『そのときは、わたしがおねーちゃんをまもるね!』

「はぁ~……!」


 思わず嘆息がもれる。ろうそくが灯すのは年季の入ったテーブルだ。その上には、これでもかと料理が並べられていた。

 甘い匂いがただよい、スパイスのツンとした香りにうっとりとなってしまう。

 一晩ぶどう酒につけこみ、炭火であぶった羊肉が目に留まる。


串焼きシャシリク……」


 ごくり、とのどを鳴らし、すみれ色の瞳が輝いた。

 その隣には、熱々のパイ生地が湯気を立てている。


つぼ焼きガルショーク!?」


 深めのつぼへシチューを入れ、パイで包んで蒸し焼きにしたものだ。

 今度は赤い目がうるむ。

 でもそれだけではない。

 ぶどうに、ベリー類といった果物。ジャムにチャイまでが二人を見つめていた。

 実に豪勢ともいえるごちそうが、食卓をいろどり、彼女たちの胸をおどらせる。

 つまり、ルーナとディアナの。

 なぜか?

 そう――明日に洗礼式をひかえての、お祝いなのだ。


「二人とも、ちゃんと座ってからね」


 そしてセレーナが、二人をたしなめ、言う。

 サラファンに身をまとう、家庭的な雰囲気の女性はあの時の少女だった。

 歳は二十代はじめで、ディアナを大人にしたような容姿をしている。

 赤みがかった銀髪をティアラのように編み、赤い眼が娘たちへと向かう。


「「は~い」」


 が、心ここにあらず、といった感じの返事。四つの瞳はテーブルに釘づけのまま。

 まあ、子どもとはそんなものではあるが。

 なにせ、すでに頭の中はごちそうでいっぱいなのだから。


「ねー、わたしもう、おなかぺっこぺこだよ~!」


 ディアナが急かし、訴える。


「わ、わたしも――」


 とそれに便乗するルーナ。


「はいはい」


 やれやれといった感じでため息をつく。


「じゃあ、ジーマにできましたよって呼んできなさい」


 そう告げられて、二人は飛び上がらんばかりに息をはずませた。


「「うん!!」」


 ついでトテトテと駆けていく。

 すぐに、幼子に手を引かれ、この家の主が姿を現す。灰色の髪に深い青の目をした、ひげをたくわえ野性味あふれる風貌。

 セレーナより若干年上だろうか?

 ガッチリとしてなかなかに恵まれた体格だ。

 が、幼い娘たちに急かされながら、食卓へと誘われている。

 そして、席に着く。ついでお祈りだが――


(まだ、少し慣れないな……)


 とルーナは思う。

 オリガを失って以来、こうした些細な毎日の、何気ない時間を忘れていた。

 けど今は日常・・へと戻れたのかもしれない。多少ぎこちないにしても。

 こうして団欒だんらんを味わってるのだから。

 ともあれ。

 嬌声が上がる。


「ん~!!!」


 じゅわっと口の中に広がる味!

 舌の上で溶けていく肉の感触!

 よく利いたスパイスのピリッとした辛さ!

 うっとりとして、ほっぺが今にも落ちそうだった。

 月並みだが、幸せなのだろう。なのに……あまりに出来すぎているように、感じられなくもない。洗礼の前日にというのも気になる。

 まるで嵐の前の静けさだ。最後の晩餐ばんさんのような……?


(い、いやいや!)


 とルーナは首をふった。あわい銀髪が軽くゆらし、願う。

 たんなるとりこし苦労――きっとそうだ、と。


(今度こそは幸せに生きるんだ!)


 晩餐ばんさんとともに、二度と戻らないこの夜を噛みしめていく。






 

 翌朝。ついに洗礼式の日。

 神殿へと赴く馬車が、ガタゴトと音を立て路を往く。荷台に座るのはルーナとディアナだ。

 フリルのついたメイド服を着て、移ろいゆく景色をながめている。あまりいい座り心地ではなかったが。

 ちなみに手綱をとるのはジーマ……セレーナも一緒だった。ウキウキした調子で、鼻を鳴らす夫婦たち。


(まあ、娘たちの晴れ舞台なんだし、当然か)


 それにまだ三つ。いろいろとかわいい盛りだろう。ルーナがそんなことを思っていると、


「は~……」


 ディアナが吐息した。


「なんかドキドキしてるよ……」


 不安げに窓の外を覗きながら、落ち着かない様子で彼女は言う。


「ねえルーナ、もしもしゅくふくをさずからなかったら……」


 心配性なのか、沈んだ顔でこちらを覗きこむ。

 きっと願いはかなうよ――と伝えたいのはやまやまなのだが。

 断定できないところがなんとも歯がゆい。


(俺は……才能なんてなかったからな)


