猛毒の果実「りんごひめ」

 雨は止んで、遠くの空に虹が見えた。童話人が誰かいないか探していると、少女が林檎の樹の上からぴょんと降りてきた。目が合う。雪のように白い肌、艷やかな黒い髪、苹果のように真っ赤な唇……いわゆる美少女、というやつだ。

 「こんにちは! 珍しいね、お客さんが来るなんて! みんなー! お客さんー! 案内役もこんにちは! さあさ、こっちへどうぞ! 美味しい苹果があるの! にお届けするって伝えておいてね、案内役!」

 元気の良さに圧倒されたまま、手をひかれて連れてこられたのは、木でできた小屋だった。意外と大きい。

「わかったよ、覚えていたら、ね。苹果姫は今日も変わらず元気が良いね」

「そりゃあね! 元気じゃないと歌が歌えないし。歌が歌えないと、果樹が育たないから!」

「歌で果樹が育つの?」

「? 当たり前じゃない。なんでそんなことを聞くの? 変な童話人ひと!」

「ああ、苹果姫。未登録迷子Unknown童話世界フェアリー・ファンタジアのことを何も知らないんだ」

「そうなの? へー。じゃあひとつ忠告しておくね。あたしが素手で触ったものは食べちゃだめだよ!」

 苹果姫と呼ばれた少女は手袋を外して、テーブルに置かれた苹果をひとつ手にとった。その途端、瑞々しかった苹果がどろりと溶けて床に落ちた。ジュワっと音をたてて、落ちた部分を焼いていく。苹果姫はそれを足で踏み潰して消した。

「あたしが素手で触った食べ物はね、みんなこうして毒になるの! ……怖くなっちゃった? ごめんなさい、でも、見ないとわからないものってあるでしょ」

 目を伏せる苹果姫に、何も言えないままでいると扉が勢いよく開き、小さな影が飛び込んできた。……小人だ。

 巨大な狼、1000年生きる魔女、踊る人形など、ふしぎな体験をしてきた未登録迷子Unknownは、小人くらいではもう驚かない。

「ただいま、苹果姫。お客さんだって? おまたせしてごめんね!」

 小人は3人で、みんな色違いのトンガリ帽子をかぶっている。赤、黄、橙だ。

「やぁ、一人目ファウスト。苹果、とっても美味しいよ。あれ、なんだか人数が足りない気がするけど、果樹の見回りかい?」

「や、案内役! そうさ、えーと、四人目フォウスから七人目セヴンスが出払ってるよ。五人目フィフズは街に苹果を売りに。オカシの家エリアにも行くってさ。あの魔女と双子ならきっと美味しいお菓子に使ってくれるさ」

「オカシの………。✕✕✕✕✕✕✕✕✕……」

 未登録迷子Unknownがぼんやり呟いた名前はなんだったか。そこだけノイズが走って音が聞こえない。童話人にもわからなかったし、未登録迷子Unknown自身もわからなかった。案内役は何か知っているようだったが、やっぱりそれを口にすることはなかった。代わりに、未登録迷子Unknownのノイズを取り除くように言った。

「そうだね、ヘンテルグレーゼルは、今頃アップルパイでも作ってるさ、紅茶によく合うやつをね」

 未登録迷子は、違和感に首を傾げた。しかし、そういえば自分の知っている童話は兄妹だったけど、この世界では姉弟だったのだと思い直した。

 自分が壊してきたあのエリアは、他のエリアは大丈夫だったのだろうか、今はどうなっているのだろうか。

「あの双子ほど上手には行かないけれど、わたしもアップルパイを作ったのよ!アップルティーも合わせてどうぞ! あ、苹果ジュースのほうがすき?」

「え、あ……紅茶で大丈夫です……あの、自分は………いなくなった名前を探していて……自分の名前と、童話の名前を。良ければこのエリアの童話を……聞かせてもらえませんか? 手がかりになるかもしれない……ので……自分の知ってる童話も、お話しします」

「……………イヤ」

「えっ?」

「イヤって言ってるの! あたし、自分の童話大嫌いなの。ちょっと外行ってくる」

「苹果姫!! ……ごめんね、悪い娘じゃないんだ。ただ………苹果姫は、生まれたときから猛毒で……孤独だったから」

 赤い帽子……一人目ファウストが目を伏せながら、話してくれた。


 ある城に、お姫様が生まれた。姫の母親は、お姫様がお腹の中にいるときに毒を盛られて……。お姫様は、母親が毒で溶けたその胎から生まれたんだ。……それが、苹果姫。

 苹果姫は、毒に侵された母胎にいたから、毒に耐性ができた。それどころか、苹果姫自身が猛毒になってしまったのさ。彼女がそれに気づいたのは5歳のとき。で、その当時、新しく城に迎えた継母が、苹果姫の美しさに嫉妬していた。

 継母は、苹果姫に冷たく当たっていて、幼い苹果姫も自分が好かれていないことを理解していた。そして――――手袋を外して、継母に触れてしまった。継母は、苹果姫に触れられた箇所から毒で溶けてドロドロの、醜い姿になって、死んでしまった。

