1-5

「お邪魔します」


 ドアを開け、部屋にすでに訪れていた二人を見ながらそう言う漠。あの翌日、結局彼はバイトに行くことはできず、こうして火楽と彩子が待つ学校の部屋の一つを訪れていた。


「おう、来たか」


 目を瞑っていた火楽はゆっくりと片目を開けて、漠を出迎えた。友人を出迎える彼は、不穏な気配を放つことなく静かに座していた。

 しかし、もう一人はそうはいかない。敵意……とまではいかないが、強い警戒心を持って漠を出迎えているのは彩子だ。というか、出迎えているというより、待ち構えていたとか、待ち受けていたみたいな表現が適切だろう。


「いらっしゃい、漠くん。とりあえず座って、多分長い話になると思うから」

「うん、どうも。晩御飯までには終わるといいんだけど」


 緊張感はまるでないその言葉に、少し眉を顰める彩子。彼女としては、この男は正直少し苦手なタイプなのでプライベートだったならば距離を置きたかったりするのだが、そうもいかない。この男は、一般人なら知る由もないことを知っていて、今回の話にすでに関わっている。放置できるようなものではないのだ。


「さて、それじゃまずはあなたの素性から聞いてもいいかしら」

「素性?」

「ええ、あなたは何者? 魔術師ではないみたいだけど」


 そう、天野漠は魔術師ではない。彼は魔術を行使していないし、彼自身の体内から魔力を感じ取ることはできない、もちろん彼が凄腕の魔術師で、体内の魔力を隠している可能性もあるが、そんな器用なことができるようにも見えないのが本音だ。


「ええと、多分今大学生だ、とかそういう話じゃない……よな」


 ぎろり、と睨まれて語尾を小さくしていく漠。彩子の圧に、まるで勝てる気がしないのだった。


「前は……教会で下っ端をしてた。物心ついたときにはもう教会にいて、何か恩返しできないかなと思って」

「教会、そっか、そういうことね。魔術じゃなくて、神秘に関連してたほうか」


 少しだけ彩子の圧が和らぐ。思っていたよりも、天野漠という男の経歴が納得のいくものだったのか、しきりに一人で頷いている。が、それも束の間。


「あん? てことは、今はもう教会に属してないのか?」

「ああ、うん。ちょっといろいろあってね」


 その、何かを隠すような言い方に、彩子の警戒心は再度引き上げられる。しかし漠のその表情から、今それを問いただしたところで意味がなさそうであることを察したのか、少しだけ不服そうな顔をする。


「まあ、俺のことはとりあえずいいとして。魔術のこととか教えてくれないか? 火楽のあれとかすごかったよな」

「ああ、まあそれはいいんだが。俺のあれは厳密には魔術じゃなくて魔法なんだよな」


 火楽がポリポリと頬を掻きながらそう言った。その二つの違いを、漠は当然知らないので。


「何が違うんだ?」


 直球で尋ねる。この遠慮のなさが、彼の強みでもあるかもしれない。


「魔法は血統によるもの、魔術は学習によるもの、って言ったらいいかしらね。魔法は、理屈や理論でどうにかするものじゃなくて、神様とか精霊とかそういうふんわりしたものに祈りを捧げて、なんらかの事象を起こすものね。だからその神様や精霊に縁ある血筋がないと、そもそも祈りさえ届かなかったりするの」


 言ってしまえば、才能の有無。魔法を使えるかどうかは、どの家に生まれたか、ただそれだけで決まるのだった。


「そんで魔術は、真面目に勉強して理屈を踏んで、術式を組み立てて、体内のマナを使って起動することができれば誰にでも使えるものだ。とはいっても、その術式は各家とかで研究されて公にはされないから、家ごとに効果の強さも、術式の複雑さも違う」

「――へえ」


 うんうんと頷きながら、その話を聞く漠。その実感の伴っていなさそうな声に、思わず火楽が突っ込む。


「わかってないな、漠?」

「いや、なんかふんわりとは、わかったと、思うかな」


 あやふやなその物言いに、苦笑する火楽。教会に属していたとはいえ、漠は魔術に関しては素人同然なのだった。


「そしてその魔術、魔法とは別の力が教会の神秘ね。神秘は……正直使えないからよくわかんないところもあるんだけど、あれはマナは使わないし、血に刻まれた縁も関係ない。ただ神への信仰心のみで事象を起こす、正直反則技にも見えるわ。そこんところ元教会関連者としてはどうなの?」


