第34話

 僕の額に冷や汗が浮かぶ。ここまで僕が的確に弱いところを突かれたのは初めてだ。心臓がバクバクと脈打っている。


「鋭いんですね……」


「そらそうだろ、儂が君の何倍生きてると思ってる」


 やっぱりそうだ。確実にバレてる、僕と岸水が付き合っているという嘘が。


 このまま僕が頑なに首を縦に振らなければうやむやにできるのだろうか。いや、無理だろうな。


 この人にはそれだけの鋭さがある。そして僕にはその鋭さに対抗できるだけの技能を持ち合わせていない。


 完全に詰み、か。


「いつから気づいてました?」


「初めから、かな。儂の仕事はそういう勘が最重視されてきたからな。男にとって勘は最大の武器だよ」


 ああ、思い出した。岸水源六、その名は政治界でのビッグネームだ。一昔前、国内の経済が不景気に陥った時、彼の政治で一気に立て直した。


 それ以降、あまり表に立つことは無くなったが、それでもあの奇跡の一手は語り継がれている。


 前に見たテレビのドキュメンタリーで放送していた。


 さすがに教科書には載っていないが、知る人ぞ知る名将といった感じだ。


 そうか、だから


「何もそんな顔をしなくてもいい。気に入ったと言っただろう?」


「……?」


 訳が分からないと言った思いが、どうやら表情に出ていたらしい。彼は僕の顔を見て笑った。


 意味が分からない。どうして自分をだましていた僕のことを気に入ることができる?


 僕なら自分のことをだましていた奴を絶対に気に入ったりしない。むしろ話しかけたいとも思わない。


 なら何故だろう。僕は謎と言うよりも、興味で彼にそのことを聞いてみたくなった。


「儂はな、昔から葵といた。あいつの両親は忙しいからな、代わりになるかどうかは分からんが一緒にいた」


 彼は僕の心を見透かしたように話し始めた。


 どこか遠い目をしていて、彼の話が事実だと言うことの裏付けのようにも見えた。


「葵は儂の宝物だ。もし恋仲の相手がチャラチャラした軟弱な奴なら追い返そうと思っていたんじゃがな」


「……僕は強くなんてありませんよ」


「カッカッカッ!別に強くなくてもいい!」


 岸水祖父は、大きな声で、目を細めて笑った。


 一体どう言うことだろう。彼は軟弱な奴なら追い返そうと思っていたと言った。


 なら彼は真っ先に僕を追い出すべきではないだろうか。


 仮に殺人犯が、僕と岸水の前に現れたとしよう。


 さあ岸水を守ってみよ!なんて言われても、きっと簡単に殺されてしまうだろう。


 今のは単純な例だが、他人を見てきた僕に何が守れるというのか。


 僕は……ただ強い自分を夢見ていただけだ。


「君は強い人とはどんな人だと思う?」


「そんなの簡単ですよ、機転が効いて人を守れるほどの力がある人です」


「違う」


 僕は自分の意見を否定された気がしてムッとした。


 たが、彼の顔を見ると、先程のおちゃらけた雰囲気とは一転、真剣そのものであった。


 その表情に、僕は一瞬ながらも萎縮した。


 顔には深い皺が刻まれているにも関わらず、その目だけは年老いることを知らず僕の心を貫いた。


「強い人と言うのはな、どんな状況に陥っても大切な人を思い続けることができる奴のことだ。確かに身体の強さも重要だ。だがそれだけじゃあだろ?」


 因果応報、結果には必ず何かの過程がある。


 その過程が大きければ大きいほど、結果も大きく膨らんでいく。彼の言葉は、僕の心を正確に貫いた。


 それだけたくさんのことを経験してきたのだろう。だからどんな状況になったとしても、臨機応変に行動することができる。


「その点更科君、君なら安心だ。たとえだろうからな」


 彼はそう言うと、普段の明るい雰囲気に戻った。


 確かに僕は、空想の中でどうして自分が死ぬことを確定させていたのだろう。岸水を見捨てて逃げるという選択肢もあったはずだ。


 もし本能的に僕が人を助けたい、守りたいと思っていたのなら……。


「……今初めて満たされた顔をしたな」


「はは、本当に鋭いんですね。もし僕が戦うなら、あなたと一番戦いたくないです」


 そうして僕は彼の部屋を後にした。


 不思議と僕の心は満たされていた。今までが乾いていたのかどうなのかも分からないが、今は感じられる。


 きっと僕は心配だったのだ。自分の考えが正しいのか、自分は人からどう思われていたのか。


 きっと人間なら誰しも考えたことがあるような疑問だろう。


 でもきっと答えは出ないだろうな。


 これからも、今までも僕は僕だ。たとえ容姿が変わってもどれだけ改心しても、僕は僕だ。


 切り離して考えられるようなものじゃない。


 そうだろ?


 後ろを振り向く。そこにはいつかの時に見た影がいた。


 ゆらゆらと正確な形を持たずに、そこに元からあるかのように存在している。


 お前が僕の心の闇なら、僕はいったい何だと思う?


 ―――もう一つの闇だよ。


 もし僕が死ねば君はどうなる?


 ―――同じように死ぬだけだ。


 嘘だな。だって君は……


 ―――……結局お前はお前のまま進んでないんだよ。お前の物語はもうすぐ完結を迎える。お前が進むために必要なピースはあと少しだ。


 ははは、よく言うよ。君がなんと言おうと僕はもう負けないと思うよ。


 ―――すっかり普通気取りか?無理だね、お前は永遠に変われないままだ。


 かもな。でも僕は教えてもらったんだ。それは偽善で言われたものでもただ優しく言って貰ったものでもない。君も僕なら分かるだろ。


 ―――……。


 想うことは強さだよ。だから負けないんだ。

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