1-3
小さく拳を構える漠に火楽は焦る。目の前にいる真っ黒な人型は、一般人が喧嘩の感覚で闘っていい相手ではない。火楽自身、まだまだ未熟なため、漠を守りながら戦えるわけではない。
『どうする? あの人型に意思があるようには見えねえ。俺との一対一に付き合ってくれはしないだろうし……』
と、逡巡している間に人型は動く。その狙いは、漠だ。
「しまっ……!」
火楽が焦るが、もう間に合わない。ずるっとその腕を伸ばし、漠の頭を吹き飛ばそうと勢いよく迫り――。そうして火楽はここでようやく気が付いた。ただの一般人、人畜無害な変わり者であるはずの彼の友人のその目が。静かに、かつ冷静に、迫りくる拳を見つめていることに。
無言で、その殺意の一撃を漠はいなした。それだけではなく、通り過ぎて行った人型の腕に向けカウンターのごとく、鋭い一撃を叩き込んだ。
「む」
しかしその一撃は人型へのダメージを与えることなく。漠の拳は黒い膜によってはじかれた。
「やっぱり素手でどうにかなったりはしないか」
攻撃に意味はなく、漠が何をしても目の前の黒い人型に痛手を与えることはできないだろう。百、いや千殴ったとして、微塵も人型は揺るがない。だがそんなことはどうだっていい。
重要なのは、漠という人間が。特殊な力を行使する素振りすらなく、あの一撃を避け、カウンターさえ決めて見せたということだ。
『……信じられん』
先ほどの一撃は、運とかそういうもので避けられるものではない。少しでも避けるのが早ければ、腕がその動きを追尾して喰らっていただろうし、遅ければ言うまでもない。一流のボクサーですら、避けるのは至難の業だ。それを、慌てる様子すら全くなく落ち着いた状態で。
「ごめん火楽。カッコつけたけど、俺の攻撃は効かないみたいだ」
「いや……ああ、そうだな。だからお前は後ろで――」
その異常な光景の中、いつも通りに語り掛けてくる漠という男に疑念は絶えないが、今はそれを問い詰めるときではない。とりあえずは、後ろに下がっていてもらおうとするが、
「だからおとりは任せてくれ。人相手には少し難しいけど、こいつは動物みたいなものだろう? だったら大丈夫だ、多分」
そう言って漠は人型の目の前へとまた体をさらけ出す。その行動を、普段なら絶対に止めている火楽だったが、正直なところ彼の技量では、一対一で人型を下せるかは怪しい。それに比べ、先ほどの攻撃を避け今もなお人型の攻撃を避け続ける漠の助けは、正直ありがたかったりする。
「ちっ、自分の未熟をこれほど恥じたことはねえぜ。ここで死んだら後味が悪いどころの話じゃねえ、絶対に喰らうんじゃねえぞ、漠!」
「気を付けるよ、でもずっとは無理だからね」
緊張感がないその声に少しだけ気勢を削がれながらも、火楽は剣を強く握る。現在、漠が人型の近くでひたすらにうろついているため、火楽への攻撃は緩い。まったく腕が飛んでこないわけではないが、その頻度は漠に比べて半分程度だろう。だが火楽のほうが脅威度が高いと判断されれば、この状況は簡単に変わる。
そして、人型を倒しきるには強力な一撃を放つ必要がある。未熟な火楽にとってその一撃はたやすく放てるものではなく、これ以上攻撃の頻度が上がれば、もうチャンスはない。
【秋葉、天竜に座し】
ゆえに、放つは必殺の一撃。
【火祭、祀り上げたるは】
二の手などなく、渾身を賭す。
【――
詠唱を終える。構えた二つの剣から現れたるは万物を焼却する神の炎。
人型が気が付く。だがもう遅い、すでに火楽の両手に神は宿った。人型が腕を伸ばし、火楽を止めようと攻撃をする、しかしそれより早く、火楽の両手は振るわれた。
――熱線。振るわれた剣はまるで光線のように光を放ちながら、黒い人型を焼き払った。
「はあっ、はあっ……!」
立ったひと振り振るっただけだが、火楽は大きく息を切らしている。彼にとってあの炎は一度振るうのにも制御しきれるか怪しく、集中を少しでも切らせば自分を焼き殺す危険な代物だ。暴発などせず、人型のみを焼き払うために使った集中力は並みではなかったのだろう。
「――すごいな」
火楽のほうから強烈な気配を感じ取り、距離を取ってそれを見ていた漠は思わず見惚れていた。人間が神から授かったと言われる原初の火の力。その片鱗を目にして、どうして見惚れずにいられようか。
「火楽、大丈夫か?」
かといっていつまでもぼうっとしているわけにもいかないので、もう膝もつきそうな勢いの火楽に漠は手を差し伸べる。
「あ、ああ。ちっと疲労感が襲い掛かってきてるだけで、それ以上はない。お前こそ大丈夫か」
あんな近くであの人型の攻撃をかわし、いなし続けていたのだし、何ならお前のほうが疲れているんじゃないのか、と思っての言葉だったが。
「いや、俺より火楽のほうが疲れてるだろ。あんなすごい攻撃してたんだし」
肝心のその化け物じみた立ち回りを見せた漠は、何を言っているんだ、なんて顔をしているのだったりする。火楽としては、もう言葉も出ない。
「……まあいい、とにかくさっきの奴も倒したし、この空間もそろそろ崩れるはずだ。少し休もうぜ」
そう言って、へたりと座り込む火楽。やはり限界だったようだ。
「崩れるって、ここにいて大丈夫なのか?」
「ああ、ここはいったら現実世界っていうキャンパスの上に写真をテープで張り付けてるようなもんだ。テープをはがせば、写真も剥がれ落ちる。ちゃんと現実世界に戻るから心配すんな」
そんな感じなのか、と頷く漠。どういう原理なのかはよくわからないが、火楽が大丈夫というなら大丈夫なんだろう、と納得したようだ。
「でも、もう一体さっきのと同じ奴いるみたいだけど。あれはいいのか?」
そうして漠のその一言に、火楽は一瞬固まった。そうして、漠が指さす方向に目を向けると、先ほどのと少しだけ見た目を変えた人型が、確かにそこにいた。
「――嘘だろ」
冷や汗をかきながら頬を引きつらせる火楽。先ほどの一撃は正真正銘全力だ。二度も打てる代物ではない。
「あ、やっぱりまずいのか」
なんてとぼけた声も聞こえてくるが、それどころではない。もう目の前の人型を退ける力は残っていないし、それどころか逃げる気力さえない。絶体絶命というやつである。
「漠、お前だけでも……」
そうして、なんとか漠だけでも逃がそうと決断した火楽を遮るように。人型の背中を、魔弾が貫いた。
「――まったく。魔術師が敵の戦力も知らずに全力出し切るなんて」
聞こえてくる声は聞き覚えのあるものだ。
「まだまだね、火楽」
暗闇からゆっくりと歩いて出てきたのは――、赤の瞳。ふふん、と得意げそうにした、絶場彩子なのだった。
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