親友へ

黒百合咲夜

引っ越しの日

「じゃあ、な」

「うん、また明日」


 嘘をついた。こんな簡単な約束でさえ、果たすことが出来ない。

 今日、僕はこの町を出て行く。親の仕事の都合で、遠くの町へと引っ越すのだ。

 荷物はまとめた。友達にも別れを告げた。お世話になった人たちにもお礼を言って回った。この町でやり残したこともすべてやりきったと思う。

 でも、親友であるあいつにだけは、どうしてもさよならの一言が言えなかった。一週間前からずっと言おうと決意していたのに、いざ本人を前にするとどうしても言葉が出てこない。

 それがこの様だ。別れの言葉もないままに、町を発つ。きっと、もう会うことはないのだろう。

 あいつは、どう思うのだろうか。いくら携帯が――連絡手段があるとはいえ、黙っていなくなった僕を許してくれるのだろうか? いや、きっと許してはくれないだろう。人との関係など、案外儚く終わってしまうものだ。

 そんなものか。今まで積み上げてきた友情が、自分の情けなさで一気に崩れてしまうと考えるとたまらなく悲しい。

 結局、何も言えないままにあいつは家に帰ってしまった。僕も、駅に向かうとしよう。

 こうなる可能性も考え、僕だけ家から隣の駅で電車に乗れるように親に頼んでいた。これで、あいつと会うことなくお別れだ。

 駅までの道中、駄菓子屋に入った。古めかしい、昔ながらのお店だった。猫とおばあさんが変わらず元気に切り盛りしている。

 店の軒先、有名飲料メーカーのロゴが入ったベンチを見る。思えば、あいつとの出会いはこのベンチだった。瞼を閉じると、今でも鮮明に思い出すことが出来るあの日の光景。あの時の僕は、この出会いがこの先ずっと続くだなんて想像もしていなかっただろう。

 電車の時間まではまだ余裕がある。あの日と同じようにスポーツドリンクを買い、ベンチに座ってゆっくり呷った。

 首を上げることで額の汗が流れる。ピークを過ぎて傾こうかという日差しは、容赦なく僕の瞼を照りつけた。目を閉じていても、視界が明るく輝く。普段ならうるさい蝉の合唱も、今日はやけに落ち着きを見せていた。旅立つ少年の背中をそっと押すように。

 一気にボトルの半分まで飲み干す。甘さと塩気が入り交じる独特の味は、燻る僕の脳をスッキリと整理してくれた。

 背もたれに体重を預け、目を閉じる。聞こえてくるのは、懐かしい二人の少年の声。


(きみ、名前は?)


(ジュース買ったら競争な!)


(明日の遠足のおやつ、何を選ぶ?)


(小学校卒業を祝して乾杯! 中学でも仲良くしよう!)


 出会いから人生の大きなイベントまで、いつも一緒だった。変わらず、一緒だと思っていた。

 出会いはいつも突然に。そして、別れはいつも突然に。

 残った生ぬるい液体を一気に飲み干し、ペットボトルをゴミ箱へ。それから、店の中に入って煎餅を買った。おばあさんお手製のこの煎餅は、僕とあいつの好物だった。

 お金を払って商品を受け取る。店を出ようとすると、足元にふと心地よい感触があった。この店の猫が、すりすりと甘えてきている。


「おやおや、すっかり懐いてしまっているねぇ」

「ははっ、僕もこの子も古い付き合いですしね。おばあさんにも長いことお世話になりましたし」

「そうだねぇ。きみとあの子がよく家に来てくれて、そしてタマとも遊んでくれたからねぇ」


 表情は変えず、おばあさんが話す。僕も、視線は猫に固定したままだ。頭を撫でてやると気持ちよさそうに甘えてくる。これも、今日が最後だから目一杯甘やかしてやらないと。

 蝉の声が途切れた。静かで、クーラーの音だけが鳴る店でポツリと言葉が漏れる。


「寂しくなるねぇ。また、いつでも帰っておいで」


 何も言葉は出なかった。猫の頭から手を離し、無言で店の入り口へ。頭を下げ、駅への道を歩き出す。

 段々と傾いていく夕日が空を赤く染め上げる。誰にも会わないままに、駅に着いた。切符を買ってプラットホームで待つ。

 しばらくして到着した電車に乗り込んだ。夕方のこの時間は、他にほとんど乗客はいなかった。三両編成の真ん中で、大荷物を椅子に置いている両親と合流する。


「もう、いいかい?」

「うん。もう大丈夫」

「本当? ちゃんとお別れは言えたの?」


 母からの問いかけには無言だ。だって、やっぱり言えるはずがないだろう。さよならなんて、もう二度と会えなくなるような言葉。

 これで終わりだなんて思いたくない。大きくなったら、またこの町に帰ってくるんだ。また、あいつとこの町で遊ぶんだ。

 目頭が熱くなる。ごまかすように煎餅を囓ると、不意に携帯が震える。

 画面を見ると、あいつからのメッセージが届いていた。そこには、シンプルに一言で「窓を開けろ」とだけ書かれている。

 まさかと思って窓を開ける。蒸し暑い一陣の風と共に、それは目に入った。


「おーい! おーい!」


 あいつだ。電車に追いつけるはずなどないのに、それでも懸命に河川敷の土手の上を走っている。それよりも、どうしてあいつがここにいるのかが理解できなかった。

 今はまだギリギリ並走している。しかし、それももうすぐ終わる。徐々に距離が開いていくのが分かった。

 何を、どんな言葉を言えばいいのか分からない。口をもごもごとさせていると、大声で向こうから言葉が投げかけられる。


「馬鹿野郎! お前のことを分かってないと思ったか!」

「え?」

「知ってたさ! 引っ越しのことも最後の一言が言えないことも! 何年友達やってると思ってるんだ!」


 ……そうだ。僕は何を勘違いしていたんだろう。

 あいつは僕の親友じゃないか。きっと、僕と同じかそれ以上に僕のことを理解してくれているんだ。なのに、どうしてそのことに気がつかなかったんだ!

 心が楽になる。今なら、きちんと言える気がした。

 お別れじゃない。僕はまたきっとこの町に帰ってくる。だから、言うべき言葉を、親友に贈るべき言葉は間違えない。

 窓から身を乗り出し、大きく手を振る。何もかもが吹っ切れた今なら、笑顔で伝えることが出来る。


「じゃあ、またな!!」

「ああ! またな!!」


 また、

 それが、僕とあいつをいつまでも繋ぐ言葉だった。

 物理的な距離は大きく離れている。それでも、心の距離はより一層近づいた気がした。


――きっと、この先も忘れることはないだろう。この夕焼け空の下で交わした大事な約束は。


――瞼に感じたこの気持ちは、瞳を閉じるとこれからも思い出すことが出来る。

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