 教会関連者って言っても下っ端だったからあんまり詳しいことはわかってないかもしれないんだけど、と前置きをしたうえで漠は彩子の質問に言葉を返す。 


「ええと、まあそうだね。でも、思ってるよりあれも融通が利かないみたいで。奇跡とも呼べる事柄を引き起こしたかったら、それこそ身も心も神に捧げても足りないくらいの信仰が要求されるみたいだから。神秘を行使した瞬間は、周りから見たら反則に見えるだろうけど、その分普段あらゆるものを切り詰めてるから、俺から見たら魔法のほうがよっぽど反則技に見える」


 それは同感、と彩子は火楽を見る。その目線に、火楽は薄く笑って


「はん、与えられたものをフル活用して何が悪い。言っておくが、その分お前らにはわかんねえような苦労は俺にもあるんだからな」


 と返す。その意見は至極まっとうで、言われた彩子もそんなことは当然わかっているのだが。


「あたし、あんたのそういうとこ嫌いだわ」

「同族嫌悪だろ」


 文句は口から勝手に漏れ出てしまうのだった。火楽からしてみれば、持ち前の才能をふんだんに使って生活している彩子という存在に嫌いなどと言われる筋合いはないのでそう返しておくが。


「そういや、漠は神秘を扱えるのか? 元関係者ならできてもおかしくない気がするが」

「ああ、ごめん。その期待には沿えそうにない。神様を疑ってたりするわけじゃないんだけど、どうにも俺には神秘が使えなくて。神様に嫌われてるのかもしれないな」


 いや、お前の信仰心がないだけだろ、と二人は思ったが口には出さない。そんなことは今までに絶対誰かがこの男に言ったはずだから。それでもこの男がこうなのはきっとどうしようもないからなのだ、と察したからである。


「ま、とにかく神秘が扱えないなら下っ端で当然か」

「……下っ端であの動きか。教会ってのは得体が知れねえな」


 間近で漠の動きを見ていた火楽としては、下っ端というのは信じられないところでもあるが、本人がそうというならそうなのだろう。今はそれを疑っていても仕方がない、と飲み込むことにする。


「そうだ、そういえば気になっていたんだけど」


 思いついたかのように声を挙げる漠。


「教会は神への信仰からくる悪性の排除――ええっと、簡単に言ったら悪い奴を懲らしめるのが目的だけど、魔術師って何を目的にしてるんだ?」


 その疑問に少しだけ彩子たちは言葉に詰まった。彼らにとってはずいぶん昔に当たり前の常識となったその目的を、口にする機会なんてそうはないからだろう。その質問に、まず火楽が答える。


「そうだな、短期的に見れば周囲の魔術家からの突出。つまりは業界トップを目指すわけだ、例えるならビジネスみたいなもんか」

「へえ、意外となんというか。もっとよくわからない理由かと思っていたけど」

「あくまで短期的に見れば、よ。長期的には、神への到達が目標ね。まあそのあたりは具体的に掘ったら長い話になるし、これから何世代とかけて為していくことだし、詳しく話したりはしないけど。そもそも本来こういう話は一般人にはしちゃだめなのよね。その点まあアンタはいいと思うけど。もう巻き込まれてるし、一応元関係者だし」


 ぞわりと。漠は何か嫌な予感を感じた。特に、巻き込まれている、のあたりから猛烈な面倒ごとの気配を感じたのだ。


「……そうか、まあ長い話になるならいいかな。さて、それじゃあ話も終わったみたいだし、そろそろ俺は――」

「待ちなさい。話はまだ始まってすらいないわよ」


 ……逃げられない。そう悟った漠は大きくため息をついて上げかけていた腰を再度下ろす。出会ってまだ数日の関係だが、この絶場彩子という人間は人の意見を聞くタイプではないのだ。


「というかそもそも聞きたいこともまだあるしね。人除けの魔術がアンタに効かなかった理由とか」

「ああ、それは――」


 そうして時間は過ぎていく。太陽は沈み、外は暗く。闇に包まれた世界で、静かに三人を狙うように、影が蠢いていた。

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