第9話

「よっしゃー、今日の授業終わったー!」


 終業のチャイムが鳴り響くと、七夕はバタバタと机の中から教科書などを机の上に出し始めた。


「葵、一緒に帰ろ」


「うん、ちょっと待っててください」


 七夕は驚異的なスピードで教科書を自分の鞄に詰め込むと、岸水の隣に駆け寄っていった。


 ぼーっとしていた僕だったが、声を掛けられてはっとする。


「なあ、俺らも一緒に帰ろうぜ」


 僕の机の前に椎名が立っていた。


「う、うん。いいけど」


 僕は終わった授業の教科書は全て鞄に入れていたので、残っていた教科書などを鞄に入れた。


「ていうか椎名っていっつも用意こんなに早かったっけ」


「おん、お前が見てなかっただけなんじゃねえのか?」


 ああ、確かに。


 僕は人を見ていなかった。自分を他人がどう見ているかばかりに意識を向けていたせいで、その人個人に興味を持っていなかった。


 やっぱり不便だな。こんな時にまで暗く在るのは良くない。変わらないといけないのにな。


 僕と椎名は教室から出て、靴箱へ移動する。


 僕は違和感を感じた。

 まさか彼とこうやってとして立つことになるなんて思いもしなかった。


 今までは明確に、いじめる側といじめられる側に分けられてあった。その格差は埋まらないもので、その差は変わらないと思っていた。


 でも変わった。


 人と人との関りというのは僕が思っているよりも深くてブラックボックスなのかもしれない。


 変えようと思うのなら変えられる。変わろうと思うなら変われる。


 今僕が変わったかと言われると分からない。でも変化の兆は見えてきている。といいなと言う願望だ。


 でも願望は願望でも、今まではそんな願望なんて持ったことも考えたこともなかった。


 それに自分自身誰かに助けてもらいたかったんだ。


 きっと僕の歪んだ感性で僕自身を覆い隠していた。その歪んだ感性を僕でない誰かに破ってほしかった、突き進んで欲しかった。


 我ながら欲張りだな。でも「目標を持つのは悪いことじゃない」って、今はいない彼女が言っていた。


 神様がいなくても僕は願望を叶えたい。


「おい、何ぼーっとしてるんだよ。先行くぞ?」


「ああごめん」


 僕は急いで靴を履き替えると、椎名に追いつく。


 帰り道にはたくさんの人が歩いていた。


 学校帰りの学生、会社帰りのサラリーマン、子供を連れた主婦。


 気づかなかった。この道にだけでもたくさんの人が歩いて、全く別のことを考えているなんて。


 ただ僕が見ようとするだけでこんなににも世界は変わるのか。僕が見ようとするだけでこんなにも見かたは変わるのか。


「うわー、やっぱりその組み合わせは変な感じする」


「あ?んだと七夕」


 前には七夕と岸水が並んで道を歩いていた。


「二人は長いこと仲いいの?」


 僕は七夕と岸水の関係を聞いたつもりだった。だが七夕と椎名がきれいに同じタイミングで振り向く。


「こいつと仲いいって?な訳ねえだろ」


「そーそー、こいつと仲良くなるくらいなら朝よく見かける雀と仲良くなった方がいい」


 再び目を合わせると、フンッとお互いそっぽを向いてしまった。


「いや椎名と七夕じゃなくて七夕と岸水さんとなんだけど……」


「ああそういうこと。ごめんごめん」


 あはは、と笑う七夕を見てると余計に思う。一体何があったんだろう……。


「私と忍は小学校からの仲です」


「そ、一緒に遊んだり勉強したり。も交ぜてまた一緒に遊ぼ、勉強は教えてもらう」


「明確に省かれてんな俺。まあ誘われてもいかねえけど。そんなことは置いといて椎名と岸水でまたどっか遊びに行こうぜ」


 こんどは椎名が七夕を省こうとする。まさしく犬猿の仲だ。


「二人ともいい加減仲直りしたらいいじゃないですか」


「……岸水さん、この二人いったい何があったの?」


「ああそれはですね、この二人が中学生のときに……もごっ」


 するとさっきまで言い合っていた椎名と七夕が協力して岸水の口をふさいでいる。


「葵ー、それは言っちゃダメだよー」


「そうだぜ岸水ー、絶対言うなよー」


 声はいつも通りだが、眼圧がすごい。背の高い椎名はもちろん、背の小さい七夕でさえ、笑っているのに目が笑ってない。


 少し離れている僕でさえちょっと怖い。もろにそれを受けている岸水なんて若干目に涙がたまり始めている。


「誰にも言っちゃダメだからねー、分かった?」


 すると岸水は口が使えないので必死に顔を縦に振った。


 それを確認してから七夕と椎名は口から手を離した。手を離した瞬間に岸水は僕の背中にちょこんと隠れる。


「こ、怖かったです」


「本当に仲いいの?」


 しばらくその状態で歩き、七夕と岸水と椎名の家方面と、僕の家方面とで分かれる時がやってきた。


 僕の家は街とは少し離れた場所にあるので、近くにいた知り合いは櫻花ぐらいだ。


「じゃあまた」


「うん。まったねー」


「さようならです」


「おう、また明日な」


 僕たちはそうして分かれた。でも僕はこのまま家に帰るのではなく、病院に帰る。


 僕は毎日病院に通っている。どうしても外せない用事の時以外は、だが。


病院の敷地に入った時のあの心がふわっと浮いたような気持ちになるのはなぜだろうか。


 僕は病棟に進もうとすると、後ろから足音が聞こえた。ぱっと振り返ると、そこには意外な人物が立っていたのだ。

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