第29話
その日は、ただただ大人たちが飲むだけの宴会だった。
昼間から宴会を開き、大人たちはみんな気持ちよさそうに酒を飲んでいる。もちろん僕は飲めないので、緑茶をずっと飲んでいた。
「……なあ岸水。志波さんどこ行ったんだろうな」
「……ええ、目的は私にも教えてくれませんでした」
「そっか」
僕は隣にいる岸水と適当な会話をした。特に理由もなく、だらだらとだべっている。つまり暇なのだ。
だってそうだろう?大人たちが酒を飲んではしゃぐだけの場に、僕たち未成年が楽しめる要素なんて一つもない。
好きな料理は一通り食べた。そしてお腹がいっぱいになった。
さあどうしよう。このまま自分を押し殺して空気になろうか。それとも失礼覚悟で散歩を申し入れるか。
そんなことを考えていた時、
「お爺様、更科君はこの土地が初めてなので、散歩もかねて案内させてもらってもよろしいですか?」
岸水はすっと立ち上がり、すっかり出来上がって上機嫌な祖父に話した。
「おお、ええぞ!隅から隅まで案内してやれ」
「ありがとうございます」
岸水は僕に一指し指で、外に出ようという合図を送った。僕もその合図に会釈して答え、岸水について行った。
「ごめんなさい、退屈だよね」
外に出ると岸水は僕に頭を下げた。別に謝ることじゃないのにとは思うものの、あえて口には出さない。
ということはきっと僕に気を使って外に連れ出したのだろう。
「僕に気を使わなくていいよ。しんどいし疲れるだろ?」
「……ですが急に連れてきてしまったのは私です。それに更科君を勝手に彼氏ってことにして嘘ついて。最低ですよね」
「……どうしたんだ?今日はやけにブルーというか、元気がないような気がするけど。何かあったのか?」
「……少し、歩きましょうか」
再び巨大な門を潜り抜けると、来た時のような自然が広がっていた。だが夕日のせいで、緑ではなく赤色に輝いて見えた。
夕日はどこにいても変わらずに赤く染め上げるらしい。僕は赤く染まった自然を見ながらふとそんなことを考えた。
「……私の祖父は体が悪いって言いましたよね」
歩きながらぽつりと岸水が話し出した。
「本当はあんなにお酒を飲んだりしてはいけないんですよ。でも今日は更科君がくるって聞いてテンションが上がってたんです。更科君、忍の家の件、アレってあなたの策略ですよね」
「……」
「別に答えなくてもいいです。でも私にはすごく格好良く見えたんです、下手をすれば自分が負けてしまうかもしれないのに」
「別にあれは僕がしたいことをしただけだよ。誰かのためにってのは考えてなかった」
「それでもです。それに更科君は私の初恋の相手ですから」
「……へ、へえー」
すごいな岸水。本人に言えるとは、とんでもないメンタルの持ち主だ。
「高校で初めて会った時に言ったじゃないですか。人を見た目で判断するのは美しくないって」
「そういえばそんなこともあったな」
「それにいくら私でも学年全員の名前なんて覚えてないですよ。緊張はしましたが話しかけやすかったです。私結構人見知りなんですよ?」
僕はどうやら人の表面的な情報しか見てなかったらしい。初めて知るような岸水という個人が僕の中に流れ込んでくる。
考え直せば僕には無数のヒントが残されていたのだ。ヒントが無かったのではなく僕が見ようとしていなかっただけなのだ。
「この前も話した通り、私の両親は多忙で日ごろ中々会えませんでした。そんな時、私の祖父が良く構ってくれました。さすがに毎回は無理でしたが、それでも空いてる日なんかはよく遊びに来てくれてました」
岸水の気持ちが全て分かる、なんてことは口が裂けても言えない。当たり前だ、人の思いはその人だけのものだ。他人が干渉していいものじゃない。
「でも……私は自分以外の人が怖かったんです。クラスメイトとは馴染めなくて、境遇としてはちょっと前までの更科君と似ていました。その時から私は人と人との間に壁を作りました」
「それが敬語か?」
「はい、その時からずっと私は敬語を使い続けました。誰にでも、です。祖父は初め悲しい顔をしました。そりゃそうですよね、いきなり敬語で接されるようになったら誰だって悲しくなります」
「……」
「でも祖父は良くしてくれました。私にとっては祖父と言うより親、の方がしっくりきます。でも……持病が悪化して家にはほとんど来れなくなってしまいました」
岸水の表情は夕日の光で良く見えない。でも心が疲弊しているのが僕にも分かった。これは確証だ。
「だから人見知りだった私に好きな人ができたって知った時の祖父はすごく喜んでました。恥ずかしかったんですけど言って良かった、って今は思います」
あのおじいさんのことだ。どんな反応をしていたのかは容易に想像できる。
「だから、だからなんです。本当に私のわがままに付き合ってもらってすみませんでした」
岸水は立ち止まり深々と腰を折った。
「止めろよ。僕の三連休なんて価値ないよ。むしろ価値あるものになって良かった」
「……なんで……そんなに優しんですか」
岸水は顔を上げようとしなかった。
「嫌だな……おじいちゃん死んじゃったら嫌だあ……」
鼻をすする音が聞こえてくる。岸水の下の地面には、二つの小さな小さな水痕が浮き出ていた。
肩を震わせる岸水に、僕は背中を軽く叩いてやることしかできなかった。
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