第35話

「くああ……、あ、更科君おはよう。おれが一番起きるの遅かったかな?」


「うん、もう昼過ぎですよ」


 さっき昼食を食べて、今は縁側で横になっていたところだ。


 志波さんは眠そうに目をこすった。昨日僕たちが寝る時間には、まだ帰ってきていなかった。いったい何をしていたのだろう。


 僕は寝転がっていた体勢から、体を起こして座る。


 志波さんは僕の隣に座ると、再びくわっとあくびを吐き出した。


「おれはさ、昨日ずっと不良と殴り合いの戦いを繰り広げてたんだ」


「へえ、志波さんも冗談とか言うんですね」


 意外だが冗談もいける口らしい。普通に昨日のことを話してくれるのかと思っていたが、まずは軽めのジャブを撃ってきた。


「いや本当のことだ。近くにこの町一番の悪ガキがいてな。そいつが自分よりも強くない大人には従わねえ、なんて言ってたんだ」


 まさか冗談じゃ無かったとは驚きだ。


「この辺は過疎化が進んでるからじいさんばあさんばっかりでさ、まともに叱れないのよこれが」


 それで強い人か。というかここに来るまで、岸水祖父は初めから僕が大して強くないって勘づいていたのか?


 だとしたらもう人間を辞めてる。ただの化け物だ。


「それでおれが行ったんだけどさ、まあさすがに大人の警察官には歯が立たないってことよ。完封したんだけどさ、そのまま頭ごなしに怒鳴られてもうざいだけだろ。これに関しちゃお前よく分かるだろ」


「まあ、はい」


「だからおれはひたすらそいつの話を聞いたんだよ。何時間も声がかれるまで話してたよ。なんでもそいつには妹がいてな、妹が病気の時、町の奴らは助けてくれなかった。薬も分けてくれなかったってさ」


「……」


「結果的に妹は助かったけど危ない状態だったらしい。そっから兄貴がぐれてって話だ。なあ、おれ思うんだけどさ」


 志波さんはグッと体をそらせてから脱力する。


「世の中世間一般の常識で見れば悪人の奴も、そいつらの中では正義なんだろうな。本当に正しいことって何だろうって思ったよ」


「それが分かれば僕も苦労しませんよ」


「冷めてるなあ、まあでも今のお前なら分かるだろ。この前におれがお前に一番犯罪者に近いって言ったこと」


 犯罪者。それは法に触れたもので、間違った行いをした者だ。


 でもそれが絶対に悪であるとは誰も言うことはできない。なぜならそれは個人によって意見が異なるからだ。


 例えば電車のホームに人が落ちたとしよう。電車のホーム内に入るのは法律的に禁止されている。


 なら見捨てるのが正義で、助けるのが悪になるのだろうか。


 時と場合による。便利な言葉だ。でもそれでは正しいかどうかなんてわからない。


「僕の中では正しくても周りから見ればどうかは分からない、ということだとかってに理解してます。……というか気づいてたんですか?」


「さあ、何のことかさっぱりだ。ただあんまり無茶すんなよ、次は無いと思った方がいい」


 やっぱり気づかれていたのか。当たり前と言えば当たり前だが、警察本部には僕たちが使ったものよりも高性能なマシンがあるだろう。


 それを使えば僕がいじった場所を元に戻すこともできるはずだ。


 だが僕のもとに大勢の警官が押し掛けてこないことをみると、志波さんが何かしらの手を打ってくれたに違いない。


「ガキは間違いを犯しながら成長するんだ。だから気に病む必要ないよ、おれも七夕のおっさんは個人的に嫌いだ」


 そう言うと志波さんは苦虫を噛んだような表情になる。


 人の感情は様々だ。うれしいと笑うし、悲しいと泣く。でもそれだけじゃなくて、うれしくて泣くときもあるし、悲しくても笑う時もある。


 そこがAIとは違う人間特有の感情だ。


「さ、おれはそろそろ行くよ。今日もあいつに教えないといけないことがあるからな」


 志波さんはのろのろと立ち上がると、あくびをしながら奥の部屋へ消えていった。


 僕もこのままだらだらするのは気が引けたので、昨日歩いた道と同じ道を散歩しようと立ち上がった。


 立ち上がった時、丁度僕のズボンのポケットから振動が伝わってきた。


 スマホを取ると、通話の文字が浮かび上がり、橘凌士の白文字が黒の背景にでかでかと映っていた。


「もしもし、どうした?」


『もしもーし、お、繋がった。なあ夏樹、来週の土曜日みんなで近くの水族館に行こうぜ!あ、俺の妹も来るけどいいか?』


「急だな、別にいいけど課題は終わったのか?」


『……みんなにも伝えといてくれ!』


「おい」


 来週、か。僕が未来の話をできるようになったのか。


 今まではいつ死んでもいいと思っていた。だから未来のことを考えるだけ馬鹿なことだとも思っていた。


 でも今は未来が楽しみだ。


 すっかり僕は普通の日常に取りつかれていたらしい。普通とはこんなにも輝いていて楽しいものだったのか。


 僕は今日初めて実感することができた。


 今思えば僕が岸水の屋敷に来たのも、昔の僕じゃ考えられないことだった。他人との関係を面倒なものだとしか思っていなかったからだ。


 いつ死んでも構わない。でも今はまだ死にたくない。


『……なんか夏樹今日機嫌良いな』


「そうか?」


『おん、まあ機嫌は良いに越したことは無いよな』


「……そういや橘も鋭かったな」


『なんて?』


「いや、何でもない。岸水には僕から伝えておくよ」


『おう、頼んだぜ!』


 そう言うと、ブツッという音が聞こえ通話は終了した。


 未来を楽しむ、か。

 そういうのもアリなのかもしれないな。


 廊下に立ち尽くしたまま、僕は一人で薄く笑った。

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