 ボクらは、苹果姫の心を癒やすために生まれたんだ。普通の童話人にんげんにはきっと彼女の心は癒せない。ここに住んでいる童話人ボクらは、どんな毒も浄化できる能力を持っているから、苹果姫も誰かを殺す心配がない。安寧を手に入れた苹果姫と育てた果実は、童話世界フェアリー・ファンタジア中に届けられて、みんなを幸せにしているのさ。


 「……自分が……童話人ひとを殺したなんて話はさ、苹果姫には荷が重いんだ。許してやって」

 黄帽子の二人目セカンダーと橙帽子の三人目サァズも目を伏せてしまった。

「……この世界の人たちは、みんな童話が好きと聞いていたので、驚いただけです。それに、苹果美味しかったし、彼女の愛情深いところはちゃんと自分にも伝わりました」

 未登録迷子Unknownは微笑んだ。しかし、案内役以外は気づかない。その微笑みがこれからこのエリアを壊す高揚感を隠すために作られた歪なものであることに。本人もわからないのだから、他人はもっとわからない。未登録迷子Unknownの身体にはまたインクが広がって、首元から少し見えるくらいになった。

「話してくれたお礼です。自分も、苹果とお姫様の話を知っているんです」


 ある国に、とても美しいお姫様✕✕✕✕✕✕がいました。しかし彼女の継母……つまり、王妃は、自分こそが世界で一番美しいと信じていたのです。しかし、お姫様が7歳を迎えた頃でした。王妃が秘蔵する魔法の鏡に「世界で一番美しい女は」と訊ねたところ、「それはお姫様✕✕✕✕✕✕✕です」との答えが返ってきたのです。それまでは、自分が一番美しかったのに、と。

 怒りに燃える王妃は猟師を呼び出すと、「白雪姫を殺し、証拠として彼女の臓器を取って帰ってこい」と命じます。しかし猟師は白雪姫を不憫がり、殺さずに森の中に置き去りにしました。そして王妃へは証拠の品として、イノシシの肝臓を持ち帰ったのです。王妃はその肝臓を白雪姫のものだと信じ、大喜びで塩茹にして食べました。

 森に残されたお姫様✕✕✕✕✕✕は、7人の小人 たちと出会い、一緒に生活をするようになります。一方、お姫様✕✕✕✕✕✕を始末して上機嫌の王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と尋ねたところ「それはお姫様✕✕✕✕✕です」との答えが返ってくるのです。お姫様✕✕✕✕✕がまだ生きている事を知った王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って、腰紐を締めてあげる振りをして彼女を締め上げたり、櫛を作ってお姫様✕✕✕✕✕✕の頭に櫛を突き刺したりして殺そうとするのですが、いつも小人たちに助けられ、息を吹き返してしまいます。

 今度こそ、と、王妃は、毒を仕込んだリンゴを造り、善良なリンゴ売りに扮して白雪姫を訪ねます。白雪姫は疑いもなくリンゴを齧り、息絶えました。

 やがて帰ってきた小人たちは白雪姫が本当に死んでしまったものとして悲しみに暮れ、遺体をガラスの棺に入れました。そこに王子様が通りかかり、お姫様✕✕✕✕✕✕を一目見るなり、死体でもいいからとお姫様✕✕✕✕✕✕もらい受けます。

 白雪姫の棺をかついでいた家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子にお姫様✕✕✕✕✕✕は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返しました。王子様はとても喜び、ふたりは結婚して幸せに暮らしました。

 お姫様✕✕✕✕✕✕✕と王子様の結婚披露宴の席で、王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされたということです。


 「少し怖い終わり方ですけど……童話って怖いものが多いイメージがありますね」

「……苹果姫じゃ、ないんだね。……ボクらは、何があってもそんなふと現れた王子に、姫のことを何も知らない王子に、姫を渡さない」

 それだけ言って、小人たちがかみきれになった。未登録迷子Unknownは黙ってそれを見ていた。

「苹果姫が戻ってくる前にここを去ろう」

 未登録迷子Unknownは、小さく震えた。自分の名前も、童話の題名も、主人公たちの名前も、未だ思い出せないのに、童話人たちのエリアを滅茶苦茶にしたことが、今更怖くなってきたのだ。


 ――自分は悪くない。仕方なかった。自分も、誰も、名前を知らないのだから。

  ――本当に? 良くしてくれた童話人だちを裏切っておいて被害者ヅラ?

 ――違う、違う、こんなことになるなんて知らなかった! 頁に、変わってしまうなんて。本当の物語が童話人たちを傷つけるなんて。

   ――最初はそうだったかもしれないけど今は? 自分の意志で傷を―――――


未登録迷子Unknown、大丈夫かい? ……さぁもうすぐ全部揃うよ。ご覧、あそこが………あそこが、だよ」

「………え? ふしぎの国って、あのふしぎの国……? 自分の知ってる……物語………?」

 ぼんやりと顔を上げる。今までは知らないエリアの知らない物語を聞いてきたのだ。やっと、自分の知ってる……かもしれない物語に出逢えた。未登録迷子Unknownは、安心と恐怖を抱えながら、ふしぎの国へと足を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る