第一話 旅をするのに制約が要るというのなら

「え?あんた今が今言ったこともう一度聞かせてみ?」

「旅人をになりたいです『シスターヒイラギ』」


1人の少年の言葉に頭を抱えるシスターと呼ばれた女性。シスターという言葉通りに、女性は修道服を着ていて、対する少年は、少しみすぼらしいが、この世界において一般的に見られる服を着ていた。


みすぼらしいと言ったが、それは身なりが整えられていないからであって、秘められている容姿は、一般的に見れば優れた部類に入るだろう。


二人は部屋の中で向き合っており、他に人がいる様子はない。


軽々けいけいに言いました!と悪ふざけを自白するなら訂正を求めるけど…、まあ、あんたがそんなこと言うはずがないもんね…。はあ、私はもう30年近く孤児院を預かっているけどね、あんたみたいな馬鹿の中のバカは初めてだよ」


少年は首を傾げる。


「馬鹿の中のバカとは?」


オウム返しを受け、深いため息をつくシスター。この少年のことを深く知らない人なら、怒りを覚えてしまいそうなものだが、シスターは少年の性格が素直すぎることを理解していた。


「小さい時からからあんたはここにいるけど、本当に変わらないね。悪い性格ではないけど、面倒臭い性格よあんたは」

「無視ですか。まあ、捨てられていた僕がこうやって生きているってことは、神が悪い人にならないからそうしてくれたってことじゃないんですか?」


何を言っているか分からない暴論。シスターの言葉から推測するなら、少年はこのような暴論を本当に思っているのかと思うかもしれないが、そんな可愛いモノではない。


「あんた宗教に興味無いからってその発言は良くないよ。私以外のシスター達の前だったら懺悔室にぶち込まれてるからね。はぁ…、ソフィア神よ、『ブバルディア』に罰を与えてやってください」

「本人の前で言うことじゃないと思いますよ」

「半分くらいは冗談だよ」


そう言ってブバルディアの肩を強く叩く。同年代の中では矮小なブバルディアの華奢な体は、叩かれた衝撃で大きく揺れる。顔を隠していた水色の前髪が震え、透き通った緑色の目が垣間見えた。


「あといい加減髪切らないとね。その見た目といい、言動といい、女なのか男なのか分からないったらありゃしない」

「普通に健全な男の子なんですが」

「髪が長いし、顔が可愛らしいからそう見えるんだよ。髪色も珍しいしね」

「…閑話休題、僕の旅の話じゃなかったですか?」


大きく話がズレてしまっていた。シスターヒイラギの悪い癖でもあるのだが、彼女は会話を発展していく際、本筋ではない別方向に持って行ってしまうことが多々ある。日常会話をする上で話題に困らないというメリットはあるが、一つの話題を突き詰めたいとき、つまり重要な話をする上では、デメリットにしか思えない癖である。


彼女はそういえばそうだったなと言わんばかりに頑丈な手を叩く。身に着けているピチピチの修道服が悲鳴をあげていた。


「そうだよ!職にも着いていないただのガキが旅をしたいだって?数年に1度冒険者になりたいという馬鹿は出てくるけど、あんたの様に旅人になりたいだなんて大馬鹿は初めてだよ。あんた達のような孤児が、職をある程度の中から選べるなんて沙汰、この都市『クード』の領主様で有らせられる、『ムサンナブ家』の当代当主様のご厚意でなんだよ?他の場所での孤児なんさ、女は売春婦、男は鉱山労働が関の山って決まってるんだから。他の選択肢なんざ、自らあぶれるくらいさ」


ヒイラギが本気で狼狽えているのを感じ取れないブバルディアではない。自分が普通では有り得ないことを言っていることも理解している。しかし、「はいそうですか、辞めます」とも言えない、いや言いたくないのが本心であった。


自分自身だからこそ一番自覚している。自分が如何に他人とズレているのか。


「ただ…、それ以外に夢といえるものはないですシスター」


透き通った声が部屋という空間に木霊する。何の言いどよみもなく言い放たれたのは、彼がそういう者だというのを正に体現していた。


ヒイラギが思っているように、ブバルディアに一番似合う言葉は何かと聞かれれば、彼を知っている者の殆どは素直と言う。ありのままで飾り気のない、言葉自体の意味は良いものだが、彼の場合は会話で支障が出るくらいの素直さで、これ以上悪化すれば、倒錯に成りかねないだろう。


子供は皆純粋だが、成長するにつれて段々と色を変えていく。ある者は正義を掲げる光に。ある者は裏を暗躍する陰に。そして、ある者は世界と相反した闇に。


変化先は無限であり、様々な体験を得て、死に際に自分の色へ辿り着くのだ。それが人生。人が色として生きだ証だ。


だがブバルディアは違う。まだ15歳程度のため早計なのでは?と思うかもしれないが、普通ならこの年でも少しは何色かに染まるものだ。


けれど彼はいつまでも透明で透き通った空気。例え色が付こうと直ぐにその色は消えてしまい、しかし何故か人間として生き方や知識を知る矛盾だ。


「…はあ。あんたのような奴が夢を持ってくれたなら、私は大喜びさ。本来ならね」


声のトーンが伝播する。被害者は暗い顔を隠すように椅子に思いっきり腰掛けた。椅子が衝撃でギシギシと鳴る。直ぐにでも壊れてしまいそうだ。


「別に否定したいわけじゃないんだ。ただその夢を否定しなきゃならない理由があるのも理解できるだろ?アンタなら」


ブバルディアは無言で頷く。


「路銀を稼ぐ手段は?一人で旅をするなら不測の事態への自衛手段も持たなくてはならない。衣食住も自分で確保しなきゃならない。全部自分でやんなきゃいけないんだ。…それに」


