『だから! わたしは! まほーけんしになるの!』

「あぅ……」


 鏡の向こうでは、あわい銀髪の幼女がうつむいていた。沈むはかなげな顔がうつむく。

 まだ猫っ毛な髪が風にすかれ、編まれたわっかがゆれる。フリルのついたメイド服がはためく。波うつスカートから白いストッキングがあらわとなった。

 すみれ色の瞳が映すのは、もう一人の自分だ。


「はぁ…………」


 長いため息をつき、彼女はうなだれる。

 あの日から、ルーナ・・・ちゃんとなってから約三年がたつ。

 あどけないが整った顔立ち、ちんまりした手足、つるぺた寸胴の幼児体型。

 だが将来が期待できそうな、そんな印象があった。

 ふと何を思ったか、きっと魔が差したのだろう。指でスカートのすそをつまみ、首をかたむけ、にっこりとほほ笑む。


「…………」


 しばしの沈黙が流れ、ふと気づく。それから我に返った。


(これが……俺?)


 冷静になってみると、なかなかに恐ろしい。眼前に突きつけられたのは事実に、幼い姿に戦慄せんりつする。

 たしかに、子どもは大抵かわいい。そう思うのが自然であろう。

 それを抜きにしても、愛らしい見た目といえる。しかしルーナは背筋に怖気を走らせた。


「あ~~~っ!!!」


 だって、その愛くるしいだろう幼女は、自分なのだから。

 にっこりと、りんごみたいなほっぺをふるわせ、口元を引きつらせて。

 恥ずかしさに身もだえ、うずくまって、目をうるませた。


(何やってんだろ……)


 さいわいにも、自分しか見ていない……はずだ。

 こんなところを誰かに目にされたら、あまりにもはずかしい。


「はぁ…………」


 安堵の息をつき、ルーナは三年前を思い出す。

 仇を討った日から、奇しくも十二年後に再有さいうした、と。


(それに――)


 世の中は大きく変わったらしい。

 今は星暦十一年だという。そして住んでいるのは、ノーヴィエソンツェという国の辺境にある村だ。

 聞いたことのないものばかりだった。かなり新しいこよみと国家。

 空白の十二年間に、何があったというのだろう。ナゾが深まっていく。

 日進月歩にしては、あまりに急すぎる変化といえた。

 まあ、それはいいとしよう。


(にしても――)


 けれど解せないのは――とすみれ色の瞳が、鏡を覗きこむ。

 なぜこのなりなのか、と。

 左右反転した幼女・・を凝視して、顔を引きつらせる。


(……あるいは呪い?)


 そんなことを考えながら、難しそうな顔をして息をつくと――


「ルーナぁっ!!」

「ぶぎゅっ!?」


 ズシリとした、でもやわらかい感触によろけた。

 ついで赤みがかった銀髪がおどり、ほおをくすぐる。焼き菓子みたいな匂いが、ふんわりとあたりを包みこむ。

 声をはずませ、姉のディアナが抱きついてきたのだ。ほおをよせ、肌を密着させてくる。

 べたべたと、じゃれ合うように触れる彼女に、少しだけとまどう。

 これは一般的な姉妹の日常なのだろうか?

 ちょっと過剰ではないかな、と。

 ふと脳裏によぎるのは、今は亡き妹のオリガの姿だ。


(そういえば……オーリャも、こんな感じだったな)