 無言で姉を見つめ、ルーナは少しだけ迷う。

 復讐を誓った時、剣と魔法の素質には恵まれなかった。その時の絶望はなかなかに苦い思い出といえる。

 だが、それはあくまで前の人生での話だ。

 今生では違うだろうし、今の自分には魔力がある。ならディアナだってあきらめるのは早い。

 人生とは全て一度きりの出来事。なら新しい気持ちで望めばいい。


「わたし……すてられちゃうのかな……?」


 不安げな赤い瞳が問いかけてくる。

 きっと大丈夫、と言ってあげたいところではあるが、とルーナは息をつく。

 本当のことは判らない。

 なんせ全くの新しい時代。かつては洗礼式などという慣習もなかったのだ。無責任なことは口にできない。

 とはいえ、彼女をこのままにしておくべきではないだろう。

 だからできるだけつたない口調で、ルーナは告げた。


「そのときは、わたしがおねーちゃんをまもるね!」


 意味が分からなかったのか、その言葉に赤い瞳がまばたく。

 ついで、ふふっとほおをゆるませ、ディアナが笑って返す。


「ありがとう……でも、わたしのほーがおねーちゃんなんだよ?」


 せいいっぱいの背伸びをして。

 しばらくして、ゆれが止まった。


「二人とも、着いたぞ。神殿だ」


 ジーマの声にうながされ、馬車を降り――息を呑む。そして目をみはる。


「はぁ~……」


 眼前にそびえるのは荘厳そうごんな建物だ。思わず感嘆せざるを得なかった。

 タマネギみたいな屋根が目を引く。さまざまな模様が景色を彩って、しみこんだ匂いがふわりと包みこむ。

 何の香だろうか?

 ついうっとりとしてしまう。

 ついで聞こえてくるのは靴音。見れば自分たちを含め、十数名ほどの子どもたちがいた。

 彼らは緊張した面持ちでたたずんでいる。借りてきた猫のように身をちぢませて。

 気持ちは分からなくはない――とルーナは思う。

 この洗礼式で授かる祝福が、今後の進路を決めるのだから。かなり残酷な話ではあるけれど。


(まあ、俺はどーでもいいんだが……)


 半ば投げやりに苦笑を浮かべ、彼女はそう言い聞かせた。

 過度な期待をいだくから、絶望も大きいのだ。端から求めなければ、傷も浅い。

 ともあれ。

 入り口には、天までとどくかのような柱が二本、そびえていた。そこには浮き絵や碑文が刻まれている。

 凝った造りだが、これをくぐれということらしい。

 その奥にも、さらに十本の柱が対になって続く。まるで道を造るかのように。

 が、それより目を引かれたのは――


「ん……?」


 太陽に月、それに星々が描かれたレリーフだった。壁一面に、天井にまでびっしりと彫られた物語へ誘われていく。


(これって……)


 ルーナが神妙な顔で覗きこむ。どうやら絵解きのようだ。目を凝らすと情景が浮かぶ。躍っているみたいに。



 ――二人の乙女が、互いに剣戟をたずさえ、火花を散らしている。

 月の耳飾りをした少女が三日月刀でなぎ、夜を誘う。

 対する星の王冠をかぶる少女が光る矛で闇を裂く。

 戦いは全くの互角。山が消し飛び、海が爆ぜる。とばっちりで人々が痛みに嘆いていた。

 が――暁とともに、あかつきが二人のいさかいを終わらせるのだ。

 月と星が世界をめぐって争い、太陽が夜を終わらせ平和をもたらす――



 と読める。

 なかなかに意味深い。とルーナが感心しうなずく。

 ようするにこれは、自分たちの住むノーヴィエソンツェのなりたちだろう、と。

 分かりやすく、かつ正統性を示す建国神話の類だ。

 つまりこの国は太陽を崇拝している――と不安そうな声が思考をかき乱す。


「ル、ルーナぁ……」


 自分の世界に浸っていた彼女の目に、不安そうな幼い顔が映る。手をつかまれ、ぎゅっとにぎられた。

 初めての場所で心細いのもあるだろう。ディアナは過呼吸気味に足をふらつかせている。


(こ、こういう時は……)


 小刻みに肩をふるわせる姉の手をにぎり返した。

 わずかに息が静まるのを覚え、ルーナは告げる。


「お、おちついて……こーゆーときは、しんこきゅーだよ!」


 それは正しい……間違っていないはずだ。

 と気づく。

 妙に静かなことに。

 ほかの子たちも無口にうつむいている。ざわめきすらなかった。

 聞こえるのは石畳を踏み靴音や、虫の羽音に鳥のさえずり。なのに子どものはしゃぎ声がしない。


「……?」


 三歳児であるにもかかわらず。

 違和感を覚えざるを得ない。あまりに不自然すぎるのだ。幼児はもっとうるさいものではないだろうか?

 ふとディアナの言葉がよぎる。


(そいえば――)


 この洗礼式で祝福を授かるのだ、と。剣と魔法の才能で一生が決まるとも。

 まあ緊張はするかもしれない。


(でもそれにしたって……)


 まるでこの世の終わりみたいな雰囲気は、あまりにも異常といえる。

 そして靴音がやむ。目の前にはこちらを見下ろすように、ンメトリーな扉が構えていた。

 威圧感あふれる大きさで、よくいえば荘厳たたずまいだ。

 ギィィ……ときしむ音を立て、扉はゆっくりと開いていく。

 入れ、ということだろう。

 しかしこれからの人生が決まる緊張のためか、みんなためらっていた。


「……」


 彼らを無言で一瞥いちべつし、ルーナは吐息する。

 こういう場合、真っ先に入ったほうがいいのか?

 けれど、立ち止まっていても始まらない。


「ディアナ……」


 ぎゅっと姉の手をにぎり、彼女の手を引いた。

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