何か思うところがあるのか言いよどむ。続きを言い出したのは一呼吸おいてからだった。


「そしてこの国『アフィニスニア』の階級制を忘れたのかい?平民と貴族で就ける職業は違うだろう?旅人は明確に分類されてはない。まず職業と言えるのかっていう段階のもんさ。けれど旅人は高貴なモノというイメージが国民に定着されているねぇ」

「…『嘘の契約オース・オブ・ライ』」

「そう。あんたも他のガキ共も、私もみんな知ってる。子供のころから聞かされるアフィニスニア建国の伝説の物語。初代王となる『アーク・カタラ・ミルタリア』王が伝説の旅人『アルヒー』の話を受け、ソフィア神の祝福と共にこの国を建てた伝説さ。その影響で旅人は過去も今も高貴な人だというイメージがある」


「身分なんか『真実の儀』で腕に描かれた模様を見れば分かっちまう。あんた達の代ももう教会に行って入れなきゃいけん時期さ。本当の身分と違う模様が入っていたら罪になっちまうよ。誤魔化しは現実的じゃないよ」


ソフィア神を唯一神とする宗教『ソフィア教』。この国アフィニスにおいて最も広く一般的に知られている宗教であり、実質的な国教である。アフィニスは君主制であり、王族や内部貴族との結びつきは強く、ヒイラギが言っていた真実の儀の一切を管理している存在だ。


信者になる為の背景に貴賎は必要なく、人があるがままに自分たちの上位存在に命と祈りを捧げ、死後の生活の確約をしてもらう、来るものを拒まない開放的でセンシティブな宗教と言えるだろう。


ソフィア教の宗教理念や立場は一旦置いておき、アフィニスにおいてソフィア教の行っていることの代表格が、2度目になるが真実の儀というものだ。


昔ある人が真実を知るためには、誰もが目に見える形ではいけないと言ったという。目に見えれば偽りのない真実が手に入り、人々が騙されることなく、その営みを全うできるのだと。それは文面でも、実用的な観点でも難しいものではあったが、当時のソフィア教の教主が、魔法を用いて一つの答えを出した。


真実の儀とは、国民は皆15歳、もしくは15歳と思われる年齢になった際に、教会で右手の前腕部表側に模様を入れる儀式だ。人体に魔法で消えない模様を焼き付ける。表れる模様は、儀式当時の立場を元に決められる。例えば教役者や聖職者のような特別な職業を生業とする者や、奴隷、平民、貴族、王族等の階級に寄って決められたりする。人道的ではないかもしれないが、もたらされる恩恵は、確かなものであったため、今日こんにちに至るまで続けられている慣習だ。今では成人(15歳)と迎えた国民は、大体の人が身に模様を入れている。


真実の儀をすることは任意であるとソフィア教は言っているが形骸化しており、実態は半ば強制的に行われていた。


ヒイラギは立ち上がり、部屋に置かれた本棚から一冊の本を取る。年季が入ったそれの本の題名は、嘘の契約オース・オブ・ライと書かれていた。そして彼女はザァァァと本を流れるように捲っていく。どう考えてもその速度では中身を読むことは出来ないはずなのに、彼女はまるで一字一句見ているかのようだった。


「孤児院上がりのガキが旅人なんかしてるって知れば、あんたに危害を加えてくる奴は出てくる。いや、孤児院関係なく、ただの平民ならそうなるだろうよ。そうならないためには、何か世間に認められるような社会的地位を得るか、それか文句を言われないような後ろ盾を持つなんかしなきゃならないねぇ」


本を閉じ、ヒイラギは少年を見つめる。彼女がどのような心情なのかブバルディアは感じ取ろうとしたが、この瞬間は一欠片も何を思っているのか分からなかった。


「私。そしてこの孤児院が、あんたを旅人として旅立たせられるという条件は、さっき上げた問題点を解決することだね」






「…旅人になりたい?正気かい?いや、…そうなのか。納得できないようで納得がいく。確かに君のような人が持ちそうな夢って、何かしら特殊なものだろうとは思ったけれども」


籠を持ち運ぶ二人。籠の中には鞣なめされた皮が入っており、二人はそれを建物の裏側へと運んだ。


「ここで働く身としてはこのままうちの靴屋で働いて欲しいんだけども、僕個人の身からしたら、是非夢を叶えて欲しいと思う………この皮は鞣しが充分じゃないな。あ、えっといつも通り検品は僕がやるから休んでていいよ」


ブバルディアは言葉通り近くにあった椅子に座る。耐久力は頼りなさそうな椅子だが、成長が遅いのか分からないが、同年代の中でも背が小さい方なのと、よく言えば華奢。悪く言えば貧相な身体では、この程度の椅子ですら敵わないようだ。


「立場があるから、しょうがない意見といった感じですね『バジル』さん。これが二面性といったやつでしょうか」

「うーん、多分違うと思うよ」


検品作業が終わったバジルは、ブバルディアの隣に椅子を持ってきて座る。こちらはしっかりとミシミシとした音が鳴った。


「そのことは父…親方には言わない方がいいと思うよ。知っていると思うけど頑固で唐変木だからね。『何のために今まで靴づくりのノウハウを教えたと思っている!?』って言う未来が想像できるよ」

「あー…、想像出来ました」

「でじょ?本当に旅人としていける!ってなった暁には言うべきだろうけど、まだ決まっていない根無し草じゃやめた方がいい」


カラカラと笑いながら、視線を何処か在らぬ所へと向ける。顔を横から除けば、何か思い出しているように感じられた。


具体的に言うなら懐かしつつも、悲しげな表情をしていた。


「どうかしましたか?」


その言葉に、バジルは目を伏せ指を絡める。漂ってきたのはさっきまでのほがらかさではなく、憂愁ゆうしゅうさであった。

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