 スカートをはためかせ、よく後ろからくっついてきたものだ、と思い起こす。

 内心、さびしかったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、ディアナが語りかけてくる。


「ねぇルーナ、なのかごのせんれーしき、たのしみだね!」


 幼いからか、舌っ足らずなしゃべり方で。


「そんなに?」


 首をかしげながら、ルーナは問いかけ、


「だって、せんれーのぎで、しゅくふくをさずかるんだよ!」


 興奮気味にディアナが答えた。それは初耳だ、とすみれ色の瞳をまばたかせ、問う。


「そう……なの?」

「そーだよ! けんのさいのーや、まほーのそしつがもらえるんだから!」


 どうやら楽しみで仕方がないらしい。顔を赤らめる姉の声が部屋にひびく。

 ようするに、洗礼の儀式で剣の才能や魔法の素質がもらえる、とのことだ。


「ははは……」


 が、ルーナはというと、乾いた笑いが自然と出てしまう。

 前の人生では全く欠いていたものに、苦い記憶がよみがえる。

 とはいえ、今は平和だ。

 剣をたずさえ、魔法をとなえることに、意味があるのか?

 つい自分の世界にひたってしまう。


「だってさ!」


 が、語気を強め、ディアナは言った。


「このくにでは、そのふたつでじんせーがきまるんだよ!」


 意味を分かっているのか、と思うくらいのつたない口調で。


「だから! わたしは! まほーけんしになるの!」


 無邪気な――そして幼女らしからぬ夢だが、ルーナのほおがゆるむ。


「魔法剣士かぁ……」

「そーだよ!」


 ふんす、とディアナが息をはずませる。


「けんをかたてに、まほーをとなえて――」


 物語の主人公になりきっているのだろうか?

 すみれ色の目は、そんな姉をまじまじと覗きこみほほ笑んだ。

 まるでオリガと話しているみたいな、そんな気分になる。今はこちらがだとしても。

 ほんのりと和んでいく。だがその瞬間、あどけない声がとんでもないことを口にした。


「のろいをかけたわるいまじょをたいじするんだ!」

「っ!?」


 直後、ほんの一せつなほどの間が空く。心臓が鳴って、緊張の糸が張りつめていく。それはとても永い時間に感じられるほどに。


(今、なんて――)


 ディアナの放った言葉が理解できず、ルーナは混乱気味に固まってしまった。

 いや、話の意味は分かる。だけどその真意がつかめない。

 いたいけな幼女の、他愛無いおしゃべりであるにもかかわらず。本来なら気にすることではないはずなのにだ!


「……」


 すみれ色の瞳がまばたき、キョトンとするディアナを凝視する。

 既視感を覚えずにはいられない、と。気が張りつめられていく。

 ごくり、とのどを鳴らす音すら異様に大きい。まるで天変地異の前触れのように。

 と、おどろきと緊張に身をゆだねかけた妹へ、姉は続けた。


「なんて、おとぎばなしみたいですてきじゃない?」

「――」


 その言葉に緊張の糸が切れ、笑いがもれてしまう。

 過剰に反応しすぎたのだろう。特に魔女という単語に。

 いまだ、生々しく心に刻まれた想いが、くすぶっているかのようだ。


(だけど……)


 まちがいなく肉塊まじょは殺したはず。さすがに生きているとは思えない。

 だとしたらオリガの仇はちゃんと討ったのだ。


(それに――)


 今は新しい家族もいて、ちがう人生を歩んでいる。復讐はとげたし、遣り残したことだってない。

 だとしたら、今すべきことは何か?

 すみれ色の瞳がジッと見つめる。

 今たたずむこの部屋を。生活感あふれる景色を。そしてふしぎそうに首をかしげるディアナを。

 それから軽く吐息し、ルーナは言った。


「じゃあわたしも、おねーちゃんといっしょにたびにでなきゃだね!」

「それならルーナはせーじょさまだね!」


 赤い瞳をかがやかせる姉は、実にうれしそうだ。魔法剣士に聖女――流されたのか、夢がふくらんでいく。

 気分が高揚していたのだろう。

 ささやかな、そんな一時だといえた。平和で日常的な生活風景。貴重な時間といえる。

 こんな毎日が続けば――とルーナは願う。

 理由は分からないが、せっかく新しい人生を得たのだから。

 そしてぎゅっと手をにぎった。今度こそは、誰も死なせない、殺さない生涯を送りたい、と。

 ……洗礼の日までは!

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