
「おお、やるやんアサヒ君」
「うむ」
「たしかに、ちょっと見直したわ」
朱璃にまで感心され、アサヒは照れ笑いを浮かべる。
「いやあ、それほどでもいてっ!?」
「調子に乗んな」
ポインターでおでこをしばかれた。シルバー・ホーンとの戦い以来、痛覚も麻痺しているのだが、こういう痛みを想像しやすい攻撃を食らうと一瞬錯覚してしまう。
「なんで……」
「さっきの答えじゃ正解は半分だけ。たしかに魔素は水と結合しやすい。そして、一旦水分と結びついた魔素はそう簡単に分離させられなくなる。でも、それじゃ不十分なの」
「せやな、君の能力の影響をうちらが受けん理由は、もう一つあんねん」
「二人とも、例の物を」
「ラジャ!」
敬礼してホワイトボードの後ろへ回り込むカトリーヌとウォール。すぐにガラガラと音を立てて戻ってきた。カトリーヌがワゴンを押し、ウォールは樽を抱えている。
「フン」
重い音を立て、その樽をワゴンの上に載せる彼。中に液体が入っているらしく、ダプンという水音も聴こえた。
「というわけで、この樽の中身から魔素を吸収してみなさい」
「う、うん」
またポインターで叩かれては敵わない。素直に従うアサヒ。右手の平を樽に向けて突き出し、意識を集中する。
「なにしてんの?」
途端に不思議そうな顔をされた。
「え?」
「アンタ全身のどこからでも魔素を吸い込めるでしょ?」
「いや、そうなんだけど」
こういう時はこんなポーズを取るものという先入観があった。
「まあ、やりやすいようにやったらいいわ」
「……やめる」
指摘されたら恥ずかしくなってしまった。普通に腕を垂らして立ったまま、改めて意識を集中する。
やがて彼の周囲で渦が生じた。大気中の魔素が吸い寄せられ、密度を増したことにより見えるようになったものだ。常人にはこんな能力は無い。彼と彼のオリジナルだった伊東 旭だけが使える特異な力。だから彼等は“
直後、あの重そうな樽がガタガタとワゴンの上で揺れ始めた。驚く一同。
「ちょっ、動いとる動いとる」
「あの重さでもか」
「まあ、予想通りね。続けて」
「これ大丈夫なの!?」
嫌な予感がしたアサヒは実験の中止を訴えようとしたが、時すでに遅し。彼がその言葉を言い終えるのと同時に樽がかっ飛んできた。
「ぐほっ!?」
顔面に直撃してすっ転ぶ。
──そして、何かが体内に流れ込んできた。
「あ、あれ? 今の感覚って……」
「魔素を吸収したわね? 多分、樽の中身のやつを」
確証は無いが、多分そうだ。大気中の魔素を吸い込んだ時とは微妙に感触が違ったから。なんというか、もっとこう勢いがあった。
「どうして……?」
「さっきも言ったけど、水分と結合した魔素は切り離すのが難しくなる。でも難しいだけで不可能じゃない。アンタの能力はそれすら可能にするってことよ、かなり強引だけど。上手く活用したら魔素に汚染されてない水を作れるかもしれないわね」
そう言った朱璃は、続けて自身の頭をポインターで示す。
「それを防ぐためのもう一つの要素がこれ。意識よ」
「意識……?」
「そう、人間や動物には意識がある。それが一種の防護壁になってアンタの能力の干渉を防いでくれるってわけ」
説明されてもいまいちピンと来ない。つまり、どういうことなんだろう?
「ええと……」
「そうね、わかりやすく言うと、魔素の溶け込んだ水はお酒」
「お酒?」
「そう。酒には水分以外にも色んな成分が含まれてるでしょ。それが魔素だと思えばいい。まあ実際の酒類にも魔素は溶け込んでるけど、ともかく、アンタはその酒をいくらでも飲めるザル体質なの。しかも飲みたいと思うだけで酒の方から寄ってくる」
「なんか、聞いてるだけで酔っ払いそうなんだけど……」
飲酒したことがないのであくまでイメージでしかないが、良い気分はしない。母も飲みすぎた翌日には必ず二日酔いになっていた。
「たとえよたとえ。で、意識はその酒を保管しておくための樽……いや、倉庫だと思えばいいわ。同時に、その倉庫の鍵ね。いくらアンタでも他人の蔵の中に仕舞われている酒を、鍵をぶっ壊して持ち出すことはできない。そういうこと」
「そんなことしないよ」
「だから、たとえだってば。とにかく、理屈は理解できたでしょ?」
「まあ、なんとなくは」
仕組みはいまいちわからないが、とにかく生物には意識があり、その意識が自分の能力の干渉を遮っているから、近くにいても影響を受けない。そういうルールなのだということは覚えた。
じゃあ、とアサヒはまた首を傾げる。
「今回はこれでおしまい?」
「んなわけないでしょ。まだ、前提になる知識をアンタに叩き込んだだけよ」
「だよね……」
こんなに簡単に終わるはずが無いとは思っていた。少しだけ期待したけれど。
そこへ、遠くから兵士が一人走ってきた。
「殿下〜!」
若い陸軍兵だ。手を振りながら朱璃に近付き、彼女の手前で止まると、背筋を伸ばして敬礼しつつ報告する。
「準備が整いました!」
「ご苦労さま。それじゃ行くわよアンタ達」
「はいは〜い」
「ん」
「また移動?」
歩き始めた朱璃達に、眉をひそめながらついていこうとするアサヒ。するとと三人とも振り返り、違うと言って彼を押し返した。
「アンタはここにいなさい」
「なんで?」
「すぐにわかるわ。ともかく、アタシが合図したらさっきみたいに魔素吸収能力を使うこと。全力でね」
嫌な予感がする。ここから逃げ出したくなってきた。
しかし、朱璃が釘を刺す。
「逃げようとしたら撃つから」
その手にはいつの間にか例の対物ライフルが握られていた。いったい今までどこにあったのか。
撃たれても死なないだろうが、撃たれたいとも思わない。渋々その場に立ち尽くすアサヒ。
やがて広場には彼だけが取り残され、周囲には大勢の兵士達が集まってきた。定期健診は終わったらしい。
「ああ……」
兵士達が広場全体を仕切り板で囲っていく。丁寧に積み上げた土嚢で固定し、隙間もパテで塞いでいた。それを見て、何をさせたいか朧気ながら理解する。
案の定、囲いが完成したところで朱璃が叫ぶ。
「放水!」
手動式のポンプを使って大量の水が囲いの中へ注ぎ込まれ始めた。いずれも距離はここから一〇〇mほどある。
「はい、それじゃあ魔素吸収機関アサヒ! 全力運転開始!」
「誰が魔素吸収機関だよ!?」
この状況で能力を使えばどうなるか、さっきの樽を使った実験の結果を考えれば容易に想像できる。
それでも朱璃はもうスコープを覗き込んでいて、銃口はこちらに狙いを定めているのだ。やるしかない。
「ほらほら、早く!」
「ああもう、この悪魔っ子!」
嗜虐的な笑みを浮かべる朱璃の視線の先で、アサヒは涙目になりながら能力を発動した。
直後、彼は渦を巻いて襲いかかってきた膨大な量の水に飲み込まれ、悲鳴も上げられぬまま溺れたのである。
──実験は、魔素吸収能力の影響がどこまで及んでいるのかを確かめるまで重ねられた。
その結果、少なくとも半径一二○○mまでは有効だと判明した。つまりアサヒは一二回、水に飲まれた。
それ以上の距離は、仕切り板が足りなくなって断念した。
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